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人は一人では生きていない。過去と未来を繋ぐことが、我々の生きる道である。――栗林隆

TRIP MUSEUM庭師の旅
ガラスで作った「Life」の文字。人生はガラスのように繊細で壊れやすいが、とても美しい。=栗林隆撮影

以前の連載で、うちのご先祖様の話をしたことがある。

■連載の前回記事はこちら

江戸時代、平戸松浦藩のお殿様が他所に出かけた際、そこから帰ってくる時にお殿様より先に城に戻り、受け入れの準備をしなくてはいけないのが、栗林家の先祖の仕事だった。
ある時、一つ手前の街まで来たところで、ここまで来ればもう安心だろうと、その夜、酒をたらふく飲み過ぎてしまったらしい。
次の日に寝坊し、慌てて城に帰ったら、すでにお殿様が先に到着をしていて、打ち首になりそうになったところを助けてもらったという記録が残っている。

酒でミスを犯すところや、ポカをしながら助けてもらうところなど、きちんと私はそのDNAを受け継いでいるのだが、そういった過去の話やご先祖様の話を聞く度に、自分は過去と未来を繋ぐ一立場の人間に過ぎないのだな、と常々思う今日この頃である。

先祖代々住み続ける長崎、平戸の実家からの風景。景色は江戸時代から何も変わっていないだろう。=栗林隆撮影

さて、
昨今、若者や年配の方の自殺が特に多いという。
それも良く解る。
民主主義と言いながら、独裁政治そのものを続ける今の国のあり方や、補償や福祉だとマニフェストを掲げながら、当選すると舌の根の乾かぬうちにマニフェストと違うことをやり始める。何か起こっても、辞めるどころか謝りもしない連中が好き勝手やりたい放題の今の日本。
こんなにも弱いものいじめをする国であったのかと愕然とするが、一番の問題は、密かにその政治方針の根底にある、人と人との繋がりを分断させることなのではないだろうか。
元来国を操りたい連中は、人々の繋がりと結束が強くなることを極端に嫌がるものである。
表面的には国の結束の強さをアピールしながら、やっている実態は核家族化への道であり、家族の絆の分断、人々の孤独への道のりなのである。
インターネットや携帯の普及により、ここ20年ほどでその状況は急激に加速し、漫画やゲームを推奨してさらに孤立させる環境を作り出している。SNSのような媒体で、まるで人と繋がっているような架空の状況、空間を作り出してはいるが、多くの人たちはお互いの直接の交流と接触を避け、ネット上には人を冒涜するような匿名のストレス発散の発言が溢れかえっている。
もともと人間の持っている本質の一部だとはいえ、いつから我々はこんな惨めな国民になってしまったのだろう。
個人主義、グローバリズム、自立と自己責任。
とても新しいこと、自由と平等を掲げているように聞こえるが、目的はすべて、分断が目的なのである。
若い世代の人たちが、希望や生きる意義を見つけ出せず、社会や家族、環境から排除されていると錯覚を起こし自ら命を絶ってしまう今の時代、今一度何を見つめなおさなくていけないのか、ということを我々クリエイターが示して伝えていかなければ、当たり前のように国民のため、と言いながら自分たちのことしか考えていない、彼らの好き勝手し放題の国は滅亡に向かうしかない。

心に庭を、というコンセプトで“概念のにわし"という活動を始めた自分であるが、その庭は、過去から今、現在から未来へ受け継がれなくてはいけない考え方、思想である。

いつも自分が考えるのは、縦の線と横の線との関係である。
今いる自分を真ん中に縦のラインは過去から未来に続く線。上は自分に繋がる親父やお袋からじーちゃん、ばーちゃん、そのさらに前のご先祖様から繋がる自分のルーツのラインである。これはこのまま下の未来に繋げていかないといけない。また自分の左右横に繋がる線は、恋人や仲間、またその友人たち、今の時代一緒に生きるすべての人と繋がるラインである。
横に繋がるそのすべての人たちが縦のラインを持っているわけで、それが無限に立体を作り上げているのが我々人間の歴史であり世界なのである。
そして自分は、所詮その中の点でしかないのである。
それらの繋がりが絡みあって人生というものを形成しているということを意識しないといけない。

突然だが、私には多くの仲間がいる。
自慢でもなんでもなく、
それは、自分の実力でもキャラクターによるものでもなんでもない。
それはこの、過去と今現在の繋がりが作り出したもので、私はそれを理解して人々と付き合っているのだ。
もちろん私は、神でも仏でもなく不完全な人間である。
すぐに喧嘩はするし、ワガママである。やたら小さなプライドが高いし、
飲み屋に行けば面倒臭いと言われ、最後にはしつこいと怒られる。
かなりクオリティーの低い人間ではあるが、それでも自分に自信を持って生きている。
それは先程言った多くの過去の人たちとの繋がりや、その人たちが作ってくれた関係で今の自分があることをきちんと理解しているからである。

