ドイツ・ハンブルクの中心部にそびえる勇壮な市庁舎(①)から歩いて15分余。エルベ川のほとりの港に2017年にオープンした新名所のコンサートホール「エルプフィルハーモニー」(②)に到着した。
高さ110メートルの美しい建物は、完成が7年も遅れて建設費が7億8900万ユーロ(約960億円)に膨れあがり、市民の批判の的になった。ただ、この批判を生かして計画されたのが、幻となった24年の「ハンブルク五輪」。市の再開発とセットで計画され、既存施設も積極的に活用し、大幅なコストカットを実現する構想だった。20年の東京五輪で新国立競技場の建設費が問題となったように、五輪の開催費用の高騰は世界中で問題視されており、24年の候補都市も相次いで撤退を表明していた。当時、ハンブルクスポーツ協会の会長だったユルゲン・マンテル(75)は「計画は時代を先取りしていた」と振り返る。
高さ37メートルにある展望台に上ると、港が一望できた。大きな貨物船が何隻も停泊し、港湾都市の雰囲気がひしひしと伝わる。すぐ近くの対岸には、五輪のメイン会場の建設予定地(③)だった場所も見えた。
ところが、15年に住民投票で五輪招致への賛否を問うと、反対が51.6%と賛成の48.4%を上回った。欧州では、住民投票で否決されて五輪招致から撤退する事例は少なくない。だが、ドイツは国際オリンピック委員会(IOC)会長であるトーマス・バッハの母国。しかもハンブルクは事前調査で賛成が大きく上回り、承認は間違いないとみられていた。当時、数少ない反対派とされていた住民団体のディルク・ザイファート(59)でさえ、「正しい決断だったと思うけど、私も含め、誰も否決されるとは思っていなかった」と打ち明けたほどだ。
展望台を離れて東に向かうと、3階建ての建物(④)が見えた。中東などからドイツに逃れた難民を保護する施設だ。難民らしき人々が出入りするのが見えた。ドイツは難民に寛容で、街には同様の施設が多くある。
しかし、15年はパリなどでテロが相次ぎ、市民の不安が高まっていた。国際サッカー連盟(FIFA)の汚職やドーピング問題が明らかになり、スポーツ界への不信感も広がっていた。そんな時代の空気が、一気に「反対」に針が振れる結果を招いたと言える。
もっとも、推進役だったマンテルも「本当に残念だが、住民が決めたことなので仕方がない」と理解している様子。五輪撤退後も、都市計画として有用なものは改めて議論し、いまも活用されているものがあるという。徹底的に議論し、住民の手で重要な問題の是非を決めてもらう。展望台から見た予定地の風景を思い浮かべながら、民主的な手続きを大切にする姿勢に拍手を送りたくなった。
■「本家」の人気ハンバーガー
日本人にも身近な食事のハンバーガー。その源流は、ハンブルク港の船乗りたちに売られていた「Hamburger Rundk(ハンブルクの丸いものという意味)」だ。パンを半分に切り、牛肉のステーキと目玉焼きを乗せたファストフードで、19世紀の終わりに米国に伝わって進化。名前も省略されてハンバーガーになった。
最近は「本家」でもハンバーガーが見直され、ご当地ブランドの牛肉などを使ったこだわりのハンバーガー店が次々と誕生して人気を呼んでいる。1973年に誕生した老舗の「ジム・ブロック」は、有名ステーキ店「ブロックハウス」の牛肉が安く食べられるのが売りの一つ。一見、普通のファストフード店のようだが、奥の厨房から肉を焼く香りが漂い、食欲をそそる。ドイツらしく、ビールも飲める。注文したのは、きのこバーガー。柔らかいパンの中に、しっかりとした肉感と味の強さがあるのが特徴だ。これで7ユーロ(840円)。ぜひ日本にも欲しい。
■二つのプロサッカーチーム
ハンブルクにはハンブルガーSV(HSV)とザンクトパウリという二つのプロサッカークラブがあるが、同じ街にあるクラブとしては珍しく対立が少ない。両方のファンと言うハンブルク市民も少なくない。HSVはドイツ1部リーグが誕生した頃から強い伝統チーム。どくろマークが有名なザンクトパウリは、たびたび大番狂わせを起こすクラブとしてドイツ全土で人気がある。ただ、いずれも最近は低迷し、今季はドイツ2部だ。
HSVには、日本代表で活躍した高原直泰や酒井高徳が所属したことがあり、日本人と縁が深いクラブでもある。ザンクトパウリにも2015年から宮市亮が所属し、活躍している。ホームのスタジアムであるミラントア・シュタディオン(⑤)は、ハンブルク五輪でも使われる計画だった。