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マグロの群れが消えた

World Now
中村稔=依光隆明撮影

日本海に面した北海道・羽幌町の沖に焼尻(やぎしり)、天売(てうり)という二つの島がある。この辺りまで暖流の対馬海流が流れ込み、寒流と混ざる。魚がたくさんいる。

高松幸彦(59)は焼尻で漁師をしている。

マグロを初めて釣ったのは1975年、20歳のときだった。初マグロの重さは70キロ。食ったと思った瞬間、一瞬で100メートルも糸が出た。夢中で糸をつかんだ。マグロの体が見えたとき、「大きい!」と思った。のちに300キロ台のマグロを何本も揚げたが、最初の70キロは巨大に見えた。がたがたと足が震えた。

「マグロは特別。存在感が違う。マグロにはまってしまったら麻薬と一緒、やめることはできません。マグロはね、小さくても面白いんですよ。なぜかって? それはやっぱりマグロだから」

高松幸彦/photo:Yorimitsu Takaaki

夏、クロマグロが焼尻沖にやってくる。勇んで船を出し、10月半ばまで漁を続けた。秋になると海は荒れる。4.9トンの小さな船で4、5時間かけて漁場に行き、しけの海でマグロを釣った。夜の11時に出港し、夜明けから日暮れまで釣る。戻りは深夜になる。

「荒れる海で、なんでそこまでと思うでしょ。でもマグロなの」

釣果が落ち始めたのは90年代の初めだった。高松は「最後によかったのは93年」と振り返る。2000年代に入るとさらに釣れなくなった。

高松が知る限り、北海道の日本海側で100キロ以上のマグロが釣れたのは2000年の2本が最後だった。

「会」をつくったのは壱岐の北端、勝本の漁師たちだった。勝本にマグロ漁師は約150人。会の名は「壱岐市マグロ資源を考える会」。

北海道の漁期が終わる1月末ごろから壱岐は盛漁期に入る。かつては3月までマグロは釣れ、値段もよかった。会長の中村稔(47)が言う。

「その時期は全国的にマグロが少ないけん。110キロのが400万円で売れたり……」

一本釣りは1本の釣り糸で釣る漁法。さおを使う場合と使わない場合があり、餌(疑似餌を含む)を魚に食わせて釣り上げる。

10年前の2005年には勝本だけで1~3月に100キロ超えのマグロが114本揚がった。それが急速に減り、11年にはわずか7本。13年が24本で、14年が51本。今年は10本。

品質を上げるため、壱岐の漁師は釣ったマグロを船上ですぐ締めて内臓を取る。保冷車で福岡に運び、空路または陸路で東京・築地へ。釣れれば高く売れるが、釣れなければ収入はゼロ。燃料費が月に20万~30万円かかるので、釣れないと生活は破綻する。

「数年前までは壱岐の沖でもマグロが産卵しとった」と幹事長の尾形一成(53)。「産卵する前に固まって泳ぐのは、おととしは辛うじてひと群れおった。去年はひと群れもおらんかった」

判明している太平洋クロマグロの産卵域は世界に二つ。沖縄を中心とする南西諸島周辺と日本海だ。前者では4~6月、後者では7~8月に産卵するとみられている。日本海に来る群れを巻き網船団が待ち構えている。

巻き網船から水揚げされる40キロ級のクロマグロ(境港)=依光隆明撮影

14年6月9日、鳥取県境港市。巻き網船団の運搬船からクレーンでクロマグロが水揚げされていた。30~40キロ級が数本から十数本ずつつり下げられ、岸壁へ。フォークリフトが市場内へ運び、えらと内臓が取り除かれる。

漁獲場所は日本海北東部。受け入れ態勢の関係で、獲ったクロマグロの9割以上は境港に揚げられる。水揚げが一気に増えたのは04年だった。関係者は「群れが来る場所を発見した」とも「魚群探知機が発達した」とも言う。

巻き網漁は網船、運搬船など5隻ほどで船団を組み、長さ千数百メートルの網でマグロの群れを囲んで漁獲する。資本が要る漁法だけに、産卵期のマグロを巻く船団の半数は日本水産やマルハニチロの子会社。参加船団は「6~8月で2000トン以内」の自主規制枠を設けており、14年の漁獲実績は1984トンだった。

一本釣りが狙うのは肉質の評価が高い150キロ、200キロの10歳級だが、境港に揚がるのは40キロほどの4歳級が多い。鳥取県がまとめた14年のデータによると、境港に揚がった産卵期のクロマグロ(えら、内臓抜き)は4万3913本・1564トン。平均体重は35.6キロで、1キロ単価の939円は養殖物の半値以下だった。産卵期は肉質が悪いうえ、大量に獲るので値は安い。

