人前でうまく話すには

■「おもんない」と言われて
私が通った京都府の公立小中学校では、みんなの前でいかにうまく話して笑いをとれるかで、クラス内の地位が決まった。「スクールカースト」なんていう言葉が出てくるはるか前のことだが、どのクラスにも、「カースト」の上位にはお笑い芸人のような男子や女子がいた。
小学校3年の時のことだ。休み時間のおしゃべりで、好きな芸能人はだれかが話題になった。「志村けん」「ピンク・レディー」といった名前が挙がる。物心ついた頃から親が見るような映画が大好きだった私は言った。「高倉健」
みんな、静まり返った。クラスメートには耳慣れない名前だった。ボス的な男子は「おもんない」と言い放った。このままでは変人扱いまっしぐらだ。学校では、自分が思っていることをそのまま口走ってはいけないのだと思うようになった。
大勢の前でおもしろいことを言うのが苦手な私は、次第に口数も少なくなった。そうした子ほどまじめに見えたのか、何度も学級委員に、また中学・高校とも吹奏楽部の部長に選ばれた。「静かにしてください」「練習しましょう」とみんなに呼びかけなければならないのは苦痛でしかなかった。部活では「一番練習する私」になって雰囲気をつくろうと、黙々と練習に打ち込んだ。まるで「不器用ですから」の高倉健だ。
取材したことを文字で表す新聞記者という仕事を選んだのも、苦手意識と無縁ではない。でも、年を経るにつれ、社内研修や学生への講義などで、人前で話す場面は増えるばかり。避けてはいられなくなってきた。
■ヒラリーも苦労している?
ともかく手がかりを求め、本場・米国へ。最高峰のスピーチを聞いてみよう。
米国ではいま、11月の大統領選に向け、候補者の座を争う人たちが舌戦を繰り広げている。アイオワ州デモインで開かれた、民主党政治家を招いた集会には、ヒラリー・クリントン(68)や、上院議員のバーニー・サンダース(74)が登壇した。
ヒラリーの話はとても論理的だった。「全米で最も影響力のある100人の弁護士」に選ばれ、国務長官も務めただけに、安定感もある。でも、ユーモアを交えようとして、不自然な間があく。質問に答えるタイミングも、ややぎこちない。一方、リラックスした感じでジョークを連発したサンダースは、何度も爆笑を巻き起こした。
ヒラリーのスピーチは受けていないのか?
現職の米副大統領ジョー・バイデンらのスピーチライターを務めたジェフ・ナスバウム(40)に首都ワシントンで聞くと、「彼女は感情をこめず、聴き手の頭に訴えようとするタイプだ」。つまり、個人と対話するように、率直に聴衆に語りかけるようにするという点では難があるらしい。
「一般に、政治家や企業経営者らは完璧な自分を見せようとして、『これは言えないよ』『無理だ』と率直さに尻込みしがちです」。ナスバウムは言った。
帰国後、米国のスピーチ事情に詳しい明治大学情報コミュニケーション学部教授の鈴木健(55)を訪ね、さらに分析を聞いた。「米国は格差拡大への不満が高まっている。すごい経歴のエリートが『上から目線』で行動を促すスピーチより、聴衆と同じ目線で物語や価値観を語る『共感』を入り口とする方が、受け入れられやすくなっている」
ヒラリーのスピーチは、だから受けづらいということか。
では、移民排斥といった過激な発言で旋風を巻き起こす実業家ドナルド・トランプ(69)はどうなんだろう。
「米国の政治は、政策論争ではなくパフォーマンスの時代になっている。支離滅裂にさえ見えるトランプのスピーチが受けているのはそのためですね」
初心者にはついていけない方向に進んでいる気がする。まずは、本場の王道を学ぶことにしたい。
■スピーチ教室で「ダメ出し」の嵐
米ロサンゼルスに赴任していた2014年までの3年間、どんな場面でもうまくスピーチする米国の人たちはまぶしかった。支局長だったこともあり、会合などであいさつをふられることもあったが、冷や汗をかきながらなんとか切り抜けてきた。
彼らのような流儀を身につけたら苦手を克服できるかも。そう思い、ネットでみつけた東京・吉祥寺のスピーチアカデミーに昨年から通っている。
主宰するのは、米国人リチャード・ハン(59)。ハワイ大学でスピーチコミュニケーションを専攻し、全米大学スピーチ大会でも優勝したそうだ。本場の先生ならノウハウも豊富なはず!意を決して飛び込んだ。
授業はほぼ、立ったまま受ける。腹式呼吸でよく通る声を出せるようにするため、とのことだ。スポットライトの当たる演壇に立って、聴き手の受講生たちを見渡すだけで、心拍数が上がった。
講義もそこそこに実演へ。私は5分間スピーチの練習で、中米ニカラグアに出張してオルテガ大統領に運よく単独インタビューできたてんまつを語り、「記者は現場が大事」と結んだ。
