世の中には、「孤独は悪」と決めつけ、「一人でいるのが楽しい」と言おうものなら、「それは間違っている」と自分の正義を押し付けてくる人がいる。誰かと一緒が楽しいと感じる人がいるように、一人の方が快適だと感じる人も一定数存在するのだ。実際、都市部のビジネス街では、独身の一人ランチ率は8割に達するし、一人旅や一人映画など、一人で行動する「ソロ活」市場は急成長を遂げている。
ちなみに、世界で最初に外食産業が本格的に育った都市は江戸だったと言われる。「明暦の大火」(1657年)による江戸再開発で、日本中から男性の大工や職人が集まった。多くが単身赴任または独身で、自炊できない。屋台のすしは今のファストフードのようなもので、それをほお張りながら仕事に行った。居酒屋・そば屋・天ぷら屋などもそうしたソロ食ニーズにより発展した。今に続く日本の食文化の礎は、江戸に集結した独身男たちが築いたと言ってもよい。
江戸の長屋文化に象徴されるように、当時は血縁よりも同じ地域に住んでいることが重要だった。しかし、昨今はマンションの隣人も知らないほど地域コミュニティーは消滅しつつある。職場もコミュニティーではなくなり、家族は核家族化が進む。いや応なく、社会は個人化を余儀なくされる。集団に属していれば安心とはいえない、自分の乗る船がいつ沈没するか分からない時代だからこそ、「ソロで生きる力はあるか」を自問するべきだ。
今、結婚する人が減っていることが問題視されているが、独身者が増えるからと言って、孤独が増えるわけではないと思う。会話は家庭でなくても、ネットを介して、いつでもどこでもできる。AIスピーカーだってある。一人暮らしイコール社会的孤立ではない。
物理的に一人であることが問題なのではなく、憂うべきは、心が独りぼっちになる心理的孤立だろう。かといって、何もかもすべて自分の力で行うことが自立ではない。本当の自立とは、頼るべき時に頼れる相手がいるという状態のことだ。頼れる相手が誰もいないという状態こそ「孤立」なのだ。
人とつながることで、自分の中に「新しい自分」が芽生える。ソロで生きる力とは、そうやって生まれた新しい自分で自分の中を充満させること。それが、精神的な自立というもの。人とつながることは、結果として自分が多様な自分とつながることになる。周りに誰かがいないと寂しいと感じてしまうのは、まさに「あなたの中のあなたが足りない」からなのだ。
あらかわ・かずひさ 博報堂ソロもんLABO・リーダー。著書に『超ソロ社会「独身大国・日本」の衝撃』(PHP新書)など。