とはいえ巻き網船にとっては大事な漁獲。船団を維持するには多額の費用がかかる。クロマグロの群れを巻けば、水揚げ額は急伸する。

ひと昔前、壱岐沖で産卵期のマグロを巻いた伝説的漁労長がいる。


長崎県小値賀(おぢか)島。五島列島の北部に浮かぶこの島に小西藤司(76)はいる。1991年まで、山口県の巻き網船団を率いて日本海や三陸沖の太平洋で操業した。「3日でサバの水揚げ3億円」など、巻き網の歴史に残るような伝説を残して引退。船を下りたあと、古里の小値賀に戻って漁協組合長や県漁連副会長を務めた。

小西藤司=依光隆明撮影

現役時代、主に巻いたのはサバとアジ。別格がクロマグロだった。当時、サバは10キロで1000円。クロマグロはその10倍で売れた。

「マグロを一回味わったらやめられんとですねえ。ひと巻きで何千万円になるし、魚体の大きさが目に見えるでしょう。船員も漁労長も一緒になってわくわくするんですな」

初めてクロマグロを巻いたのは81年。場所は壱岐と対馬の間だった。

「産卵中じゃなくて泳いではいたんじゃろうけど、ぱっと網を打ち回したからねえ。うまいこと入った」

アジ用の網だったため、破れないかどうかが心配だった。網に入ったマグロが船べりにぶち当たる。鼻先を船に激突させ、多くのマグロが死んだり気絶したりした。それを「一本一本つり上げて運搬船に載せた。1億になったな」。

100~300キロのマグロが660本。小西はマグロに魅せられた。6、7月はマグロを狙うと決め、専用の網を作ってマグロを追った。

84年の6月末、小西は会社から指令を受けた。「7月はアジ、サバをやってくれんか」。6月、アジ、サバを狙う船団は1億5000万円の水揚げを稼いでいた。しかしマグロを狙う小西の船団はゼロ。ばくちのようなマグロはやめて地道に稼いでくれ、という指示だった。

小西はそれを拒絶する。退職覚悟で臨んだ7月3日、五島沖で1800本を巻く。続いて200キロ級を400本、100~300キロを700本。合計水揚げ額、3億数千万円。

「必死ですよ、必死。必死になったときには霊感がわくもんです」。小西の腕には船団70人の生活がかかっていた。

水産庁によると、巻き網による漁獲は日本のクロマグロ漁獲量の5割強。小西が日本海西端で産卵期の群れを獲る前にも三陸沖の太平洋で大量漁獲した時期があり、昔は三陸沖でクロマグロが産卵していたとも言われる。時系列で見ると、産卵期のクロマグロを獲る漁場は三陸沖から日本海西端、そして04年に日本海中部を中心とする海域へと移った格好になる。

壱岐の漁師がクロマグロを釣り始めたのは小西が船を下りて約10年後の2000年ごろだった。大きなマグロはたくさんいたが、それまで壱岐の漁師には釣り方が分からなかった。「考える会」の会長を務める中村は「自分で工夫を重ねた」と振り返る。生き餌をつけ、船を潮に流し、釣りざおとリールを使い……。やっと順調に釣れるようになったときにマグロの魚影は消えた。

北太平洋まぐろ類国際科学委員会(ISC)によると太平洋クロマグロの2012年の親魚資源量、2万6000トンは1960年の2割弱。資源が減るなか、巻き網船による産卵期のクロマグロ漁が中村たちには脅威に見えた。


声を上げよう、とつくったのが「マグロ資源を考える会」だ。焼尻の高松は中村と話をして意気投合、北海道に戻ってすぐに会の設立を準備した。名は「持続的なマグロ漁を考える会」。持続的、というところに高松は思いを込めた。

「壱岐市まぐろ資源を考える会」のメンバー=依光隆明撮影


横浜市。海にほど近いおしゃれなビルの15階に国立研究開発法人水産総合研究センターがある。理事長を務める宮原正典は、水産庁ナンバー2の次長を経て現在は農林水産省顧問。今も水産行政にかかわり続けている。

水産庁次長だった2年前、宮原は漁師の間に大騒動を巻き起こす発言をした。

「もうメジを食うな」。資源保護を説くなかで出た発言だった。メジというのはクロマグロの幼魚。メジマグロと呼ばれ、スーパーでも売られている。ヨコやヨコワと呼ばれることもある。季節の風物詩的に昔から零細漁師が釣ってきた。

