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ニューヨークに生まれたカリブの街 カーニバルは故郷そのままの熱狂

ニューヨーク:エスニック・モザイクの街を歩く
クラウンハイツにあるコーヒーショップ。トリニダード・トバゴ(赤地に黒いストライプ)、ジャマイカ、ハイチなどカリブ海諸国の旗が飾られている

ブルックリンのクラウンハイツはカリブ海系の大きなコミュニティだ。カリブ海はアメリカ合衆国のフロリダ半島と中南米の北部沿岸に囲まれた狭い海。そこに大小合わせて7,000以上もの島があり、現在は約30の国や欧米諸国の保護領、自治領がある。クラウンハイツには、そのほぼすべての国や地域からの移民が集まり、暮らしている。

ブルックリンのカリブ海系住人の歴史を紐解くと、コロンブスの新大陸「発見」にたどり着く。

カリブ海の島々には、そもそもは先住民のみが暮らしていた。カリブの語源は先住民族のカリブ族だ。ところが1492年にコロンブスがカリブ海に到達し、以後、島々は欧州諸国の植民地となっていく。やがて欧州人は先住民を全滅させ、代替の労働力としてアフリカからの黒人を奴隷として連行するようになる。現在のカリブ海諸国に黒人が多い理由だ。だが島々には先住民の文化が伝え残され、かつスペイン、フランス、英国など宗主国の文化も根付いた。ただし島によって人種の配分が異なり、それぞれの島が固有の文化を育むこととなった。ちなみにコロンブスがこの地域をインドと勘違いしたことからカリブ海の島々は西インド諸島、そこに暮らす人々はウエスト・インディアンとも呼ばれる。

長年にわたって植民地だった島々は、1960年代に次々と独立を果たした。ところが多くの国が政治的または経済的に安定を果たせず、大量の島民が職を求めて海外に出た。行き先は飛行機でわずか数時間の経済大国、アメリカ合衆国の東海岸地区だった。ニューヨークのブルックリンにも多くのカリビアンがやって来た。

■共生を拒んだ白人住民

クラウンハイツは、そもそもは白人の街だった。主にユダヤ系、アイルランド系、イタリア系が暮らしていた。今はロサンゼルスを本拠地とするメジャーリーグのLAドジャーズも当時はブルックリン・ドジャーズと名乗り、クラウンハイツに球場を構えていた。偶然にもカリブ海系黒人の大量流入が始まった時期にLAに移り、名物だったエベッツ・フィールド球場も取り壊された。球場跡には大型団地が建てられ、黒人たちが入居した。クラウンハイツに腰を下ろしたカリビアンたちは祖国の食材屋やレストランを次々と開店した。黒人が増えるに従い、白人は共生を拒み、自ら立ち退いた。こうした事態を「ホワイト・フライト(白人の転出)」と呼ぶ。やがてクラウンハイツは、ほぼ黒人のみの街となった。

ニコール・サブランさんは25歳でトリニダード・トバゴからブルックリンにやってきた。母親はサブランさんが10歳の時に島を出、ニューヨークで懸命に働いた。島に残した娘を呼び寄せる努力をしたが、一度はビザの申請書類が紛失されるという不運に見舞われた。やっとのことで呼び寄せがかなった時、サブランさんはすでに結婚し、幼い息子もいた。サブランさんは息子を抱き、夫と共に渡米し、以後ブルックリンに暮らしている。

ニコール・サブランさん。居間の壁には家族の写真やキリスト教絵画。真面目に働き、家族を大切にする移民一家の暮らしが垣間見える

「トリニがどんな島か?……うーん、太陽と、雨と、それからビーチね。あとカーニヴァル。多くの人がカーニヴァルを観にやってくる」

「私は先住民、スパニッシュ、ブラックのミックス。母は先住民とベネズエラのミックスで、父が黒人」

カリブ海人は昔から海域内での移動も繰り返してきた。サブランさんの母方の祖母もベネズエラ人だ。ベネズエラは南米大陸の国でスペイン語圏だが、カリブ海沿岸地域はカリブ海文化も持つ。サブランさんの父親はアフリカからカリブ海に連行された奴隷の末裔だ。

ちなみにトリニダード・トバゴ最大のエスニック・グループは、なんとインド系だ。イギリス統治時代に、やはり当時はイギリスの統治下にあったインドからやってきた移民労働者の子孫たちである。インド系、アフリカ系、その二者のミックスでドゥグラと呼ばれる人々を加えると、島民の8割を占める。サブランさんにはインドの血は流れていないが、インド由来の料理はトリニの郷土料理となっており、サブランさんもそれを食べて育っている。

トリニダード・トバゴの名物料理ロティ。インドのロティ(別名チャパティ)と呼ばれる薄いパンで、肉と野菜をカレー味で煮込んだものを包んでいる

■NYで花開いた、カリブの祭典

このようにトリニダード・トバゴは非常に複雑な文化を持つ。そのカラフルさが一気に爆発するのが、「島民はカーニヴァルのために生きている」とすら言われる、年に一度の盛大なカーニヴァルだ。

トリニダードの先住民はアラワク族と呼ばれる部族で、鳥の羽飾りを多用したと伝えられている。カーニヴァルの衣装はセクシーなビキニトップに原色に染めた羽飾りやスパンコールを存分に縫い付けた、それはそれは鮮やかなもの。音楽はトリニ特有のソカというジャンルがある。これはトリニの古い音楽カリプソにジャマイカのレゲエ、アメリカ黒人のファンク、ラテン音楽などをミックスしたものだ。これらのジャンルには全てアフリカ由来のリズムが通底している。さらに島発祥のスティールパンと呼ばれる打楽器の軽やかにして盛大な連打も聞き逃せない。

ニューヨークに移住したカリビアンたちは、このカーニヴァルを再現した。毎年9月のレイバー・デイと呼ばれる祝日に、総勢100万人とも200万人とも言われるカリビアンがブルックリンに集結し、ウエスト・インディアン・デイ・カーニヴァルを繰り広げる。トリニだけでなく、ジャマイカ、ハイチ、バルバドス、グレナダ、セント・ルシア……島ごとの山車が繰り出され、参加するダンサーたちはきらびやかな衣装に身を包み、沿道の見物人はそれぞれの国旗を振り、1日を踊って過ごす。

「私はニューヨークに来れた時は嬉しかった。誰でも最初は嬉しいもの。でも、一ヶ月もするといいことばかりではないと気付く。働いて、家賃を払って、ご飯を食べていかなくてはならないから」

トリニダード・トバゴは石油と天然ガス産業により、カリブ海諸国の中で最も開発が進み、豊かな国だと言われているが。

「そうは思えないけど。きっと年配の層はそう思っているのかも」

ホームヘルパーとして働くサブランさんは、渡米後に2人の子供を生んでいる。今ではティーンエイジャーに成長した島生まれの長男、小学生の女の子、よちよち歩きの末っ子がいて家庭は賑やかだ。サブランさんに先駆けてニューヨークに移住した母親は今も元気で育児を手伝ってくれる。その母は、いわゆるスープの冷めない距離に住んでいる。

「私はうまくやってる。ニューヨークには母方の親族がたくさんいて、島には父方の親族がいるから冠婚葬祭には里帰りもするし。けれど島に戻る気はない」

「自分を何人(なにじん)と思うかって? そりゃトリニ人! 米国市民権を取ってもトリニ人であることに変わりはない」