危機感で人は大人になるのか?
「あなたがどこへ行く時にも、あなたの神が共にいる。恐れてはならない」。旧約聖書の一節が読み上げられたのに続き、約90人の軍服姿の若者たちが宣誓の声を張り上げた。「軍の命令にはすべて従う!」「国家のため、すべての力と命を捧げる!」。
イスラエル中部の町ラトルン。1948年の第一次中東戦争で激戦地となったこの地で6月初め、基礎訓練を終えた若者が正式に兵士となる式典があった。
イスラエルは徴兵制の国だ。原則として、18歳になった男性は3年間、女性は2年間の兵役を課される。アラブ系住民や健康・宗教上の理由がある人は兵役を免除されるが、それ以外の若者は、最も多感な時期を兵士として過ごす。
式典を終えた若者たちは高揚していた。ヨナタン(19)は「訓練はハードだったけれど、体も心もすごく成長した」と語り、仲間と抱き合った。末っ子の娘スタブの「晴れ姿」を見守ったユバル・ツール(55)は「軍で鍛えられるとみな、急に大人っぽくなる。上の2人の子もそうだったよ」と話した。
キネレット大学教授で、軍での人間関係を研究するヤエル・ベン=アリ(61)はこう指摘する。「兵役に就くことで若者は家族から切り離され、身知らぬ人々と集団生活を強いられる。兵役は、大人になるための通過儀礼だ」。
日本だけではなく、先進諸国で大人になることが難しくなっている。理由の一つは社会全体に「ゆとり」ができ、子どもが自立できなくても、親や社会が支えられるようになったからだろう。ならば近隣諸国と厳しい緊張関係にあり、最も「ゆとり」がなさそうなイスラエルではどうか。そんな思いでこの国を訪れた。
イスラエルで出会った人々が口々に強調したのが、ユダヤ系住民の心に潜む「自分たちの国がいつ滅ぼされてもおかしくない」という恐怖だ。ホロコーストなど歴史上の辛酸をなめ続けてきたユダヤ人たちには、現在のイスラエルは一時の安定に過ぎないように見えるという。
ヤエルは兵役のマイナス面についてこう話す。「若者には『早く大人になって国を守らなければ』という気持ちが強い。兵役はそんな思いを満たすと共に、軍が恐怖感をさらにあおり、敵の脅威をたたき込む場でもある。その結果、多くの大人が保守的になり、イスラエルへの批判に耳を貸さなくなる」。
確かに、自国への危機意識は、人々の成熟をいや応にも早めるだろう。だが、恐怖をバネとする成熟には危うさも感じられる。取材中に思い出したのが、映画『スターウォーズ』シリーズ前半の主人公、アナキンのことだった。アナキンは愛する人を失う恐怖のあまり、怒りと憎しみと独善を心に育み、力の暗黒面に魅入られていく・・・。
軍は若者にとって、キャリア形成の場としても重要な役割を果たす。イリア・ツベルマン(31)は軍の情報部で情報技術を学んだ経験を生かし、兵役を終えた直後の21歳で起業した。仕事のパートナーは全員、軍で知り合った仲間たちだ。「いざという時には全員、不眠不休で仕事に集中する。軍のカルチャーを共有しているからできることだ」と言う。
就職や転職の際には必ず、軍で所属した部隊や仕事の内容を聞かれる。エリート部門出身だと、ビジネスパーソンとしても優秀な資質があるとみなされる。軍歴が日本の学歴のような役割を果たしているのだ。イリアは言う。「軍では若くして数多くの部下を統率し、人の命に関わる重要な仕事をする。兵役の経験がビジネスにも役立つことは疑いない」
今年3月に兵役を終えたばかりのゴニ・ヨエリ(23)は昨夏、ガザ地区で2カ月間の実戦任務に就いた。ミサイルで同じ部隊の仲間3人が大けがをし、友軍の中には狙撃兵に射殺された者もいた。敵の姿が見えないことが、逆にゴニに強いストレスを与えた。
兵役を終えた後、眠っている時に傍らの恋人の腕を無意識に強くつかみ、大声を上げたこともあった。ゴニは「確かに軍での生活は僕を成長させてくれた。でも、ガザで僕が味わった思いは、他の誰にも2度と味わわせたくない」と話す。
若者の危機意識を、兵役を媒介として国を支える人材育成につなげる――。イスラエル流の「大人への道」はある意味合理的で、したたかでもあるが、敵味方に死者を出し、ゴニのような若者を必ず生み出す。国が失われる恐怖を原点とする以外に、成熟の道はないのか。
ジャーナリストのハガイ・マタル(31)は、イスラエルの対パレスチナ政策への疑問から、18歳の時に兵役を拒否し、2年間投獄された。「多くのイスラエル人が『国のため』と信じて兵役に就くように、私は自分が兵役を拒否することこそ国のためになると信じていたし、今もそうだ。私にとっては兵役を拒否し、さまざまな困難を味わうことが大人になる道だった」。ハガイは2匹の飼い猫に囲まれつつ、淡々とそう語った。
ハガイのように政治的な理由で兵役を拒否する若者は毎年数人に過ぎないが、心の問題などを理由として事実上兵役を逃れる若者は決して少なくない。
ゴニと同じくガザで戦い、兵役を終えたばかりのニル・パールマン(21)はこう話した。「兵役を逃れる人には否定的な思いを抱くと同時に、正直嫉妬も感じている。僕はこれからプロのミュージシャンを目指すんだけど、彼らは18歳から好きなことをやれるんだから」。
(太田啓之)
イニシエーションの役割とは?