一本釣り漁師と同じく、産卵期の巻き網漁に宮原は懸念を感じている。しかしそれ以上に深刻なのは0歳と1歳、つまりメジマグロと呼ばれる段階で獲ることだと考えた。水産庁の資料では、漁獲される太平洋クロマグロ本数の93%が0歳と1歳。特に東シナ海北部で越冬した1歳前後、体重3キロほどのクロマグロ幼魚を巻き網船が大量に漁獲していることを宮原は懸念した。

「90年代の終わりに巻き網船が高感度ソナーを付けるようになり、群れを正確に見つけることができるようになりました。獲った幼魚を二束三文で東京や関西の市場に出して。メジって言えばまだいいけど、(高価な)生クロマグロ入りました、なんて言ってね。これはやめてくれよ、って言ったのが私の発言なのですが」

一本釣りで釣れた150キロのクロマグロ(壱岐沖)=依光隆明撮影

漁獲を規制しようとしたものの、クロマグロは太平洋を回遊している。0歳魚は日本で獲られるが、1歳魚は韓国の巻き網船も獲る。2歳魚になると主な漁獲はメキシコの巻き網船だ。規制には国際的な取り決めが欠かせなかった。

14年9月、宮原は福岡市であった中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)の北小委員会で議長を務めた。合意に導いた日本の提案が、小型魚の漁獲規制。30キロ未満の漁獲量を02~04年平均の50%にする。開始は今年1月で、巻き網船団も零細漁師も等しく規制を受ける。

クロマグロは4、5歳で卵を産み、20年以上生きる。資源を増やすには4歳魚の漁獲にも制限が要る、と宮原が指導して実現したのが日本海での産卵期の2000トン自主規制だった。

2000トンでいいか否かには異論もあり、水産庁審議官の遠藤久は「成魚の年間漁獲量も増えないようにする」とした上で、「日本海の産卵期の漁獲管理は引き続き検討中」と明かす。宮原自身も枠を縮小し、終了時期も8月末から6月末に繰り上げた方がいいと話す。

マグロを狙わない時期、高松は焼尻沿岸でタコ漁やウニ漁をしている。「どんな漁業も資源に負荷をかけないことが大事。資源がなくなったら生活できませんから」。クロマグロが焼尻に戻ることを願いながら、きょうも海に出る。

マグロの一本釣り漁師が太平洋クロマグロの資源危機を訴える。「壱岐市マグロ資源を考える会」を訪ねた(撮影:依光隆明、機材提供:BS朝日「いま世界は」)

クロマグロは牛になるのか

クロマグロと聞いただけで漁師も研究者もため息めいた感慨を漏らす。300キロを超える巨体、高速遊泳する運動能力、時折見せる攻撃力、コバルトブルーの美しい体。

日本人は昔々からクロマグロを食べてきた。食味の特徴は、刺し身、つまり生でないと味が際立たないことだ。逆にいえば刺し身だと驚くほど豊饒な味になる。それゆえ日本では高級品として扱われ、時には海のダイヤとまで形容された。

水産庁の統計では2013年に日本人が消費したクロマグロは2万5000トン。世界自然保護基金(WWF)ジャパンによれば、これは世界の供給量の72%を占めている。日本漁船が世界の海で釣り、日本の商社が世界中で買ったマグロが日本に集まってくる。

刺し身で食べる日本でこそクロマグロは価値があった。日本なら高く売れる、だからこそ世界のクロマグロが日本に集まったのだ。集まるマグロを日本人は食べた。マグロを養殖する技術を編み出し、ほしいときにマグロを食べた。

そのクロマグロが資源の危機に直面している。方向性として見えてきたのは二つ。

一つは自然界のクロマグロをどう守るのか。クロマグロは25~30年生きる。成熟も遅いため、獲りすぎると回復が難しい。

14年11月、国際自然保護連合(IUCN)は最新版の「レッドリスト」で、太平洋クロマグロを「軽度の懸念」から「絶滅危惧2類」に引き上げた。同じ月、大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)は大西洋クロマグロの漁獲枠アップに合意している。小型魚の漁獲禁止や「漁獲証明」の導入で資源が回復したと判断した。大西洋と太平洋の明暗は、資源管理の必要性を表している。

孵化したばかりのクロマグロ(標本)=依光隆明撮影


もう一つは養殖ビジネスがクロマグロの未来を変えようとしていることだ。クロマグロをオーロックス(牛の祖先)に例えると、牛という家畜に変える作業とも表現できる。生殖を調節し、遺伝子を調べて養殖に適したマグロをつくる。国も企業も、そこにビジネスチャンスを見る。

野生の資源を管理する傍ら家畜化を目指す。二つの道筋が、クロマグロの今を映している。

(文中敬称略)