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あと何年生きられますか 余命という究極の予測、正しく理解するには

World Now
日本サイコオンコロジー学会が開いているコミュニケーション技術研修の様子。模擬患者と医師とが実際に会話をし、その対応がどうだったかを細かく検討していく

「もう少し目線を患者さんに向けた方がいいのでは」「悪い話に入っていく前に『よくがんばりましたね』と声をかけてはどうか」――。

9月上旬、東京都内の医療機関の一室では、医師たちが模擬患者に「悪い知らせ」を伝える研修に臨んでいた。たとえば「次の薬を試したい」と言う模擬患者に「もう改善は見込めないため、抗がん治療は中止する」という方針をどう伝えればいいのか。議論は白熱した。

主催したのは、がんの心への影響などを研究する日本サイコオンコロジー学会だ。2007年度からこうしたコミュニケーション技術の研修会を開いている。この日の研修に参加していた兵庫県立丹波医療センターの外科医、美田良保さん(45)は「医療者の考え方と、患者さんの受け止め方との間にはギャップがあります。これまではなるべく客観的に病状や病態を伝える方がいいと思っていましたが、声のかけ方ひとつで受け止め方は変わってしまうということを実感しました」と振り返った。

研修では、参加した医師たちが「難しいですね…」「これだと、もう来なくなっちゃうかもしれませんね」などと悩んでいる場面もあった。がんの治療では、病名告知や、転移の告知など、悪いニュースを伝えなければならない場面も多い。だが、それを患者がのみ込めるとは限らない。医師とコミュニケーションがうまく取れず、医療不信から病院に来なくなるケースは実際に起きている。

医療者が十分に情報を伝えたうえで患者の治療への同意を得る「インフォームド・コンセント」が重視されるようになった結果、医師から患者へはさまざまなデータが伝えられるようになった。だが、専門教育を受けた医師とは違って、患者の多くは統計やデータに慣れているわけではない。悪い知らせとなれば、気が動転してしまって内容を正確に解釈するのが難しい場合もある。余命も、受け止めが難しいデータのひとつだ。

そもそも、知りたいだろうか。「日本でのがんの患者さんを対象にした2007年の研究では、『知りたい』が5割で、『知りたくない』が3割。受け止める患者さんやその家族の心の負担も大きいので、伝える側の配慮も必要です」。学会の理事で、臨床心理士の二宮ひとみさん(50)はそう言った。

余命は統計データで示されることが多い。よく目安とされる「生存期間中央値」は、過去の調査対象になった患者データを生存期間順に並べたときに、ちょうど真ん中にくる人の値。言い方を変えれば、調査対象の患者グループの半数が亡くなるまでの期間と言える。

治癒率の目安として使われる「5年生存率」は、同じような状況にあった調査対象のうち、5年以上生きた人の割合だ。がんの場合、一般的にはがん以外の死因で亡くなる確率を補正し、がんによる影響を明確にした「相対生存率」が目安として示される。

ただし、どちらも誰か個人についての決定的な予測ではない。あくまで過去の患者グループに対する調査にもとづいて割り出した代表値でしかない。個別の患者の予後を予測するものではないのだ。

誤解を避けるため、余命を伝えない医師も多いという。学会のコミュニケーション技術研修会でファシリテーターを務める水戸済生会総合病院の外科医、高久秀哉さん(49)も「余命は聞かれない限り話しません」と言う。仮に生存率20%などと伝えても、「自分はその20%に入るのか」という患者の問いには答えられないことが多いからだ。

代わりに「1カ月後に会社に復帰する」「3カ月後に子どもの結婚式に出る」といったように、患者の希望に耳を傾ける。病状を踏まえて「旅行なら年内がいいですよ」などと伝えれば、患者も受け止めやすい。「いつまで生きるか」より「どう生きるか」に目を向けるのだ。「目先の目標をクリアしながら、結果的に長く生きられればいいんです」

米国エモリー大学でがん治療を研究する大須賀覚さん(40)も「予後は、病気だけでなく患者さんの年齢や体力に影響される。正確な値にはなりにくく、誤解を与えることが多い」と言う。

米エモリー大学でがん治療を研究する大須賀覚さん

だが、ネットや書籍などには「これをして余命宣告よりも長く生きた」といった代替療法の宣伝や体験談がある。それらを信じてしまい、効果が確認されている病院での標準治療をやめ、高額で効果が不透明な代替療法に手を出す人もいるという。「余命宣告より長く生きる患者さんは、一定の割合で常に出る。それを安易に効果と思ってはいけない」と指摘する。標準治療をあきらめて代替療法を選択すると、結果として早期に亡くなるという研究結果も出ているという。

医療研究の高度化と細分化が進み、医療者の持っている知識と、患者側が持っている知識には大きな開きができている、と大須賀さんは指摘する。がんという病気は非常に複雑だ。厳密に説明しようとすればするほど、根拠にこだわればこだわるほど、話は複雑になる。

ところが人間は、ものごとを単純な筋道で理解しようとする生き物だ。がんになったと聞けば「タバコを吸わないのになぜ」とか、「○○をしたのがいけなかったのか」などと考えてしまいがちだし、「○○をすれば治る」といった分かりやすい代替療法の宣伝にひきつけられてしまう。余命についても、それが意味する細かな定義よりは「○年」の方に頭がいく。それが誤解のもとになる。

「患者さんは、複雑な治療のすべてを知りたいわけではない。患者さんのニーズに合わせた情報をうまく選び、その意味を分かりやすく伝えられるコミュニケーターが求められている」と言う大須賀さん。自身もブログ(http://satoru-blog.com)で、がん患者に向けた情報発信を続けている。「がん治療は急速に進歩していて、がん種によっては、いまから5年後の治療は大きく改善するはずです。患者さんは、それも頭に入れて前向きに治療に向き合ってほしい」と訴える。

余命も含めて、いまの予測の多くは、過去の経験に学んでいる。だから誰も見たことのない未来を予測することはできない。

一方で病気や災害から人々を救い、未来を少しでもよくしようと働いている人たちがいる。50年前に50歳代だった世界の平均寿命は、いま70歳超。100年前にはとても考えられなかっただろう。

予測しつつ、いい意味でそれを裏切る。それが人類の進歩の歴史だ。