ノルウェー第二の都市ベルゲン。ここに、「メディア・シティ・ベルゲン」(Media City Bergen)という施設がある(以下MCB)。
MCBがオープンしたのは、2017年11月。複数の報道機関、大学キャンパスに加えて、100以上の会社が入居している。
驚いたことに、国営放送局NRK、民間大手最大テレビ局TV2、地元最大手新聞社の2社(ベルゲンス・ティーエンデ紙とベルゲンスアヴィーセン紙)がここにオフィスを構えている。
日本でいえば、ライバルであるはずのNHK、民間テレビ局、複数の地方紙が同じ場所で働いているということになる。
加えて、ベルゲン大学ジャーナリズム・テレビ制作関連の学科キャンパスが丸ごと移転しており、国内中の優秀なスタートアップらも集まっている。
食堂に行けば、学生、起業家、報道機関関係者らが入り交じってランチを食べている、ということになる。
ベルゲン大学の大学生たちが学ぶ階からは、窓ガラスを通して、各社が朝のミーティングなどをしている様子が、「丸見え」だ。
本来は競争相手であるはずの新聞社やテレビ局が、同じ建物内で、透明な窓ガラスを挟んで仕事中。
記者らがスクープをつかんで、社内がドタバタと騒がしくなっている時も、その様子が他社には丸見え、ということになる。
本来は全く異なる組織である、報道・研究・教育機関と大学生や起業家らが集まり、新たなイノベーションを誕生させようという試みだ。
日本では、このようなことは可能だろうか。
ノルウェー版「メディアクラスター」とは、一体何なのか。なぜ、ノルウェーでは「メディアの街」をつくることが必要で、可能だったのか、取材をした。
人間の代わりにロボットカメラがニュース番組を撮影
テレビ局TV2の階を訪ねると、そこにはノルウェーのテレビではおなじみのニュース番組のスタジオがあった。そこで司会者らを撮影しているのは、「人間」ではない。「ロボットカメラ」だ。
Electric Friends社というノルウェーのスタートアップとTV2の共同開発でつくられたロボットカメラ。床をスムーズに移動できる世界初のロボットカメラだという。このカメラには他国も注目しており、筆者の訪問時は開発者らはアジアへと出張中だった。
紙に未練なし!デジタル化する地方紙はポッドキャスト作り
ベルゲンの地元紙ベルゲンス・ティーエンデ(以下BT社)の階では、イングヴィル・ルーグラン企画編集長が中を案内してくれた。
ノルウェーの新聞社は、今どこも紙からデジタルへの移行に必死だ。
私は、その日発行の紙の新聞が掲示されている壁を撮影しようとしたが、「それよりも、こっちのほうがいいわよ。ほら、デジタルで今日どれだけの記事が売れたか、すぐに数字でスクリーンに映し出されるの」と編集長は楽しそうだ。
MCBに移転してから、新聞社内でもイノベーションが起きていた。
長文記事を読む時間はないが、車の運転中などに、単純なニュースだけではなく、がっしりとしたジャーナリズム報道を時間をかけて「聞きたい」という人々がいる。そのために、BT社は、ノルウェーの音声開発の専門スタートアップであるBeat社と一緒に、速報ニュース専門のポッドキャストをリリースした。
競合他社が同じ建物内にいる。オフィスを移転させるときに、懸念などはなかったのだろうか。
「情報漏洩などの心配は、私はしていませんでした。もちろん、他社の職員もいる食堂では、社内のことはベラベラとは話しませんけど」。
そもそも、テレビ局は、新聞社とは必要とする技術や戦略が違うから、スタートアップやアイデアの奪い合いも起きにくいと、同氏は話す。
「今、BT社の購読者の半数はデジタル。紙で読む人は減ります。MCBにオフィスがあることで、新しい技術開発者と一緒に、動画ジャーナリズムなどをより賢い方法で作っていくことができます」
協力しあうことで得られるのは、「心配事」ではなく、「新しい考え方」だとルーグラン企画編集長は語る。
一緒に作るのはニュースではなく、ジャーナリズムを革新させる技術
MCBのことを、昨年初めてニュースで知ったときは、報道機関らが一緒になって、ニュースを作っているのかと、私は勘違いしていた。
「複数の報道機関が、ジャーナリズムやニュースを一緒に作っているわけではありません。ニュース作りの価値観は異なるので、そこは競争。でも技術開発においては、そうする必要はありません」
