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紛争の地で読む村上春樹 なぜ「心の解毒剤」になるのか

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=ロイター

村上文学に出会ったのは、18歳から2年間の兵役を終えた後、タイに旅行した2000年頃のことです。現地で知り合ったイスラエル人と本を交換しあい、「羊をめぐる冒険」を手にしました。イスラエルの作家とはまるで違う幻想的な作風に、すっかり魅了されました。

その後通った大学、大学院では、文学と心理学を学びました。村上作品が私たちイスラエル人の心を捉えて離さないのはなぜなのか。その秘密を文学と心理学の両面から追究してみたかったんです。

心理コンサルタントのヤエル・ハルエル

博士論文では、イギリスの精神分析医ドナルド・ウィニコットの発達論を参照しつつ、村上作品が心の成長に果たす役割について論じました。

ウィニコットの理論には「ほどほどによい母親(グッド・イナフ・マザー)」という概念が登場します。子どもは産まれた当初、母親に全面的に依存しますが、その状態がずっと続いてしまうと、子どもが自分の世界を持つことはできません。

成長するにつれ、母親が少しずつ子どもから目を離していくことで、子どもは「自分が自由に遊び、想像力を羽ばたかせることのできる空間」を持ち、独自の世界観を発達させることができるのです。

そうした空間のことを、ウィニコットは「ポテンシャル・スペース」と呼び、子どもの発達にとって非常に重要だと指摘しています。いつも子どものことだけを考えている完璧な母親よりも、時には子ども以外のことにも関心を向ける「ほどほどによい母親」の方が、子どもの心を育むにはかえって好都合、というわけです。

その意味で言えば、村上作品は「ほどほどによいテキスト(グッド・イナフ・テキスト)」ということができるでしょう。

作品の中で起きていることや因果関係を、すべて読者に分かりやすく説明し、読者が何も考えなくても楽しめるような小説は、言わば、「一から十まで子どもの面倒をみてしまう母親」のようなものです。

それに対して、村上作品は現実世界と奇妙な幻想世界が同居し、物語の中で起きる不思議な出来事の理由も、はっきりとは示されません。読者に対してあまり親切ではないことが、逆に読者が自ら想像し、自分なりに作品を自由に解釈する「ポテンシャル・スペース」を作ることになり、読者の心の成長を促すのです。

「海辺のカフカ」という作品自体、主人公のカフカ少年が自分なりの「ポテンシャル・スペース」を獲得し、成長していく過程と捉えることができます。物語の冒頭では、カフカ少年は母親の姿を見失っており、父親とも対立している。安心感がまったくないため、カフカ少年は夢を見ること、想像することを恐れます。彼が自分の精神を存分に羽ばたかせることのできるポテンシャル・スペースは、どこにもありません。

だけど、カフカ少年は旅に出ることで、図書館の司書をしている大島さんという青年に出会います。大島さんという「信頼できる親のような存在」に出会い、「図書館」という自分が自分らしくいられる場所を得ることで、彼の心は安定し、ポテンシャル・スペースを獲得できた。だからこそ、自分の複雑な内面の象徴である「森」への旅を実行することができた、と考えられます。

作中の人物がポテンシャル・スペースを獲得していく過程と、読者が作品を通じて自らのポテンシャル・スペースを獲得していく過程が重なっていく。それが村上作品が読者を魅了する大きな理由だと思います。

イスラエルの文学は、非常にリアリスティックな作品が多い。それは、私たちの国が直面する厳しい現実を、そのまま反映したものです。だけど、現実にのみ心を奪われていると、心が自由に動くことができる「ポテンシャル・スペース」を失うことにつながりかねません。

それは精神を疲弊させ、「敵か味方か」という一面的な物の見方しかできなくなってしまいます。現実が厳しいからこそ、心の中に自由な空間を作り出す村上文学を、イスラエルの人々は強く求めるのではないでしょうか。

ただ、気がかりなのは近年の村上作品、例えば「1Q84」は、物語の中の色々な出来事の理由や背景を、きちんと説明しすぎているように感じられることです。作者が自ら手を取って読者を導くようになっては、「ポテンシャル・スペース」は失われてしまいます。

私は、物語が一人ひとりの心に影響を与え、現実をよりよい方向に変えられる可能性を信じていますし、村上さんもそれは同じだと思います。だけど、作者がそれを意識しすぎると、作品内容が教育的になり、物語の力は逆に失われてしまう。「ほどほど」というバランスが大事なのです。「海辺のカフカ」は村上作品の中でも、それが最もうまくいったケースの一つだと考えています。