すかさず「ダメ出し」された。
「具体的でおもしろかったけど、記者でない我々にどう関係があるの?」
「左に目線を向けていない。左側の人は『自分には語りかけていない』と感じたかもしれないね」
「演壇の後ろで足踏みしていたよ」
聴き手がどんな人で、内容や話し方をどう感じるか。話すのに精いっぱいだった私には思いもつかないことばかりだった。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスに由来するという「うまいスピーチに大切な3点」も教わった。話す内容と話し手自身、そして聴き手。この三つが三角形のように互いにかみ合うのが理想的なのだそうだ。
リチャードの教室で学ぶのは、学生時代も社会人になってからも習ったことがないノウハウばかり。米国では、なぜこんなに発達してきたんだろう。
米サンフランシスコに向かい、日本人の顧客ももつスピーチトレーナー、フォンタ・ハドリー(40)に聞いてみた。
「人前で話す力は、米国ではサバイバルスキルなのです」
だれもが小学校から習い、磨いていくものだという。多くの大学でも必修科目になっている。
大学の教科書として30年以上も版を重ねてきたスティーヴン・E・ルーカス著『アート・オブ・パブリック・スピーキング』を取り寄せた。
「話題の選び方」「話の始め方と締めくくり方」「聴衆の分析法」などが、約400ページにわたって詳しく書かれている。
「うまく話す能力はとても大切。就職試験の面接でも求められることが増えています。ネットが盛んな今もその必要性は変わっていません」。冒頭、学習者に迫っている。米国で生き抜くには、話す力が欠かせないってことか。大変そうだ。
■カリスマが築いた技術
米国でスピーチ文化が育まれた歴史を調べていくうち、巧みな話術でビジネスマンとして大成功した「伝説の人物」の存在が浮かんできた。
スピーチ術の先駆者と言われるデール・カーネギー(1888~1955)。20世紀初頭、せっけんなどを売る営業マンとして財を築き、当時は聖職者や政治家などの知識だったスピーチ術を、一般に広めた。著書『人を動かす』は、経営者や起業をめざす人たちが読み継ぐロングセラー。投資家ウォーレン・バフェットも教えを受けたという。
当時の米国は、見慣れた人たちとつき合う農村型社会から、都市型社会へと重心を移しつつあった。見知らぬ人たちの前で自分の能力を示す必要が高まり、スピーチ術が大切なスキルになっていったようだ。
だが、21世紀になり、「カリスマ営業マン」のモデルも陰りを見せる。スピーチ術が偏重されていることへの疑問の声も増えている。
元弁護士スーザン・ケインの著書『内向型人間の時代』が2012年、米国でベストセラーになった。ケインは、外向的で話すことが得意なリーダーが、ほかの人のアイデアをうまく生かせないといった失敗を気づかぬうちにしている、と指摘。話すことが苦手なことの多い「内向型」の人たちが秘める潜在力の高さに注目すべきだと訴えている。
そもそも、米国人の約4割は人前で話すのが死ぬより怖い、という驚きの調査もある。
14年には、スピーチイベント「TEDxニューヨーク」の一場面が大きな話題になった。
コメディアンの男性が舞台に現れ、「話す中身は何もない」と終始言い続ける。巧みな身ぶり手ぶりと声の抑揚で、まるで「すごいこと」を言っているかのよう。スキルに走り過ぎている米国を皮肉ったパフォーマンスに、会場は、沸いた。
内容がなくても力のあるスピーチができるって、ちょっと怖い。技術は大事だけれど、中身があってこそじゃないのだろうか。
■社会が求めた話し手
アジアにも、17歳にして、スピーチで数万人もの心をつかんだ青年がいる。そう知って、4月上旬、香港に行った。
中国に返還後も「一国二制度」の下、一定の自由が保障された香港。だが14年、中国当局の意向に沿った選挙改革案が示され、学生らが反発した。「雨傘運動」として知られるその民主化運動を高校生にして率いたひとりが黄之鋒(ジョシュア・ウォン)。彼はどんな風に語ってきたのだろう。
9月の立法会(議会)選挙に向け、彼らのグループが新党を立ち上げた4月10日、黄に会うことになった。記者会見の数時間前、かつて学生が座り込みを続けていた香港政府本部の前で待ち合わせた。警報が出るほどの豪雨。警察の催涙ガスを防ぐため使われたシンボルの雨傘が今もならぶ路上で、傘をさして待った。
「遅れてごめんなさい」。日本語に振り向くと、彼だった。片言の日本語を覚えたという。新党のロゴ入り名刺を差し出し、英語で言った。「この名刺を渡す記者は世界であなたが初めてですよ」。早口で、ややとつとつとだが、心憎いせりふにうれしくなった。
大勢を率いるようなスピーチ、どんな苦労や工夫をしているのですか?
