アカデミー賞授賞式の見どころのひとつは、受賞スピーチだ。米テレビABCを介して225以上の国・地域に中継され、米調査会社ニールセンによると、米国内だけでもここ数年、推定4千万人前後が視聴。複数の受賞者によると、主催する映画芸術科学アカデミー(AMPAS)は受賞候補者に「『ありがとう』ばかりでなく、人々を喜ばせるスピーチを」と事前に注文しているという。
「子どもを持つ女性たちや、米国の納税者、市民に言いたい。今こそ賃金の平等、女性の平等な権利をきっぱりと実現する時だ」。今年2月22日の授賞式のスピーチで、『6才のボクが、大人になるまで。』で助演女優賞を受賞したパトリシア・アークエットが訴えた。壇上を見上げて座っていた俳優メリル・ストリープは手をたたいて「そうだ!」と叫び、その隣にいた歌手ジェニファー・ロペスは拍手した。
米映画大手ソニー・ピクチャーズエンタテインメントを標的にした大規模なサイバー攻撃で内部情報が流出し、昨年の作品賞候補『アメリカン・ハッスル』に出演したエイミー・アダムスやジェニファー・ローレンスのギャラが男性出演者よりも低かったことが暴露されたばかりだっただけに、アークエットの発言は物議を醸した。
長いアカデミー賞の歴史を振り返ると、ベトナム反戦やマイノリティー(民族少数派)の権利など、政治色の濃い授賞式もあった。
陰をひそめた政治的なスピーチ
今も語り継がれるのは73年の授賞式での出来事だ。『ゴッドファーザー』で2度目の主演男優賞を受けたマーロン・ブランドは、米国映画のネイティブ・アメリカンの描き方に抗議するとして受賞を拒否し、代わりにネイティブ・アメリカン衣装を着た女性を登壇させた。
また、ベトナム戦争終結直前の75年には、『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実』が長編ドキュメンタリー賞を得た際、制作者バート・シュナイダーが和平協定に感謝する電文を読み上げ、会場がざわついた。司会のフランク・シナトラは異例にも「アカデミーは一切の政治的関与を避けており、深くおわびする」と弁明した。
近年では、イラク戦争が始まった直後の2003年の授賞式が世界の注目を集めた。『ボウリング・フォー・コロンバイン』で長編ドキュメンタリー賞を受賞したマイケル・ムーアが、この部門の候補全員と登壇し、「私たちはノンフィクションが好きだが、作り話の時代に生きている。大統領選も作り話。戦争も作り話で駆り立てられる。恥を知れ、ミスター・ブッシュ!」と言い放った。会場から拍手もあったが、大手スタジオの上層部らが陣取る上階席などからは罵声も飛んだ。会場にいた日本テレビプロデューサー、奥田誠治は「こんなにブーイングをするものなのか、と思った」と振り返る。
それ以来、授賞式での政治的なスピーチは影を潜めていた。米誌バラエティーの賞担当編集者ティム・グレイは「俳優や監督はスタジオ側から『政治的なことは言うな。観客が君の映画を見に来なくなるぞ』と釘を刺されている」と語る。ネットで発言は瞬く間に広まり、曲解されることもある。映画館の観客動員数が低迷するなか、スタジオは世論の反応に過敏になっているようだ。
一方、最近は、米政権が授賞式を利用した例もあった。イラン・テヘランでの米大使館占拠事件での人質救出劇を描いた『アルゴ』が作品賞を受賞した際、大統領夫人のミシェル・オバマがプレゼンターを務めた。ホワイトハウスからの中継だったが、会場では拍手とブーイングが入り交じった。
(藤えりか)
(文中敬称略)