出家する、歯を削る、ライオンと闘う……。世界には、「イニシエーション」と呼ばれる、大人になるための通過儀礼がある。
エチオピア南部のオモ川とウェイト川に挟まれた標高1500メートルの場所に暮らす民族バンナには「アーツァ」と呼ばれる成人儀礼がある。10~15歳の少年が儀式のクライマックスで一列に並べられた10頭ほどの牛の背中を渡る。無事に終えた少年は大人への階段を上ったことになり、成人名を与えられる。長崎大学多文化社会学部の准教授、増田研(47)は「バンナの男である以上、アーツァをやる以外の選択肢はなく、儀式に重みがある」と話す。
しかし、儀式を済ませるだけで人は本当に大人になれるのだろうか。増田は「アーツァを終えても中身が急に変わるわけではない」と指摘する。バンナの社会で大人かどうかを決めるのは周囲だという。
結婚し、子どもを育て、一生懸命働いて年を取るうちに、バンナの男性は「ゲショア」と呼ばれるようになる。日本語にすると「おやじ」「おっさん」。それこそが「真の大人の男」に対する呼び名だという。増田は約20年前からバンナの集落へ足を運んできた。1998年に2度目の訪問を果たした時に大人と認められ、「ラロンベ」という成人名をもらった。2~3年前からはようやくゲショアと呼ばれ始めた。「イニシエーションは免許の交付式のようなもの。成熟した大人になるかどうかは、そこからどう生きるかにかかっている」
リクルートスーツという「儀礼服」
伝統的なイニシエーションが残る国は世界では少数派になりつつある。日本にも、かつては元服があった。しかし、現代の日本で若者が「大人になる日」とされる成人式は同窓会となり、儀式とはほど遠い。首都大学東京で社会人類学を教える教授の綾部真雄は「現代の世界では国家や地域社会が用意するイニシエーションが存在するのはまれ。恋愛や卒業、進学など小さな通過儀礼をいくつも経て大人になるのが特徴」と話す。
日本で象徴的なのが学生の就職活動だという。黒色や紺色のリクルートスーツという「儀礼服」に身を包み、髪を黒く染める。採用試験で壁にぶつかり、知らなかった自分を発見し、ようやく内定をもらう。綾部は「若者はサービスを買う側から提供する側へ立場を反転させ、少し大人になる」と説明する。
就職活動に詳しい千葉商科大学専任講師の常見陽平(41)は「社会常識やマナーが身につく」と就活が大人の階段を上る一つの役割を担っていると認める。そのうえで「企業の論理になじむこととは別。就活が大人を育てるのか組織人を作っているのかは紙一重」とも話す。
東京女子大学4年生の中川笑香(えみか、22)は就職活動をきっかけに、思い描く大人に少し近づいたと感じているという。6月に受けた大手スポーツクラブの集団面接の場で、面接官から「誇りに思うことは何か」と聞かれた。「いろんな人に支えられてきた自分の人生を誇りに思います」。答えながら心の中に眠っていた思いに気づき、涙が流れた。
企業の採用試験を受け始めてもうすぐ5カ月。出会った尊敬できる大人は自分なりの人生を語っていた。「自分の言葉や行動で人の心を動かしたい」。就職活動を通じて、目指す生き方に気がついた。
(宋光祐)
大人のリーダーの条件とは?
5000冊以上の歴史書を読んできました。歴史上の人物を通じて大人を語れば、どうしてもリーダー論になります。
「三国志」を例に挙げれば、魏の曹操は悪役扱いされることが多い人ですが、戦乱の中で農民を略奪から守り、国家の生産力を高め、荒れた世を安定させた。「人民に寝床と食べ物と子育ての環境を保障する」という、指導者としての「結果責任」を果たした大人です。
一方、「三国志演義」で善玉とされる蜀の劉備は、盟友の関羽が討たれた復讐のため、呉に無謀な戦争を仕掛けて惨敗します。劉備の遺志を継いだ諸葛孔明も、蜀を上回る国力の魏への出兵を繰り返し、多くの兵を死なせました。本人たちは友情や忠義を貫き満足だったでしょうが、人民にはハタ迷惑な「幼い指導者」でした。
フランス王アンリ4世は、プロテスタントの代表として血みどろの宗教戦争を制したのに、自らが王位に就くや国民の大多数が信じるカトリックへと改宗。さらに「ナントの勅令」で信教の自由を認めました。その結果、プロテスタントの優れた商工業者が集まり、フランス絶頂期の礎が築かれた。「柔軟さと寛容さ」こそ、大人の条件です。
ペルシャ王ダレイオス一世も、大帝国を築いた際、自らの母語であるペルシャ語のほかに、最も多くの人民が話すアラム語を公用語としました。遊牧国家スキタイと戦った際にも深追いせず、自軍の被害を最小限に抑えた。「バランス感覚」に富む大人でした。
一方、ロシア皇帝エカチェリーナ2世が示した大人の条件は「リアリズム」でした。ロシア人の血を一滴も引いていなかったのに、クーデターを成功させて帝位についた。「自分はこれからロシアで生きるしかない」と決意してロシア語を学び、ロシア正教に改宗し、ロシア人の支持を得ようとするリアリズムがあったからです。
英イングランド国王エリザベス1世の座右の銘は、「私は見る、そして語らない」でした。母親は冤罪で首を斬られ、自らは姉に幽閉されるなど悲惨な境遇を経て王位についた彼女は、他国の王族からの求婚を巧みに退け、外交も極めて慎重でした。だが、スペインとは乾坤一擲の大戦争に踏み切り、みごとに勝利した。彼女は、大人の条件の一つ「好機を待つこと」の天才でした。
(構成 太田啓之)
(文中敬称略)