「僕は市民を率いているのではなく、あくまでその中の一学生。だからみんなの不安がわかる。それを共有し、自分の物語や人となりを出すようにしている」
「欧米の人に話す時は、人権や法秩序の大切さ、司法の独立を強調する。でも香港では、香港人のアイデンティティーを呼び覚まそうとしている。社会のコンテクストに合わせないといけない」
例えば?「『僕はいま19歳です。51歳の頃には一国二制度が保障されなくなります。僕の子どもたちの世代が、同じ香港に生きられることを望んでいます』。具体的に思い描けるようにメッセージを伝えているんだ」
1997年まで通算150年あまり、英国の植民地だった香港は、70年代まで公用語は英語だけ。英語で話す教育は知識層を中心になお続いている。
黄は言う。「特に返還後は、デモや集会が毎年のようにある。だから親中派も民主派も話し慣れているよ」
だが、香港大学で教える米国人の友人に会うと、こうも言っていた。「雨傘運動の時、学生に意見を言ってもらおうとしたら、なかなか声が上がらなかった」
中国当局の「締めつけ」が厳しくなるなか、「いい仕事や家族をもつ私たちには言いたくても言えないことも多い」と、米通信社に勤める30代の香港人女性記者は言う。「なのに若い黄が言ってくれている。だから彼はアイドルなんです」。変化の時代に現れた「申し子」として、彼のスピーチは人々に受け入れられた、ということだろうか。
■ニッポン特有の問題
福沢諭吉がスピーチを「演説」と訳して1世紀以上。なのに日本ではいまだに、人前でうまく話すための技術がなかなか広まらない。なぜだろう。
約5年前に発足した日本プレゼン・スピーチ能力検定協会の理事長、荒井好一(68)に聞いた。「小中学校でいきなり人前で話しなさいと言われ、アガって失敗した痛い経験しか積まず、トラウマばっかり抱えているからですよ」。まさに、私だ。
広告会社を役員定年した2009年、荒井はソーシャルメディア「mixi(ミクシィ)」で若い会社員たちと交流し、思った。「知識も教養もすばらしいのに、人前で意見を言うとなると臆する人が多い」。自身のプレゼン経験をもとに教え始め、協会を立ち上げた。
日本では度胸や経験が大事と言う人も多いが、「下手なまま場数を踏んでも、聴くにたえない場合がほとんど」と荒井は言う。たしかに、校長先生の朝礼のあいさつも結婚式で聞いた新郎新婦の上司の祝辞も正直、退屈なものが多かった(苦手だと言っている私が、本当に申し訳ありません)。しかも、えらい人だけに、指摘はされにくい。
協会の講座にお邪魔すると、「来たからには藤さんも発表を」。では米国流が受けるか試してみよう。リチャードの教室での発表を日本語で実演してみた。だが、聞いてくれた受講生たちは戸惑ったような表情。荒井さん、どうでしょう。「ちょっとドラマチックすぎるかな」
えぇっ、そんな。毎週リチャードのもとへ通っている努力はいったい……。
日本の企業経営者らに教えるスピーチライター、蔭山洋介(35)に聞いてみた。「言語は文化そのもの。美的感覚は日米で全然違う。『強い私』を日本人がぶつけると、無理をしているように見えて、強烈な違和感を与えるのではないでしょうか」
では、どう変えたらいいのか。「説得力があるように原稿を書き、話し方も考えるという点では日米に大きな違いはない。でも米国ではレディー・ガガ風に仕上げても、日本ではきゃりーぱみゅぱみゅ、またはユーミン風にするといい」
会社員は終身雇用が当たり前ではなくなり、転職や勤め先の合併で、見知らぬ上司や同僚と突如机を並べることも増えた。なんでも「以心伝心」とはいかなくなっている。「新しいコミュニケーションを支える技術の一つとして、日本でもスピーチ術が開発されないといけない」と蔭山は言う。
■「対話」の言葉をみつけよう
鳩山由紀夫元首相のスピーチづくりにも携わった劇作家の平田オリザ(53)が、この問題に取り組んでいると聞き、訪ねた。
日本は価値観の近い人たちが何となく「わかり合う」「察し合う」文化。だから価値観が違う人に自分の考えや意見を説いたり、価値観をすり合わせたりするための言葉も育まれてこなかった、と平田は言う。
オリザさん、ではどうしたらいいんでしょう?