ここでは、「こういうものがある」とスタートアップ企業らが提案し、テレビ局などが試す。うまくいけば、ノルウェーで生まれた技術を、国際市場へと売ることができると、MCBのCEOであるアンネ・ヤコブセン氏は話す。
ベルゲンにはクラスター・コミュニティが根付いていた
なぜ、約28万人しかいない街に、首都オスロにもないような、この規模のメディア・シティを作ることが可能だったのか。
同氏は、世界遺産ブリッゲンもある観光都市、漁業の街という背景を指摘。すでに「テクノロジー」、「漁業」、「石油・ガス」、「観光」という、強いクラスター・コミュニティがベルゲンにはできあがっており、その土台のおかげで、メディアクラスターが作りやすかったそうだ。
「これからの時代、ジャーナリズムはもっと必要とされてきます。ロボットカメラがいてくれたら、人間の記者らはジャーナリズムを作ることに集中できます。外で撮影するカメラマンは、これからも必要ですけどね」。
ライバル企業が、同じ場所で働くことがノルウェーで可能な理由
他国からの視察が来たとき、最も頻繁に受ける質問があるという。それは、まさに私も気になった、「競争相手同士が、どうやって同じ場所で協力しあえるのか?」だそうだ。
「ノルウェーは人口520万人という、小さな国です。ノルウェー語という、奇妙な言葉を話し、物価も高い。このような条件では、私たちは互いを助けあっていかなければ、生存していけないのです」。
ヤコブセンCEOは、微笑みながら説明を続けた。
「ノルウェー・モデルというのは、信頼で成り立っています。ノルウェー人同士で競争しあっている余裕はありません。私たちの競争相手は、グーグルやフェイスブック、中国などのグローバル市場。ご近所さんを倒そうなんて、そんなことにエネルギーを使っている余裕はありません」
「小さなノルウェーは、世界で何ができるか?足元ではなく、もっと広い視点をもたなければ。ほかに選択肢はないのです」
「ノルウェーの報道機関がつくるニュースは、世界へは届かないかもしれません。でも、報道機関とスタートアップによって作られた技術は、よりよいジャーナリズムをつくるための『武器』として、世界へと販売可能です」
ここでは、IT関係のマニアックな人たちが集まり、おしゃべりしたり、セミナーやワークショップを開くことも可能。
もしMCBという交流の場がなかったら、既存の報道機関が「イノベーションをしたい」と思っていても、どこのテクノロジー企業と連絡をとりあえばいいのか、わからなかっただろうと同氏は話す。
大学生、記者、起業家が一緒に食事をする
ヤコブセンCEOと話をした後、私はベルゲン大学のキャンパスがある階を訪問させてもらった。
大学があるとは聞いていたのだが、大学が館内にラボを設け、たまに教授や学生が来る程度だろうと勘違いしていた。実際には、ジャーナリズム学科が丸ごとキャンパスを移転させており、本当に驚いた。
私はオスロ大学と大学院のメディア学科を卒業している。ベルゲン大学の学生らの環境は、あまりにも進化しすぎていて、正直、本当にうらやましかった。
220人の大学生と院生には、教室だけではなく、映像制作などに必要なプロの機材やスタジオが完備されており、各報道機関の記者や編集長がゲスト講師としてやってくる。授業の一環として、企業に研修することもできるという。
たまたまホールで勉強していたのは、20代の女子大生、ヘンリエッテさん、トミネさん、シンネさん。3人が通うベルゲン大学の「メディア・インタラクションデザイン学科」は、MCB移転の際に新設された学科だ。
「ジャーナリストと一緒に食堂でご飯を食べることもできる。ここで勉強できて、私たちはラッキーです」と笑っていた。
「大学のキャンパス移転後、大学や学生らは、メディア制作の業界と、これまでは全く違うかたちでつながりを持つことができるようになりました」と、クヌート・ヘッランド教授は語る。
異なる組織をつなげて、持続可能な形で、どうやってイノベーションを起こしていくか。
ノルウェー流のイノベーションにおけるエコシステムは、MCBで見事に実現されているようだった。数年後にどこまで進化しているか楽しみだ。