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特殊メイクの巨匠リック・ベイカーが語る米映画界

People 更新日: 公開日:
photo:Toh Erika

アカデミー賞のメーキャップ賞に11回ノミネートされ、7回受賞したリック・ベイカー(64)は1980~90年代に時代の寵児(ちょうじ)だった。数多くのハリウッド映画や音楽ビデオを手がけてきたが、昨秋、米グレンデールにあった特殊メイクの大規模な工房「シノベーション・スタジオ」を閉鎖した。米映画の制作現場で何が起こっているのか。特殊メイクの巨匠に聞いた。


photo:Toh Erika

――閉鎖には驚きました
特殊メイクの黄金期は80~90年代だった。『メン・イン・ブラック』(1997年)や『グリンチ』(2000年)、『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(01年)を手がけた時も、工房は勢いがあった。『グリンチ』の時は、スタッフが約100人もいたよ。

私は自分たちの作品を大事にするたちでね。広さ約5600平方メートルの工房のおよそ半分を使い、思い入れのあるマスクの型などを数多く保管してきた。貴重なものは自宅に移したり、17年にアカデミー博物館の開館を控える映画芸術科学アカデミー(AMPAS)に寄贈したりした。それでも、閉鎖に伴って約100トン分の型や道具を廃棄した。

――『猿の惑星』の新シリーズには携わっていませんね。
スタジオ側が猿を演じる俳優の動きをデジタルで記録し、コンピューターグラフィックス(CG)で再現する「モーションキャプチャー」の技術を採用したんだ。そうした結果、工房はここ10年で2年ほどしか稼働せず、多くの場合がらんとしていた。維持費は年間約100万ドルかかるため、数年前、閉鎖を決めた。悲しい決断だった。これまで私のために働いてくれた人たちに対しても申し訳なかった。クリエーティブな仲間と一緒に働くのは本当に楽しかったからね。

――工房での最後の仕事は?
『マレフィセント』(14年)だ。発言力のある制作・主演のアンジェリーナ・ジョリーが、CGではなくメイクにしようと主張してくれたおかげだ。その後は、目立った仕事はしていない。これからも魅力的な仕事があれば受けるだろう。また、これまで培った技術を教えたり、趣味でメイクをしたり、彫刻を作ったり、絵を描いたりはすると思う。

私は自分のキャリアをひどい仕事で終えたくない。大手スタジオは、魅力的な仕事をするためのお金や時間を与えてくれない。私は世に誇れるメイクでキャリアを終えたいと思っている。『マレフィセント』はおそらく、私が大手スタジオのために手がけた最後の映画となるだろう。

――スタジオはメイクを敬遠しているのでしょうか。
今はすべてデジタル志向だ。特殊メイクを重視した大作映画はもう作られないだろう。大手スタジオはメイク技術は時代遅れだと考えている。私の友人は今、あるスタジオと「戦争状態」にある。主要キャラクターにメイクを施すという約束で雇われていながら、スタジオ側は途中で「CGでやる」と言い始めたというのだ。

――なぜCGばかりとなるのでしょう。
メイクは時間がかかる。準備のため俳優は早く来なければならない。CGの場合、俳優はぱっと来てぱっと帰ることができる。そのため、映画の制作が以前よりも雑になっている面もあるのではないか。今は多くの監督がいくつもの映画を同時並行で制作している。だから、私が監督たちに俳優のメイクについて「どんな風に見せたい?」と尋ねても、彼らはすぐに答えられない。

CGだと、監督もすぐに答えを用意しなくてもいい。撮影後に編集できるからだ。そのためのスタッフも早く雇わなくていい。スタジオ側は、CGの方がメイクよりも安あがりで、映画がより早く作れると思っているのだろう。だが、ネットには、CGに反発する声もたくさんある。いずれ揺り戻しが起こることを願っているよ。

――CG化で映画制作はどう変わったと思いますか。
俳優が役に入り込むためには、どんな環境や場所で演じるのかを知る必要がある。CG用に使われる緑のスクリーンの前にいるよりも、素晴らしいセットに囲まれれば演技がよりリアルになる。

私は子どもの頃、ものすごく引っ込み思案だった。人を見たり、人に話しかけたりするのがとても苦手だった。でも自分にドーランを塗って目の回りを黒くし、鏡を見たら新しい自分がいた。普段できないこともできるようになり、メイクの力を感じた。お年寄りも、太った人も、違った人物に変身できる。

