■私のON
米プロ野球大リーグのコロラド・ロッキーズが持つマイナーリーグのチームで、専属の公認アスレチックトレーナー(ATC)をして3年が過ぎました。けがをした選手の応急処置やリハビリ、治療中の指導、試合復帰の判断や助言などをする仕事です。
米プロ野球は、頂点の大リーグの下にあるマイナーリーグが、3A、2A、A+、A、A-、アドバンストルーキー、ルーキーの7階級に分かれています。ロッキーズは全階級に傘下のチームを持ち、ATCは基本1チームに1人(大リーグは3人)の狭き門。一度職に就いたらなかなか辞めないため、求人はほとんどありません。私の一つ上の先輩でもキャリアは5年も長いです。3AのATCは今年で19年目ですからね。
1年の契約を毎年更新する雇用形態となっていますが、よほど大きなミスを繰り返さない限り、契約は更新されるため、どんなに腕がよくても、上のリーグへの昇級の機会は多くありません。その結果、給与は勤務年数に基づく年功序列制となっています。1年の年俸を12カ月で割った額を月給として受け取ります。
米国の大学や大学院で、ATCに必要な解剖学、傷害評価法、栄養学、生理学などの専門知識を学び、実際にインターンを何度もしながら技術も習得しました。米国の団体による試験に合格して公認資格をとった後、日本への帰国を覚悟しつつ、ダメ元で大リーグ全30球団に履歴書を送りましたが、ロッキーズに採用された時は自分でも驚きました。
2017年にドミニカ共和国にある最下層のルーキーリーグ(ドミニカン・サマーリーグ)に配属されましたが、翌18年、たまたま空席となった2Aチーム・ヤードゴーツ専属のATCに一気に昇級しました。ヤードゴーツの本拠地は、米国コネティカット州の州都ハートフォードです。ロッキーズ傘下の各チームは拠点がそれぞれ異なります。小さい子どもなど家族のいる先輩たちに転居を強いないよう配慮した球団が、私に声をかけたのです。まさに、奇跡でした。
幸運を喜びましたが、本当は不安の方が大きかった。大リーグに手の届きそうな実力のある選手たちのケアを1人でやらないといけません。遠征のないドミニカン・サマーリーグと異なり、2Aは遠征試合が多くあります。ATCの本業とは関係ないホテルの部屋割りや会計管理などの事務業務も担当します。通常2Aは10年からの経験があるATCが多いのに、技術も経験も未熟で1年目を終えたばかりの自分でいいのか心配でした。
ケアや復帰時期の判断を間違えれば、選手生命に関わります。
実際、2Aで1季目、試合中にハムストリング(太ももの裏側)をけがした選手をケアしました。再発しやすいけがなので、まずは休養をとらせ、徐々にリハビリをさせましたが、1週間後にはフルスピードでベースランニングができるまでになったので、復帰にGOを出しました。その復帰試合で再び同じけがをしたのです。中心的な選手で、このシーズン中にメジャーも狙えそうな成績を残していた。結局、このシーズンを潰してしまったので、選手は悔しくて泣いていました。判断を間違ったと反省しました。
責任重大な仕事なので、常に各選手の体の動きを注視し、頻繁に会話をすることで、いち早く異変や異常を見つけるように気を配っています。何でも話してもらえるような雰囲気をつくることにも努めています。オフシーズンでも毎月、各選手に電話をして体調を聞くようにしています。分からないことがあれば、先輩のATCに電話で問い合わせるなどします。
常に緊張が伴う仕事ですが、そんな時、心配りが国民性の日本人に生まれてよかったと実感します。選手が何を考え、どんなことを望んでいるのか、痛みを隠していないかなど、日本人だからこそ気づいてあげられることもあると思っています。判断ミスもこれまで1回だけです。その選手も今季はメジャーで何試合かプレーしました。
学生時代から苦労した英語も仕事をしているうちに容赦なく身につきました。選手の状態を把握するには、何よりもコミュニケーションが欠かせないですからね。ATCや選手ら先人の努力や功績の蓄積もあって、日本人はよく働いてくれるという認識が米プロ野球の球団にはあります。もしこの職業がしたいのであれば、日本人らしさを忘れずに、目の前の仕事や目標に一生懸命とりくむことが肝心です。おかげで私も、4年目の来季の契約を更新できそうです。
■私のOFF
4~9月のシーズンのたびに、本拠地ハートフォードでアパートを借ります。シーズン終了後は2月のキャンプ開始までの間に約4カ月の休みがとれます。そこでアパートを引き払い、荷物をレンタル倉庫に入れて日本に帰国します。1年契約ですから、毎年ビザの更新をしないといけないし、やはり日本にいるとほっとするからです。これを毎年繰り返すので、ちゃんとした住所がない。まるで移住民のようです。
18年1月に結婚した妻が来春、出産を控えています。アメリカで出産する予定です。子どもが生まれたら、こんな生活でいいのか、未来が見通せません。しかも、出産はちょうど来季の開始時期と重なってしまいます。
その妻とは恋人時代から一緒に旅行を楽しんできました。ドミニカン・サマーリーグで1年目のシーズンが終わった17年夏、ドミニカ共和国のボカチカというビーチリゾートで、妻にプロポーズした旅行が一番記憶に残っています。事前にカメラマンを雇い、プロポーズすることは妻に内緒でビーチサイドでひざまずき、「Will you marry me?」と言いました。その後に婚前旅行という形で、同国のプンタカナという観光地に行ったのもいい思い出です。
子どもが誕生したら妻との旅行もなかなかできなくなるでしょう。それでも子どもを授かること、父親になることを今は一番楽しみにしています。(構成=山本大輔、写真は水谷さん提供)