1949年に農学部付属の砂丘利用研究施設として始まり、砂丘で農業をするための研究をしていた。砂地では、雨が降ってもすぐ地中深くしみこみ根の周辺にとどまらないため、農業には灌漑の必要がある。人力で灌漑をしていた時代は「嫁殺し」と呼ばれる重労働だった。そこから世界の乾燥地研究に移行し、90年に現在の名称に。乾燥地の砂漠化や、日本にも到達する黄砂、食糧問題といった課題に取り組んでいる。
教員と大学院生合わせて120人のうち30人が外国籍。スーダン、ナイジェリア、中国、モンゴルなどの乾燥地から集まる。3月に取材に行った際も、降雨による土壌侵食が進むエチオピアから研究者ら20人ほどが訪れていた。
センターは東西16キロ、南北2.4キロの範囲に広がる鳥取砂丘の一角に位置する。乾燥地の植物を育てる巨大なアリドドームでは、土の中の塩分を取り込んで葉から放出するギョリュウなどの砂漠の植物や、アーモンド、ナツメヤシの木が点滴灌漑で育てられていた。砂漠の気象条件を人工的に作り出すデザートシミュレーターなど最先端の施設もあった。ミニ砂漠博物館には、世界各地の砂漠の砂が展示され、顕微鏡で拡大して見ることができた。
研究員で中国出身の劉佳啓(31)は、鳥取砂丘やモンゴルでの観測や実験を行い、黄砂の発生について研究している。風の流れを調整するため設計した「乱流発生器」は2回、学会で賞を受けた。センター長の山中典和(60)は「乾燥地でとれる小麦を輸入するなど、日本の台所は乾燥地の畑と直結している。そこで生じている問題はグローバルかつ普遍的で、無視することはできない」と話す。