■一度も日の目を見なかった高速増殖炉
蛇行して流れる欧州の大河ライン川が見えたと思ったら、すぐに後ろに消え去った。高さ60メートルほどだろうか。足元を涼しい風がびゅうびゅう吹き抜ける。緑の農地の先には風力発電の白い風車。やがて視界が灰色のコンクリートの壁に覆われた。記者が乗る空中ブランコが次第に高度を下げ、巨大なコンクリートの塔に吸い込まれたのだ。興奮した子供たちが吹き鳴らす口笛が壁面にこだまする。みんな足をバタバタさせながら、スピードとスリルを楽しんでいた。
ここはオランダ国境にほど近い遊園地「ワンダーランド・カルカー」。ドイツ西部の主要都市デュッセルドルフから車で1時間の距離にあり、6月下旬のこの日は、ドイツの祝日ということもあって大勢の家族連れでにぎわっていた。
遊園地は、「夢の原子炉」とも呼ばれる高速増殖炉の跡地。空中ブランコは、高さ約55メートル、直径約40メートルの巨大な冷却塔の中にある。外壁には、ぐるりと雪山がペイントされており、敷地の外からでも目立つ。
この高速増殖炉は、旧西ドイツとオランダ、ベルギーの3カ国が、1973年から総額80億ドイツマルク(約5000億円)もの巨費を投じて建設したが、一度も運転されないまま、91年に閉鎖が決まった。運転開始の直前になって、反原発の立場だった地元の州政府が燃料の搬入などに必要な認可を出さなかったことや、86年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を受け、地元住民、特に風下にあたるオランダ国民の反対運動が強まったことが理由だという。
2011年の東京電力福島第一原発事故後、ドイツが22年末までの「脱原発」を決めたのも納得できる話だ。
原子力施設を遊園地に生まれ変わらせるという、驚きのアイデアを思いついたのは、その後、施設を買い取ったオランダ人実業家。ほかにも、閉鎖された古い病院や給水塔を買い取ってレジャー施設やレストランとしてよみがえらせた経験がある。
■「エナジー・ファクトリー」
カルカーの高速増殖炉は、敷地全体で計55ヘクタールと、サッカーのピッチに換算すると約80面分の広さ。この実業家が買い取った物件の中では最大の規模で、ホテルやイベント会場も備えた本格的なレジャー施設に作り替えた。1人20~30ユーロ(2400~3500円)ほどの入場料を払えば、遊具が乗り放題で、フライドポテトやアイスクリームも食べ放題。毎年約60万人が訪れる遊園地のキャッチフレーズは「エナジー・ファクトリー」。思い切り遊んで、元気になって帰ってほしいとの願いが込められているという。もちろん、運転せずに閉鎖されたので、被曝(ひばく)の心配はないという。
園内を歩いてみると、冷却塔のほかにも高速増殖炉の名残があちこちにあった。かつて炉心が置かれた巨大な旧原子炉建屋は、まるで廃虚のよう。内部の配管などは鉄くずなどとして売り、今はがらんどうだという。建屋の前には赤くさび付いた、長さ約9メートルの巨大なタービンが展示され、高速増殖炉だった頃の歴史を伝えていた。
タービンの前にある小さな博物館を見学した家族連れに話を聞いてみた。
6歳の長女の誕生日を祝うために近郊の街から家族で遊びに来たニコル・リストハウス(43)は「子どもが丸一日遊べるから、これまで3、4回は来ている。原発は使用済み燃料の処分地がほとんどの国で決まっていないし、安全とはいえないからドイツの選択は正しかったと思う。でも生活するのに電気は必要。子どもたちにはエネルギーのことも考えてほしい」と話した。
■タービン建屋、いつかは遊戯場に?
総支配人のハン・グロウトオビンク(58)が興味深い話をしてくれた。
2001年に遊園地部分がオープンして以降、園内に残る高速増殖炉の建物を説明するガイドツアーを行ってきた。ガイド役に声をかけたのが、地元に住む男性2人。高速増殖炉の建設に実際に携わったエンジニアと建設作業員だ。「彼らは当初、とても心を痛めていたよ。そりゃそうだろう。情熱と、長い時間を捧げて完成した仕事が、使われずに取り壊されたんだから。でも数年後に完成した遊園地を見せた。大勢の子供たちに喜ばれている様子も。そうしたら手伝ってくれるようになったんだ」。今でも不定期にガイドとして働いているという。
最後に、グロウトオビンクが、一般の立ち入りを認めていない旧タービン建屋の中を特別に案内してくれた。電動シャッターを開けて足を踏み入れると、遊園地の飾りや建築資材があちこちに置かれ、上を見ると、5階建てのビルくらいはある吹き抜けの空間が広がっていた。柱が太い。むき出しのコンクリートにこつこつと靴音が響く。
「ここは将来、室内遊戯場にするつもりなんだ。外の遊具はどれも機械じかけだろう。ここでは子供たちが自分の手を使って何かを作り出す体験を提供したいね」とグロウトオビンク。「図面は引いてある。あとは資金さ」。そう言って、いたずらっぽく親指と人さし指をこすり合わせた。
さらに狭い階段を下ると、別の広い空間に出た。薄暗い中で目をこらすと、壁には直径2メートルほどの大きな穴がぽっかりと口を開けている。ライン川の水を使った冷却用水のパイプだという。彼の後についてパイプの中へ入ってみた。真っ暗で先が見えない。携帯電話のライトを頼りに歩いた。
数十メートルは歩いただろうか、パイプは途中で直角に折れ曲がり、そこから緩やかな下り坂になった。進むにつれて、はるか遠くに聞こえていた子供たちの歓声が次第に大きくなってきた。途中にあった階段を上ると一気に視界が明るくなり、旧冷却塔の下部に出たことが分かった。園のマスコットキャラクター「ケルニー(核ちゃん)」をデザインした鉄柵の向こうを、アイスクリームを手にした子供たちが歓声を上げて走り回り、ベビーカーを押す家族連れが横切る。スピーカーからは軽快な音楽が流れている。
もし未来が少し違っていたら、ここは部外者が一切の立ち入りを許されない、静寂に満ちた空間だっただろう。今しがた通った真っ暗なパイプが、異なる未来をつなぐ時空トンネルだったような不思議な感覚に襲われた。「ね、クレージーだろう?」。記者の思いを見透かしたようにグロウトオビンクが親指を立てて笑った。