俳優が演技をするとき、モーションキャプチャーのスーツを着て、顔にマーカーをつけ、隣の俳優を見ると同じように顔にマーカーがあったら、どうだろうか? 気が散るよね。『猿の惑星』の新シリーズでモーションキャプチャーの猿を演じたアンディ・サーキスはいい仕事をしたとは思うが、いつでも誰かが代わりを務められるのではないか。

――CGだからこそ可能になった映像もありますよね。
もちろん、私は新しい技術については尊重している。『ハリーポッター』シリーズの魔法使いヴォルデモートは、レイフ・ファインズの鼻を平らにして表現している。これはメイクではできない。CGのよい利用法だ。しかし、デジタルはすべての解ではないはずだ。今の映画づくりはCGを使いすぎているのが問題だ。細やかなメイク技術と融合してゆくことが必要ではないか。

――なぜメーキャップアーティストになったのですか?
特殊メイクは子どもの頃からの趣味だった。自分にメイクを施しながら覚えた。10歳の時、メーキャップアーティストになりたいと思った。他の仕事は考えたこともなかった。

15歳の時、地元テレビのニュースキャスターの紹介で、路上でメイクをする人に会った。私が独学で手がけた顔型に彼は感心し、メーキャップアーティストの組合を訪ねるよう勧められた。仕事をもらえるのかと思ったら、「他の仕事を考えるなら今だよ」と言われた。がっかりしたけど、逆に自分を奮い立たせるきっかけとなった。

――そして『狼男アメリカン』(1981年)で、初のメーキャップ賞を受賞することになったのですね
ノミネートされただけでも本当に驚いた。ホラー映画だったしね。正直、受賞するとは思っていなかった。今も、自分の仕事が「伝説的」なんて言われるようになったのは不思議でならない。

7回受賞しても、メリル・ストリープにジャック・ニコルソン、ブラッド・ピットやアンジェリーナ・ジョリーが見守るなかで受賞スピーチをするのは恐ろしく緊張するよ。何も用意せずに壇上に上がる人もいるけど、信じられないよ。

――受賞後、ギャラは上がりましたか?
急激にではなく徐々に、いい仕事をすることで上がっていった。基本的に鼻が大きい俳優に小さな鼻は作れないし、左右の目の間隔は変えられない。だから私は人工皮膚でロボットを覆って再現するアニマトロニクスやパペットも使った。

――メーキャップ賞はなぜ生まれたのでしょうか。
メーキャップアーティストの受賞としては、『ラオ博士の7つの顔(原題)』(64年)のウィリアム・タトルが65年に名誉賞を受けたのが最初だろう。『猿の惑星』(68年)のジョン・チェンバースも名誉賞を受けた。ところが、『エレファント・マン』(80年)や『エクソシスト』(73年)などのメーキャップアーティストは受賞していない。メイクが重要さを印象づけた、こうした映画の人気に押されて賞が生まれたのではないか。

――受賞後の評判は。
通常のメーキャップアーティストからは「あれはメイクじゃない」と否定的な反応が多かった。「君はメーキャップアーティストじゃない」という嫌がらせの手紙も届いた。ある人に「君のせいで通常のメーキャップアーティストが受賞できなくなる」とののしられたとき、私は「申し訳ないが、これはメイクの進化だ」と応じた。後に、彼らは私をメーキャップアーティストとして受け入れてくれた。

――CG化の流れが強まれば、メーキャップ賞がなくなることもありうるでしょうか
そうあってほしくないが、そのことを私はおそれている。だが、映画が通常のメイクばかりになったら、観客も興味を失うと思うよ。

幸い、昨年の作品を見る限り、メイクは死んでいないと思った。『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』や『フォックスキャッチャー』、『博士と彼女のセオリー』、『グランド・ブダペスト・ホテル』。特殊メイクは頭を吹き飛ばしたりするようなものだけではない。

私はシリーズ第1作『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(77年)に携わったが、今年は新作『スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒』が公開される。J・J・エイブラムス監督は、アナログとデジタルをうまく組み合わせるだろうと、楽しみにしている。


(聞き手:藤えりか)