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世界で進むSNS規制 いま何が起きているのか、専門家に聞いた

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山本達也・清泉女子大学教授

――フェイスブックなどのSNSが一般に普及して10年ほどになります。世界各地でいま、SNSを含むネット空間に対する政府のコントロールが目立ちますが、過渡期なのでしょうか。

2008年ごろからツイッター、フェイスブック、ユーチューブなどのソーシャルメディアが世界的に普及し、非民主主義国の一部では政府と国民との力関係が逆転する現象が起きました。フェイスブックがアラビア語にも対応するようになり、エジプトでSNSを駆使した若者たちによる反政権運動が08年に起こります。それが11年の『アラブの春』の原動力となり、アラブ各地での民主化運動へとつながっていきました。

インターネットが登場したころ、ネットが普及していけば、人々が世界に向かって言いたいことを主張でき、政治は悪いことができなくなり、社会がよくなるのではないか。そんなバラ色の未来を描いていたような気がします。ひょっとしたら我々は過度な希望をもちすぎたのかもしれません。 

カイロのタハリール広場で、「ムバラク政権打倒」の気勢を上げる市民たち=2011年2月、越田省吾撮影

――ネットというツールを得て我々の暮らしは劇的に変わりましたが、社会はそれほど良くなっていない、と。

国際的な共同調査である『世界価値観調査』のデータを分析すると、興味深い結果が出ました。『アラブの春』後、エジプトではすべての世代において、非民主的であっても強いリーダーを持つことが好ましい、ととらえる人が大きく増えました。隣国のリビアやシリアのようになるくらいなら、非民主的な大統領でも強いリーダーの方がまし、という考えなのでしょう。エジプトでは最近、ネット活動家の投獄や反体制運動の非合法化、昨年8月の『反サイバー犯罪法』成立などネット規制が強化されています。

一方、『アラブの春』を経験していないモロッコではほぼ横ばいか、世代によっては非民主的な強いリーダーを悪いものだととらえる人が増えています。SNSというツールを手にして社会の変革を起こした体験があるにもかかわらず、国民はそれを自らの意思で手放そうとし、想像していた社会とは違った方向に進んでいるのです。 

――2013年に米国家安全保障局(NSA)による個人情報の大量収集の事実を、エドワード・スノーデンが内部告発し、民主主義国でも自由でオープンなネット空間が確保されていたわけではなかったことが判明します。

それまでネットと政権の距離を巡る考え方は、非常にシンプルな構図でした。政権にとって不都合な情報をアクセス及び発信できないよう規制したい非民主主義国と、ネット空間は自由でオープンな社会インフラであるべきだという先進民主主義国です。最近はそれほど単純ではなくなってきています

今年4月にスリランカでテロが発生した直後、同国政府はSNSを遮断しましたが、欧米メディアなどでテロ対策のためのネット規制に賛否の声がありました。欧米で規制に賛成する声もあったことは、時代の変化を象徴しています。テロリストによる衝撃的な映像がSNSを介して拡散していき、テロリスト自ら動かなくても勝手に恐怖感を植えつけていく。リクルートも容易になります。それに加担するのはよくないということでしょう。

どの国でも本来、政府の本音は政権批判や不都合な事実は封じ込めたい。テロ対策という大義名分ができたことで正当化され、堂々と規制ができるようになってきています。 

パリ同時多発テロで襲撃されたカフェ=2015年11月、パリ、国末憲人撮影

■ネット規制のハードル下がった

――国家が民主的、非民主的問わず、世界は規制を許容し、国民もある程度、望んでいるということですか。

ネット空間の自由度はエジプトに限らず、世界的に後退傾向にあります。昨年ニュージーランドで起きたモスク銃乱射事件では犯行の様子がフェイスブックで中継され、NZでも規制の議論が進んでいます。こうした二次被害の恐れが、プライバシーを最大限確保したい、自由や表現も守りたいという先進民主主義国の原理的な価値を上回るようになり、社会が規制を許容する方向に動いているのです。そのような社会では監視や通信傍受、規制をする側の政府の方が、国民よりも圧倒的に有利な立場になっていきます。イギリス政府も今年4月、ネット上のテロに関する情報拡散の制限などを提言する白書を出しました。 

――民衆が規制を許容する背景には、テロ以外の要因もあるのではないでしょうか。

一種のSNS疲れもあると思います。より長く、より頻繁にアクセスさせて中毒的にする工夫を凝らして企業が利益を追求していることに、人々が嫌悪感を抱き、距離をおこうとしているのです。

