■選手村建設の東京・晴海は
東京都中央区の都営大江戸線勝どき駅から徒歩5分ほど、「晴海トリトンスクエア」に本社があるデジタルマーケティング会社「メンバーズ」。昨年7月下旬から8月上旬までの2週間、本社と大井町、神田の東京エリアで働くグループ6社の社員約470人が参加して「テレワーク」を実施した。本社では原則、出社を禁止。五輪期間のテレワーク本格実施に向けたトライアルだ。
平日の午前8時台は、駅から本社が入るトリトンスクエアまで混雑し、通勤時間帯以外の2倍ほど時間がかかることもあるという。本社付近は選手村に近く、有明アリーナや有明体操競技場は車で5分ほどの所にある。有明アリーナでは、連日午前9時からバレーボールの試合が予定されるなど、五輪期間は混雑が予想される。
「五輪期間は、普段通りの仕事ができなくなるんじゃないか。そんな危機感があった」。執行役員の米澤真弥さんは語る。
同社ではもともと、子育て中の社員などが在宅勤務できる制度を設けていた。だが2週間という長期間を連続してテレワークを一斉に実施し、本社を「閉鎖」するのは初めてだ。当初はセキュリティや働き方について様々な不安や疑問の声があがったという。
昨春に事務局を立ち上げ、社員の不安や疑問を解消すべく140ページにもおよぶ「完全マニュアル」を作成。何が起きても「これを見ればすべて書いてある」ものを目指した。
「若手の動きが見えないため不安」といった意見に対しては、異なる場所で働くスタッフの行動を、一人のマネージャーが把握するのは、そもそも無理があるという前提のもと、「必要に応じてリーダーや中堅社員と役割分担しましょう」「若手を必要に応じてフォローできるルールをチームで考えてみて」と提案した。
ノートPCの全員貸与やセキュリティの強化といったインフラ環境の整備も同時に進めた。東京近郊の主要駅周辺にシェアオフィスやレンタルスペースを会社が契約し、「臨時オフィス」として使えるようにした。
またテレワークの課題として、職場にいないため社員が孤独感を感じてしまうことがあると、一般的に指摘されている。同社では、社員が孤独感を感じすぎないよう、近くに住んでいる社員同士で勤務後に飲み会やイベントを開催する場合に会社が費用を補助することに。出張費用を補助して、東京勤務の社員が神戸や仙台の同社オフィスで働いても良いことにした。
こうした入念な準備が奏功し、テレワーク実施期間は前四半期や前年同時期に比べて稼働率が上がり、残業時間が減った。インフラ整備にかかったコストから、残業代と水道光熱費の削減分を差し引くと、超過分は20万円ほどにおさまったという。
広報担当の上野晴菜さんは、在宅勤務で乗り切った。「通勤のストレスがなくなり、勤務後に過ごせる時間が増えて心にゆとりができた」と話した。
一方で、対面でのコミュニケーションが減ったためか、期間終了後にメンタルの不調を訴える社員が出た。家族やクライアントといった「ステークホルダー」の理解も必要だということがわかった。同社ではこうした課題の対策を検討している。
同社では五輪後も、テレワークや在宅勤務をさらに進めることを決めている。米澤さんは「五輪を特別なイベントととらえず、場所が変わってもいつも通り働けるよう、一人一人が考えるきっかけにしたい」と話す。
■対策とる動き、温度差も
東京都によると、オリンピックとパラリンピックの期間中、観客や大会スタッフ数は1千万人を超える。通勤客と観戦客の移動が重なれば交通機関の大混雑が起きかねず、国も東京都も五輪期間の交通混雑を緩和する対策を急いでいる。東京都はテレワークや時差出勤、夏休みの計画的な取得などを企業に呼びかけている。国が企業などに対し、昨年7月末から9月上旬に5日間以上のテレワーク実施を呼びかけた「テレワーク・デイズ」には、2887団体、約68万人が参加。東京23区の期間中の通勤者数は、期間外よりも1日あたり約26.8万人(9.2%)減少したという。
ただ、対策を取る企業の動きには温度差がある。
帝国データバンクが昨年10月に実施した五輪期間中の働き方についての調査(複数回答)によると、東京都内の企業(約2200社が回答)のうち、「通常どおりの勤務」と答えたのは35%を超えた。「出社時間の変更」は12%、「休暇の設定」が11%、「リモートワーク(テレワーク)の導入・拡充」は10%にとどまった。全国(約1万社が回答)で見ると、「通常どおりの勤務」と答えた社が52%だった。そんな中、交通機関と企業が協力して対策に乗り出す動きもある。
■浜松町駅「このままじゃまずい」
羽田空港から都心にアクセスする際の拠点となるJR浜松町駅。浜松町駅とその周辺企業が協力して、五輪に向けて駅の混雑対策に乗り出している。JR東日本と、浜松町駅から徒歩圏内に本社がある東京ガスが中心になって昨年6月に立ち上げた「浜松町駅周辺TDMプロジェクト」だ。
浜松町駅は普段から、平日の朝はホームから改札口に向かう階段に行列ができ、さらに出入り口へ降りる階段にも行列ができる。通勤客と大きなカバンを持った観光客がすれ違うことも多い。五輪期間はさらに混雑する見込みだ。
昨年7月24日、11社が参加して駅の利用者が1日の中で最も多くなる「午前8時台」の混雑緩和に挑戦した。休暇の取得やテレワーク、時差出勤など、各社が状況に応じて選択した。「午前8時台」の利用者を10%程度減らすことを目指した。
普段の同時間帯の駅利用者数は約4万人で、当日は12%程度減少。普段と比べて人の行き来に余裕ができていたという。
今後の課題は、参加企業を増やすことと、オリンピックとパラリンピックが開かれる1カ月間をどう乗り切るか。東京ガスでプロジェクトを担当する木内智博さんは「『混雑緩和』という同じ目的を持つことで、色んな企業と横のつながりを作れた。意識を持つ企業をさらに増やしたい」と話した。
■休暇を合わせて19日間出社不要に
テレワークと休暇を組み合わせることで7月下旬~8月中旬の計19日間、原則出社しなくても良い取り組みに挑むのが、PCメーカーの「レノボ・ジャパン」(東京都千代田区)だ。関連4社で計約2千人が対象となる。人事本部長の上南順生さんは「ふるさとから母を自宅に呼び寄せて、一緒にオリンピックを観戦して過ごします」と話す。
同社では数年前からテレワークの取得に条件を設けない「無制限テレワーク」や、毎年原則全員が出勤しない「全社一斉テレワークデー」に取り組み、じわじわとテレワークを浸透させてきた。これまで社員にどんな変化があったのか。
上南さんは「当初は『部下の顔が見えず不安』という声がマネジメント側にあった」と振り返る。社員の側にも、自宅などで仕事をすることに、後ろめたさような感覚があったという。
そこでテレワークをする際には、それぞれが当日取り組む仕事を始業時に連絡し、どのくらいできたかを終業時に報告することにした。部下には自分の仕事を簡潔に表現するスキル、上司にも指示をわかりやすく伝えるスキルが求められるようになった。
テレワークを進めることによって、顔を合わせる機会の重要性も再認識したという。上南さんは「良いアイデアは対話から生まれることが多い。簡単に答えの出ない問題を考える場も、フェイス・トゥ・フェイスの方が良い」と話す。
同社では五輪後もテレワークをさらに進めていくという。本番まであと半年あまり。五輪を追い風にした新しい働き方への取り組みが、少しずつ広がりを見せている。