――村上作品はどうやって米国で人気を得たのでしょうか?
私が学生だった1990年代初頭には、米国で村上作品は、書店の売れ残りのセールスの棚に置かれていたこともあったぐらいです。実際、ねじまき鳥クロニクルは5ドルで買いましたよ。ねじまき鳥の前にも、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」などが講談社から出版されました。日本では大きな出版社でも、米国では足がかりが少なくて、売り上げは芳しくありませんでした。
転機は、世界的な作家が多く輩出したクノップフ社と敏腕代理人を得たことでしょう。クノップフ社の優秀なゲイリー・フィスケットジョンという編集者と、ビンキー(アマンダ・アーバンの愛称)という敏腕代理人が村上がのし上がるための両翼を担い、そして、クノップフ社による大規模な宣伝やキャンペーンが、打ち上げ花火となって村上作品が米国で確固たる地位を獲得したのです。こうして、村上春樹が日本で売れている作家というのではなく、「MURAKAMI」というすごい作家がいると認められたとも言えるかもしれません。
一方で、安価なペーパーバックで作品が流通することも重要でした。ペーパーバックは、今でも電子書籍の数倍売れていて、若者の間の口コミで村上の人気を高めました。
――村上作品の特徴は?
取っつきやすさが挙げられると思います。ねじまき鳥の物語の始まり方をみてもそうですよ。これは作品としては非常にシリアスな内容の小説ですが、主人公がスパゲティをゆでているときに電話が鳴る場面から始まります。こんな情景から入る小説はそうそうありません。カジュアルな表現と文体が魅力の一つと言えますね。
――村上作品は翻訳しやすいとも言われますが?
そこが村上作品のもう一つの特徴です。文章が非常にシンプルで、長文がほとんどない。これが、翻訳しやすく、世界中で出版されることにもつながっているのでしょう。しかも、村上は日本の事象や風景、文化に触れながらも、それが主題ではありません。普通の人物が都会で暮らす様子を物語として語っている。そこが多くの国の読者に親近感を感じさせて、引きつけていると感じます。
一方で、村上は作品の中で「日本らしさ」、「日本人であること」をとても大事にしていると思います。ただ、他の作家と違うのは、架空の物語を紡ぐ上での想像力とか、特徴ある文章の書きぶりです。もし村上がテキサス州で生まれ育っていたら、今のような作品は生まれなかったでしょう。日本らしさが土台にあって、その上にアメリカ文学の影響を感じさせる表現と物語が合わさることによって、魅力的になっている、と私は考えます。だからこそ、普遍的な小説として受け入れられているのだろうと思っています。
――村上春樹はもはや日本の作家という枠を超えているのでしょうか?
村上は日本というカテゴリーからは脱していて、1人の世界的作家になっています。シェークスピアがハムレットで書いた登場人物の会話や心情は400年経った現在でも決して色あせていません。いつの時代、どんなときに読んでも、世界中の人が新鮮な気持ちなれる。「ノルウェイの森」を100年後の人が読んでも、しっかりと受け入れられるのではないでしょうか。実際に、シェークスピアの作品を、数百年前の英国の話だと意識しながら手に取ることはあまりないでしょう。村上の作品も同じです。