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なぜ子どもまで米国へ? 中米エルサルバドルで起きていること

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親が決める渡米 子どもは不安も

外務副大臣(在外移民担当) リドゥビナ・マガリン(53)

移民には、社会経済的な状況と家族の再会、治安の主に3つの理由があります。いまはとりわけ、治安が悪い地域で青少年ギャング「マラス」によって大勢が移民を余儀なくされています。移民数は2016年までは増加傾向だったのですが、17年に減りました。メキシコ国境への壁建設計画や強制送還など、米国の移民政策の動向で多くの人が二の足を踏んでいることが理由の一つと考えていますが、今後を予測するのは極めて困難です。


子どもの渡米は、本人ではなく在米の親が決めることです。ほとんどの子どもは祖父母らとの生活にすでに慣れていますが、親は子どもに来て欲しいのです。国境で拘束された子どもたちに、米国の両親とエルサルにいる家族のどちらに連絡を取りたいか尋ねると、たいていはエルサルの家族を選ぶことからも分かります。子どもたちの多くは、米国に行くことに大きな不安を抱えています。米国に暮らす両親がすでに離婚していることも多く、とりわけ十代の子どもにとっては、再婚後の新しい家族との暮らしや米国での新生活になじむのはとても難しいことです。結局、親元を離れて、在米のおじやおばに身を寄せるケースも少なくありません


親は子どもと一緒に暮らしたいという愛情から、「コヨーテ」と呼ばれる密航手配業者の「安全に確実に連れて来られる」という甘言に乗ってしまうのです。しかし道中では、犯罪組織に麻薬を持って国境を越えることを強要されたり、厳しい暑さや寒さにさらされたりと、さまざまな危険に直面します。コヨーテは12歳以下の場合、国境の川を越えたところで米国境警備隊に保護されるように置き去りにします。保護されれば、最終的に在米の家族のもとに行くための手続きに入るという作戦です。


移民と暴力、切り離せない

官房長官(現・報道官) ロベルト・ロレンサナ(61)

移民は今に始まったものではありません。内戦前は少数の職業人がよりよい機会を求めて、内戦中は避難という形で、そして内戦後は、避難した家族を追って数多くの移民が出ました。近年は治安を理由にする人が多くなっています。移民と暴力は切り離せない関係にあります。マラスは米国で生まれたものです。良質な労働力は米国に定着し、マラスになった人が強制送還されて戻ってきました。経済は内戦後、農牧輸出からサービス業へ転換してきました。農業が衰退する一方、大勢の移民からの家族送金で、消費文化が広がったことが背景にあります。送金を反映する形でサービス業と国の経済が伸びています。


米国と中米3カ国の間で、協力の拡大で移民を減らす「繁栄のための同盟」が署名されています。メキシコとの壁では移民を止められない、と暗に理解したうえでの政策で、トランプ政権でも継続しています。米国の一時的な在留資格(TPS)打ち切りは大きな問題ですが、在米移民がエルサルに戻る展開にはならないと考えています。TPSを持つのは約20万人ですが、80万人ともいわれる米国生まれの子どもが身元引受人になる形で法的に整理されることを望んでいます。エルサル移民は米国人が嫌がる仕事を担っていて、米経済界から高い評価を受けています。帰国することになるのは非常に少数と考えています。


(エルサルなどを「肥だめのような国」と呼んだとされる)トランプ氏の発言も、長い目で見れば、何が真実か理解される好ましい結果をもたらす、と考えます。あの発言のおかげで、エルサル人は働き者と言われ続けてきたことを世界に示す好機だ、力を合わせて立ち向かおう、ととてもモチベーションが高まる状況ができています。

残ること、選択肢にしたい

ペルキン教育機会基金代表 ロナルド・ブレネマン(59)