4月のインドネシア大統領選を現地調査しましたが、各陣営はフェイスブックによる活字を使った論理的主張ではなく、インスタグラムでルックスやイメージを押し出すことに注力していました。デジタルネイティブ世代からすると、フェイスブックのアクティブな利用者はもうおじさん、おばさん世代なのです。ファッションのようなはやり廃りがでてきたということはある意味、SNS空間がそれだけ成熟してきた証し。つまりテロに対する単純な拒否反応として規制を肯定しているわけでもないのです。

■「きれいごと」よりも「本音」

――シンガポールでは5月、「偽ニュース防止法」が成立しました。政府が偽ニュースと判断すれば、SNS投稿やフェイスブックメッセンジャーなどの会話内容なども対象に、偽情報発信者やオンラインプラットフォーマーを罰することができ内容です。

街中に監視カメラがたくさん設置されていて、もともと政府の監視が強いシンガポールで、このような法律ができたことに違和感はありません。むしろ驚いたのは国際社会から批判がほとんどでなかったことです。一昔前にそんな法案を通そうとしたら米国をはじめ、国際世論が黙っていなかった。隔世の感があります。きれいごとや理想を掲げられることが大人の国家であるという暗黙のルールが、アメリカ第一主義を掲げるトランプ政権の誕生とともに消え、本音は包み隠さず、国益を最大に打ち出すことへのためらいがなくなったのだと思います。

――中国では身分証明書の代わりに顔認証による決済や、個人データの収集によって国民をランク付けする政府主導の「社会信用システム」の普及など、IT先進国へと急速に成長しています。モノのインターネット化(IoT)や人工知能(AI)の応用が進むにつれ、ネット空間を巡る政府と国民との関係はどのように変わるでしょうか。

個人の特定を、たとえばスマホというその人だけが持つモノで行っていく時代から、顔という、その人と一体化したモノによって認証していくというシステムは、取り換えのきかないものによって管理されていく時代の幕開けです。管理する側は、より完璧に近い形で管理できるようになり、逃れることがますます難しい世の中へと、技術の進歩が追い込んでいきます。

でも、日常生活を送る上では便利です。収集されたビッグデータは、その先のマーケティングや、融資の判断といった個人の信用スコアの正確な見積もりを促進させ、経済的な効果が見込まれます。当然、犯罪捜査や治安維持にも、威力を発揮することになります。問題は、私たちは本当にそういう社会に住みたいのかということです。

米IT大手の富の源泉はデータだ=角野貴之撮影

――サンフランシスコ市は5月、警察などによる顔認証技術の使用を禁じる条例を米国の都市として初めて制定しました。顔認証はまだ技術的に信頼できないという点や、肌の色が濃い人などに対し差別的な監視を助長する点などが懸念されています。

「プライバシーや自由」vs「治安や利便性」。この二つのバランスをどうとりながら社会をつくっていくのか。リベラルな風土が強いサンフランシスコ市ではこのことが議論になったわけです。中国では議論になりません。逆に言うと、米国が議論して足踏みしている間に、中国では望ましい社会かどうかの議論の余地なく、前に進んでいくのです。治安と秩序維持をしたい政権と、データを使ってビジネスをしたい企業の利害が一致し、双方望むところでしょう。 

■監視の是非、考えて選択するプロセスを

――5月に児童らを狙った川崎市の通り魔事件が起きるなど、日本では凄惨(せいさん)な事件が相次いでいます。最新の監視カメラでは、人工知能(AI)が犯罪を起こそうとする不審者の微妙な動きを感知して自動的に検出する技術を備えたものもあります。来年東京でのオリンピック・パラリンピックを控え、犯罪・テロ防止の面からこうしたカメラの導入の是非など、今後議論が起きる可能性があります。

世界の趨勢(すうせい)は治安寄りのところでバランスをとろうという傾向が強まっており、日本もそのマジョリティー側で進みそうな気配です。今のところ、日本では、防犯カメラを利用しているとはいえ、まだまだ現場ではアナログのアプローチに頼っているのが現状で、警察の必死の努力で犯人逮捕に結びつけている段階だと思われますが、時間の問題で、デジタル化、AI化は進むことになりそうです。

ただ、本当にそれでいいのか、近視眼的ではないか、きちんとその意味を国民が考えたうえで選択するプロセスをすっ飛ばしてしまうことだけは、避けなければいけない。大事なものは失ったときにその価値に気づくものです。気づいたときには、すっかり後戻りができないような状況になっている、ということは避けなくてはなりません。