話は変わるが、
また一つ、
祖先からの温かい出来事が最近起きた。

来年、3年ぶりに開催される瀬戸内芸術祭。
このプロジェクトへの参加要望があり、先日香川県、瀬戸内の島々へ下見に行ってきた時のことだ。
香川県内には小豆島をはじめ、豊島や直島や多くの島々が点在する。
島国日本を代表するこの場所は、海賊や水軍発祥の地でもあり日本の歴史でも大変重要な場所である。
いつか参加することもあろうかと、一度もその土地に足を向けなかった私は、
今回は何が起こるのかとワクワクドキドキしながら高松空港に降り立った。

噂に聞いている様々な島。有名な直島や豊島に案内をされるのかと思いきや、
私が最初に連れて行かれたのは、香川県最果ての島「伊吹島」であった。
この伊吹島、観音寺と言われる愛媛との県境にある場所から船で約20分、「いりこ」で有名な孤立した島である。
1950年代には4000人を超える人口が住んでいたらしいのだが、今では300人くらいが住む小さな静かな島である。
観音寺でうどんを食べた後、さっそく島に連れて行ってもらったのであるが、
「伊吹島」渋い。
とても渋すぎる、島であった。

ポツンと浮かぶ伊吹島。観音寺からはスピード船であっという間だ。海岸線沿いの建物は、すべて「いりこ」の工場である。=栗林隆撮影

いやいやいや、もっとあるでしょう、メジャーですでにアートの匂いのする島が!なんでそこに連れて行ってくれないの?
そんなことを思いながらやたら伊吹島に誘導するスタッフに、他の島も見せてくれと再三お願いをしたのである。
しぶしぶと、というより、他の島を見せて、他を気に入られるのを避けるようにしていたのかもしれないが、とにかく粟島だ小豆島だ男木島だと、他の島々を見学させていただいた。
とても魅力的な島々である。
すでに3回に及ぶ芸術祭の影響もあり、街は整い、芸術祭が行われていないこの時期でも明らかに意識高い系の若者たちが観光に来ている。
芸術祭を経てすでに動き出している感じがどの島にも見受けられるのである。
迎えに出てくれる野良猫たちも、こちらの島々のはやけに観光客慣れしていて、しかも小綺麗にさえ見えてしまう。

伊吹島とは全然違う。
しかし連れてきてくれた スタッフはあくまでも伊吹島を推してくる。

すべての島を観て回ることはできなかったのであるが、大体の島の感じを理解した私は、まずは家に持ち帰り、いろいろと想いをはせて考えようと一旦帰路につくことにしたのである。

家が折り重なって建っている。多くの建物がすでに空き家となっており、「いりこ」の漁がない時はとても静かな島である。=栗林隆撮影

高松空港で搭乗を待ちながら、
「あぁ、でもなんか伊吹島なのだろうな、、」
とぼんやり考えていた私の携帯に、珍しくお袋からメールが入ってきた。
日本に帰国していることは伝えていたのだが、ここ連日起きた大阪の台風被害や北海道の地震を心配し、あんた今何処にいるの?と心配をしてメールをくれたものだった。
私は何も考えずに、今、香川県にいて、来年の瀬戸内芸術祭の下見に来てる。
たぶん伊吹島という渋い島で展示をすることになるだろう、と何気なく返信をしたのである。
すると、返信したその直後、間髪入れずに母親から電話がかかってきた。

「たかし、あんた伊吹島って、あの観音寺市から出た先にある、あの伊吹島!?香川県の?」

そうだよ、と伝えると、

「あんた観音寺は、私が小学校5年までいた、うちのばーちゃんのルーツの場所、私の故郷だよ!あんたのばーちゃんも、ひいばーちゃんもずーっと観音寺で育ち、私もちっちゃい時に伊吹島の演奏会に行ったりしたうちのルーツの場所なんだよ!!知ってんの!?」

衝撃の告白である。
母親の実家を知らない私も私だが、私の縦の線が突然目の前に現れたのだ。

「ばーちゃん、呼びやがったな」

その後確認したのだが、最初に観音寺で食べたうどん屋の真横がうちのばーちゃんたちの実家の場所であった。

完全に呼ばれてんじゃん。

繋がりという旅は永遠に続くものなのだろう。
生きてるとか、死んでるとか、
それを超えた何かを感じながら日々暮らすのは、
本当に楽しいものである。