エルサル北東部にあるこの地域は内戦で完全に破壊され、全住民が避難しました。経済的にも教育水準的にも、国内で最も低い地域の一つです。その状況を変えるのは教育しかないと考えて学校を開きました。雇用がないこの地で生きていくため、起業できるように取り組んでいます。移民が唯一の経済的な選択肢ではなく、この地に残ることも選択肢にすることが最終目標です。


児童・生徒の3~5割が両親ともに、そしてほぼ全員が親族の誰かは米国にいます。内戦によるトラウマも世代を越えて受け継がれています。犯罪率はとても低いのに、家庭内暴力は非常に高いという矛盾がある土地柄です。親がいないトラウマで学習障害を抱える子もたくさん目にしてきました。父親代わりにはなれませんが、父親がいないという事実に目を配る必要があります。


移民は、家族を残して何年も帰らないという困難な状況を作り出します。親が十数年間、家を空けている間に、残した子ども自身が、いまや親になっています。電話や送金、テキストメッセージだけで家族関係は築けません。

魚の釣り方、教えたい

在米移民・材木会社社長 ハビエル・ロドリゲス(47)

内戦中の1989年に軍に召集されて、逃げました。高校生だった17歳の時のことです。歩いたり、バスやトラックに乗ったりして不法入国し、兄のいた米東部ニュージャージーに行きました。大型トラックの運転手をした後、材木会社に勤め、2007年に独立しました。いまは従業員を7人雇い、ふるさとに家を建てる夢も実現しました。子どもが自立したら隠居して、ふるさとで暮らすつもりです。知り合いばかりでストレスはなく、ココナツの木や果物もあって、米国に比べたら天国のようです。


10年前からふるさとの役に立とうと、こどもの日やお祭りに食べ物を差し入れたり、お金を寄付したり、施設をつくったりしてきましたが、正直、あまり役に立ってはいませんでした。父は常々、「魚を与えるのではなく、釣り方を教えよ」という格言を言っていましたが、まさにそういう問題です。そこで2年前、地元の知人にグループをつくってもらって、2週間に1回、コンピューターやパンづくり、裁縫などを学ぶセミナーを開きました。私もテレビ電話で毎回参加して、最初は50人くらい集まりましたが、続いたのは10人。それもだんだんと減って3、4人になって頓挫しました。自分で事業ができるようになって欲しかったのですが、ほとんどの人は、ただで何かをもらえることを期待していたのです。


モノやお金を与えず、自分たちの手で改善する方法を教える。今回私も参加した日本の生活改善のサークル活動は、まさに私がしたかったことです。私のふるさとでも実現できるよう、米国で知人たちに相談しようと思っています。

投資でなく送金した我々の責任

元移民・ホテル経営者 マルビン・ロメロ(41)

14歳のとき、「コヨーテ」に4800ドル(約50万円)払って、107人も乗ったバスで米アリゾナに不法入国しました。すでに米国にいた母と、2ベッドルームに14人ものエルサル人が一緒に住む家で暮らしながら、建設の仕事を始めました。2003年に自分で建設会社を興し、50人以上の従業員を抱えるまでになりました。


ふるさとの東部アナモロスに120万ドル(約1億3千万円)投資して、15年にホテルをオープンし、別の町にレストランも開きました。周辺には近代的なホテルがなく、中長期的にはビジネスチャンスがあると思っています。しかし、地元企業は短期的に回収したいと考えることがほとんどで、国内ではなくて周辺国に投資しています。


ほとんどの家族から2~3人、多くて5人が移民に出ており、仕送りで2~3人の若者が仕事をしないで生活しています。若者は工場労働者の最低賃金の月300ドルで汗水たらして働くことに価値を見いださず、家族からの送金で楽をして生きるようになってしまいました。労働意欲の欠如と、仕送りによる消費文化が最大の問題と思います。その責任は、ふるさとに投資ではなく送金をしてきた我々、移民にあります。子どもたちは親のすねをかじり続けていますが、米国では自立して仕事をしないと食べていけません。家庭で子どもを教育しないといけません。