【前の記事を読む】 オランダの代替わり、「民主主義の価値」強調した新国王
2回にわたる世界大戦で欧州各国の君主制が次々と廃止された一方、日本の天皇もまた、敗戦で危機に瀕した。極東国際軍事裁判(東京裁判)で昭和天皇が訴追される可能性が連合国の間で検討され、皇族や側近、有力政治家らからも公然と退位論が唱えられた。天皇は連合国軍最高司令官のマッカーサーと11回にわたって会見。側近らが訴追回避の可能性を探る一方で、戦後復興を視察する全国巡幸で各地を訪問して熱狂的な歓迎を受け、国民の広範な支持を得ていることを確信したとみられる。
いまの天皇陛下は敗戦時、皇太子で学習院初等科6年生。疎開先の日光から東京に戻ると、宮城(きゅうじょう=現在の皇居)の宮殿は全焼し、父・昭和天皇をめぐる状況は激変していた。自身は米国人のバイニング夫人に英語を学ぶなど、戦後民主主義とともに育った。
■伝統の装束で「日本国憲法を遵守」
1990年11月12日、即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀で、国民代表の海部俊樹首相を前に、「御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも国民と苦楽を共にされた御心を心として」と父・昭和天皇を引き継ぐ思いを述べた後、「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守(じゅんしゅ)し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と誓った。
憲法第99条の憲法尊重擁護義務が天皇にも課せられていることを意識した文言といえる。皇居・宮殿松の間にしつらえられた高御座(たかみくら)の中から、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着て御立纓(ごりゅうえい)の冠をかぶる伝統の装束で「憲法遵守」を誓う姿が、明治以来の伝統である宮中祭祀と、戦後の日本をかたちづくった日本国憲法の両方を重んじるいまの天皇を象徴していた。
憲法第1条には天皇の地位について「主権の存する国民の総意に基く」と書かれている。皇室の存続には、主権者たる国民の支持や尊敬が欠かせないことを熟知しているのだろう。
長野県短大准教授の瀬畑源(せばた・はじめ)は天皇の皇太子時代からの発言について、「自分が社会的に影響力を持っていることを意識し、社会や国民に向けてメディアを通じて何らかのメッセージを発していくことに自覚的なところがあったのだろう」と分析する。とくに災害被災地訪問については「人びとの記憶をよみがえらせ、あえて被災地に注目を集めるように動いているところがある」という。
■戦没者、被災地……国民の関心向けるために
両陛下をはじめとする皇室の国内外の訪問は、受け入れ先からの招待や願い出があり、先方が訪れてほしい地に行き、お膳立てされた相手と面会する「受け身」が基本だ。
ただしいまの両陛下には例外が二つあった。戦没者慰霊と災害被災地訪問である。いずれも両陛下の「お気持ち」にもとづき、宮内庁から打診することで、訪問が実現に向け動き出す。他の公務とは対照的に、両陛下の意向や主体性が強く発揮されてきた。訪問先や面会する相手も、受け入れ先からの提案だけでなく、両陛下のたっての意向で付け加えられる日程もあった。
被災地訪問のスタイルも、試行錯誤を重ねて確立していった。91年の雲仙・普賢岳噴火や93年の北海道南西沖地震・奥尻島津波の際の天皇陛下は当初、背広にネクタイ姿。それが95年の阪神・淡路大震災からは、冬はタートルネックのセーター、夏はノーネクタイのワイシャツ姿が定着した。
避難所でひざをついて被災者一人ひとりに語りかける姿は皇太子時代の86年、伊豆大島三原山噴火の避難所を見舞ったときから続いている。59年に伊勢湾台風被災地を訪れた際には立ったまま被災者を見下ろしていたが、皇太子妃美智子さまが福祉施設などで腰を低くして子どもや障害者たちと同じ目線で語りかける姿を隣で見て、しだいに学んでいったのではないか、と名古屋大准教授の河西秀哉はみている。
戦没者を慰霊して黙礼する背中を見せ、戦争を忘れてはいけないと繰り返し語る姿は、カメラを通じて国民に言い聞かせているようだと感じることもあった。太平洋戦争激戦地のラバウルで生死の境をさまよった経験をもつ漫画家の故・水木しげるを2011年の園遊会に招いた際、戦争について「だんだん年月がたつとみんなそういうものから離れていくから、そういう問題をいつまでも心にとどめておくことは、とても大事なことだと思います」と語るのを聞いた際には「これは私たち後の世代への伝言なのではないか」という思いを強くした。
河西は「自分の意見を発表し、それが国民にどう受けとめられるかを意識している。まさに国民統合の柱の一つとしてメディアをとらえているのではないか」という。
■「全力で守る」とは
次の天皇となる皇太子さまも、記者会見などで「憲法を遵守する」と繰り返し述べた。おおむね今の両陛下の考えを引き継ぐ意向とみられる。
ただ、それに加えて、皇太子には憲法以外にも「一生、全力でお守りします」と誓ったことがある。プロポーズの際に語ったとして、皇太子妃雅子さまが記者会見で明らかにした言葉だ。
昭和天皇には、天皇としての公的な姿しかなかったといわれる。いまの天皇陛下も「全身全霊」で天皇の務めを果たしてきた、と16年の「おことば」で振り返った。皇太子さまは祖父や父の教えを継承しつつ、雅子さまをはじめ家族など私的な部分についても「全力で守る」天皇になるのだろうか。
オランダ国王の即位式では、宮殿前広場に詰めかけた大群衆の前で、新国王一家が手を振った。国王の親友でもある皇太子さまが新天皇に即位する際も、皇居前に詰めかけた人々の前で、ご夫妻は新しい天皇皇后として手を振るだろう。
新しく即位する天皇が憲法上の主権者たる「国民の総意」にこたえ、また時代の要請に応じて、これからなにを守っていくのかを、国民は見つめていくことになる。