「そうした言葉をつくるには30~50年かかるでしょう。でもそうも言っていられないので、自分たちの弱点を理解したうえで身につけていくしかありません」。平田は、異なる価値観や文化背景をもった人たちと出会った時に「どうにかする力」を「対話力」と呼び、それを育てるためのワークショップを全国の小中高校や大学、企業などで重ねている。
東京芸術大学でのワークショップをのぞいた。1年生から大学院生まで約50人が、与えられた役割を演じながら、同じ言葉でも人によって解釈が大きく違うことなどを学んでいた。英国はすでに、スピーチ力を育む土台として、こうしたワークショップを教育に取り込んでいるという。
「対話力」は小学生の頃から少しずつ身につけるのが理想だそうだ。でも、そんな機会がなかった私たち世代はどうすれば?
「たとえば、男性が多い企業では、女性や年下の意見をできる限り尊重する風土をつくってはどうでしょう。上司や年長者は最後まで聴くことが大事です。話しやすい環境にできるかどうか、中高年の男性が一番、気をつけないといけないでしょうね」
英語なら、相手が男性でも年上でも、言葉づかいを大きく変える必要はない。思えば、私がスピーチをまず英語で学んだのも、言い方を気にせずに済んで気が楽だと感じたためでもある。
「高倉健」と言った小3のあの日、「だれそれ?教えて」と聞いてくれる友だちが輪の中にいたら。いやその前に、こんな映画見たんや、だから親よりも年が上の高倉健のファンになったんやで……と、その場で少しでも口にできていたなら。人前で話すことに、私ももっと前向きになれていたのかもしれない。
私は女性であるとともに、気づけば年下ばかりに囲まれる場面も増えた。だれもが持っている「伝えたい」という思いを、私も周りの人も解き放てるようにしたい。
米大統領選候補の予備選が始まった2月、サイト「ワトソンを大統領に」が米メディアをにぎわせた。
ワトソンは米IBMが開発を進めるコンピューターシステム。人間が日常で使う自然言語を理解して質問に答えられる。「最も客観的で生産的、党派も超えた『彼』こそ大統領にふさわしい」と作曲家らが推薦している。1秒に8億ページの速さで、複雑な世界情勢や古今東西の知識も蓄えられる。
しかし、日本IBMのワトソン・マーケティング・マネジャー、中野雅由によると「自分で考え、意思をもって勝手にしゃべることはありません。問いかけの内容を解釈して膨大な情報から最適な情報を選び、答えを返すんです」。単独でのスピーチは非現実的なようだ。
ただ、応用ソフトを使えば、聴き手が満足しているか怒っているのか判断でき、それを人に伝えられる。スピーチする大統領のいい「側近」にはなれるかもしれない。
ナチスを率いたヒトラーを「20世紀の名スピーカー」と呼ぶ専門家もいる。ドイツでヒットし、6月に日本で公開される独映画「帰ってきたヒトラー」も、現代によみがえったヒトラーが巧みな弁舌で人々を魅了するさまを描いている。
だが、彼の約150万語を分析した高田博行・学習院大学教授は言う。「すごいスピーチで、常に聴衆を熱狂させたというのは神話です。それこそナチスのプロパガンダにひっかかっています」
オペラ歌手から発声法を学び、群集心理も研究したヒトラーは、世界恐慌で失業者があふれた社会の不安をあおった。各地で重ねた集会は「お金を払ってまで見に来る人がいた」ほどだ。
だが、総統となり、スピーチを聴く義務が課せられると、冷めていく人もいた。「人は強制されると拒否反応を起こす。自発的に聴きたいという心がない時、スピーチは力を失うのです」