カンボジア第3の都市バタンバンでは、2千世帯以上がスラムなどの不適切な居住環境下で暮らしている。その多くは、1990年代まで長く続いた内戦の影響で家を失った人々が公園の建設予定地などに集まり、非合法に家を建てて住み着いたのが始まりだ。
住民は勝手に土地を占拠している状態にあり、上下水道や道路の整備などの公共サービスを受けられない。雨期には道にあふれ出た雨水によりしばしば家が浸水する上、政府からいつ立ち退きを迫られるか分からない。不安定な状況のなかで、住民たちは貧困の連鎖から抜け出せないでいた。
そんな状態を改善するため、ハビタットが地元政府とともに取り組んだのがカンボジアで制定されたSLC(Social Land Concession=社会的土地使用権譲渡)の導入だ。SLCは経済的貧困により住まいを持つことができない人々に対して、国有地を譲渡することで安心して暮らすことができる土地の権利を保障する制度。この制度を使うと、住民はそれまで非合法に占拠していた土地から立ち退く替わりに、SLCにより新たな土地を得られる。そして、10年間その土地に住み続けたら正式に土地を譲渡され、所有権を得られるというものだ。
ハビタットは住民と政府の交渉の仲介役となり、土地所有に関する法制度やSLCの啓発、住民の移住や家の建設を支援。2008年から17年の10年間で、156世帯がプロジェクトの支援を受け、移住先の土地区画に新たに住居を構えた。日本法人であるハビタット・ジャパンの高橋範子さんはこう語る。
「新たな土地に家を建てる作業は、支援を受ける住民と国内外のボランティアが共同で行います。日本からも複数のボランティアチームが参加し、現地の人々とともに作業しました。新たな家に安心して長く住んでもらえるように、住民の方々に向けて家のメンテナンスのトレーニングも行いました」
家の建設費用には寄付金もあてられるが、支援を受ける住民自身も一部を負担する。しかし、多くの人々が費用の一部負担すら難しい経済状況にあるため、ハビタットはマイクロファイナンスを扱う組織と連携し、資金が足りない場合には、小口の融資を受ける機会を提供している。
「プロジェクトで新たな土地を手に入れたある一家は、マイクロファイナンスを活用することで借り入れたお金で、安全に暮らせる家を建てました。家の前で小さなヌードルショップをはじめ、その収入から少しずつ返済しています。13歳の娘さんは、安心して勉強できる場所を得たことで、将来は先生になるという夢を抱いているそうです。家を基盤に生活が安定し、多くの人が将来への希望を抱くことができるようになっています」
一方でプロジェクトには困難も伴った。移住先となる国有地でどのような境界線で区画整理を行うのか。道路を広げるため立ち退きが必要な住民をどのように説得するのか。ハビタットが仲立ちとなり、住民と政府の間で粘り強い交渉が続いた。
「特に、いま住んでいる場所から他の場所に移住してもらうときは、ただ新しい土地の権利が保障されることを説明するだけでは理解を得ることが難しい。プロジェクトでは上下水道を整備して衛生環境を改善したり、電気や道路といった生活に必要なインフラを整備したりと、住民自身に移住のメリットを感じてもらい、住民自らの意思をサポートするかたちで一緒に取り組めるように努力しました」
そもそもスラムの成り立ちは、このカンボジアのケースに限らず、住民が空いている土地に勝手に住み着いて広がるケースが多いが、こうした問題を考える上で欠かせないのが、「居住の権利」に対する考え方だ。
「すべての人間は適切な住居に居住することができる」という「居住の権利」は、基本的人権の一つとして世界人権宣言にも明記されている。だが、これまではバタンバンの地元政府にも住民側にもその意識が薄かったという。
これには、歴史的な経緯も影響している。カンボジアでは1970年代のポル・ポト政権時代に土地の私有が否定され、土地に関する記録が無効とされるなど、大きな混乱を経験した。93年に成立した憲法で土地の私的所有権が再び認められたものの、まだ課題は多い。
経緯は様々ではあるが、他にも土地を登記して所有権を確定させるという考え方が根付いていない国は多く、スラムを拡大させる一つの要因になっている。ハビタットでは、人々のこうした居住の権利に対する意識の変化にも力を入れている。
「プロジェクトを進めるにあたっては、同じような取り組みでうまくいった地域を住民の代表に視察してもらったり、土地使用の権利について説明したビデオやパンフレットを制作・配布したりするなど啓発活動にも力を入れてきました。安心して暮らせる住まいは、健全で豊かな生活を営むための基盤だとハビタットは考えています。そのためにも人々が、安全できちんとした家に住む権利を確保すべきという意識を政府の側にも住民の側にも持ってもらうことが、スラムを改善する有効な方法のひとつだと思っています」
このような意識の変化に加え、住民たちが自らの住環境を良くしようという想いを持って、政府やNGOの支援を得ながら方策を考え、コミュニティとして取り組んでいくこともスラムの改善には欠かせない。バタンバンのスラムでも、プロジェクトには住民たち自身でつくる組織が参加、住民と政府の担当者との間で議論が深められていった。住民集会やワークショップも度々開催され、衛生面の講習が行われるなど、コミュニティ強化のための施策が行われている。
「その土地の人々が自らのコミュニティをどう作っていくかを自己決定していくことが大切。私たちはノウハウを提供するなど、少しずつそのお手伝いをしていけたらと考えています」
住民のエンパワーメントにより、住環境だけでなく住民の意識が変わっていけば、自らの力で貧困から抜け出す道が開ける。地道な取り組みを着実に積み重ねていくことが、世界のスラム問題解決の糸口になりそうだ。
提供:三菱商事