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トイレをわが手に

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一晩のトイレ介助が十数回目に及んだ時、40代の息子の忍耐は限界に達した。夜中、認知症の母(当時80歳)を1時間に3、4回の頻度でポータブルトイレに座らせるため、睡眠不足が続いていた。午前4時前、「普通のトイレに行きたい」と言い出した母。いら立ちが高じ、殴り、引き倒した。

傷害致死罪。2013年に下った判決は、懲役3年、保護観察付き執行猶予5年。「同情の余地がある」として、量刑は「法定刑の最下限」だった。

身につまされる人は多いだろう。在宅介護経験者ら約700人に聞いた内閣府の調査(2013年)で、「苦労したこと」のトップは排泄(62.5%、複数回答)だった。

自分でトイレに行きたい……。この欲求を、リハビリの「やる気」へと変換する。長野中央病院(長野市)のリハビリ科部長、中野友貴(65)は、このテーマに35年近く取り組んできた。

その第一歩は、「ポータブルトイレ自立」。自分で起き上がり、ズボンを下ろし、ベッド脇のトイレに乗り移る。病院で独自開発した手すりをベッドに取り付け、転倒を防ぐ。この方法で多くの患者の在宅復帰に効果を上げてきた。

ただ、ポータブルトイレは、排泄物をバケツにためるため臭いが出やすく、処理や清掃も手間がかかる。TOTOが2年前から販売しているのが、ベッドサイド水洗トイレ(ウォシュレット付き)。本体の希望小売価格は税込み約57万円。今年購入に介護保険が使えるようになった。

子ども用おむつを逆転

排泄物を粉砕し、水圧を加えて送り出す。トイレと部屋の壁をつなぐ長さ約2メートルのホースは柔軟で、場所を替えられる。尿取りパッドやガーゼなど異物が混入しても、故障しにくいのがミソだ。

兵庫県豊岡市に昨年オープンした全個室の特別養護老人ホーム「ここのか」は、このトイレを試験的に10台導入した。主任介護士の山崎真樹子は、従来型のポータブルトイレの排泄物を処理するとき、入居者が「ごめん、悪いなあ」と申し訳なさそうにする様子が気になっていた。「水洗だと臭いもでないし、バケツ洗浄もないので助かる。ただ、本人がすぐ流してしまうと尿や便の様子が確認できなくなるのだけは困りますが」と話す。

どうしてもトイレに座れない場合は、オムツに頼らざるをえない。業界最大手のユニ・チャームの調べでは、12年の大人用排泄ケア用品の市場規模は約1600億円で、子ども用オムツの1400億円を逆転した。

オムツとトイレが限りなく融合したのが、「自動排泄処理ロボット」である。下半身に専用カバーを装着、尿や便が出た途端にセンサーが感知し、ホースで吸引しつつ、陰部を洗浄する。

寝たきり増産?

エヌウィック(本社・仙台市)が開発した「マインレット」は、介護保険を使えば、本体のレンタルは月6000円、排泄物タンクの購入は1万円ぐらいという。

だが、06年に発売した当初、行政や医療関係者の反応は冷ややかだった。同社のマネジャー、新田成彦は、厚生労働省の当時の担当課長から「寝たきりを増産する。哲学として認めない」と言われて衝撃を受けた。介護保険の対象となる福祉用具として検討の俎上(そじょう)にも載せてもらえなかったのだ。

だが、難病患者や障害者を長期間、介護する家族には歓迎された。その後、在宅介護を重視する流れのなかで、介護保険も、09年には購入、12年にはレンタルで使えるようになった。

埼玉県在住の甲州優(48)は、要介護度5の母を06年から7年間、在宅で介護し、夜だけ装置を使った。「自分が眠いときに、15?20分かけてオムツを何回も交換するのは本当につらい。この装置がなければ体力がもたなかっただろう」と振り返る。

当初、反対した元課長に電話で話を聞いてみた。「つけっぱなしになるのではないか、という心配があった。ただ、いま自分の両親が老々介護になっている様子を見ると、夜間の排泄介助は本当に大変だ。もう否定はしませんよ」
(浜田陽太郎)(文中敬称略)

「人生の最終盤もトイレの存在は大切だ。自力で気軽に行けないと、人の尊厳にも関わる」。世界のトイレ環境の改善を目指す「世界トイレ機構」を創設し、「Mr.トイレ」と呼ばれるシンガポールのジャック・シム(58)=写真=は言う。ビジネスマンだった40歳の時、当時の首相が公共トイレの惨状を嘆く言葉を聞き、「誰もやらないなら自分が」と立ち上がったのだ。

シムが暮らすシンガポールでは、65歳以上が総人口に占める「高齢化率」が2004年の8.4%から14年には12.4%と急速に高齢化が進む。お年寄りが時間を過ごすことが多い病院のトイレに変化が起きていると聞き、訪ねてみた。

「これならトイレに行く途中で転倒する心配もないでしょう」。シンガポール北部にあるクー・テック・プアット病院の企画担当エスター・ヤップ(67)は胸を張る。全病室で、ベッドから数歩の距離にトイレが完備されているのだ。

590床ある政府系の大病院で、2010年に完成した。目玉の一つは、個室だけでなく5人部屋など大部屋にもトイレを備えたことだった。

建設が計画された01年当時、病室内トイレの採用は想定されていなかったが、03年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の大流行で感染症予防への意識が高まった。病室にトイレがあれば利用者が限定され、感染源の特定もしやすく、流行を抑えられる──。病院はベッド一つ分のスペースを潰してトイレをつくった。

高齢者にとっても、トイレがベッドの近くにあれば使いやすい。病院の運営団体によると、03年以前、国内20の病院で病室内トイレを採用した事例はなかったが、10年以降の新設3病院は全て採用した。企画担当のドナルド・ワイ(44)は「高齢化社会の病院像を先取りしていた」と誇らしげだ。
(杉崎慎弥)(文中敬称略)

ケニアの西部、人類発祥の地とされるグレート・リフトバレー(大地溝帯)に位置するケリチョー県。紅茶の一大産地だ。

60世帯が暮らすケティップセゲイ村にとって、6月10日は記念すべき日だった。この日をもって、村は「トイレ普及100%」を達成したからだ。貧しいシングルマザーと4人の子どものために、村人たちは半日がかりで畑の一角に「トイレ」を完成させた。地面を2メートルほど掘り、サトウキビの葉で編んだ壁で囲んだシンプルなつくりだ。

トイレをつくって食べ物や水の汚染を防げば、たくさんの命が救える。そんな知識の普及と、人材育成をこの地で応援してきたのが日本のNPO法人HANDS(ハンズ)である。「住民自身が納得し、参加する地道な努力が必要なんです」と、メンバーの北島慶子(47)は話す。

トイレ問題の解決がより難しいのは、農村より都市だろう。そう感じたのは、ケニアの首都ナイロビ、空港近くに広がるムクル・スラムを訪ねた時だ。

数十万人が密集して暮らすが、下水道などの公共サービスはない。治安も不安定で、ライフルを持った私服の警察官に護衛されながらの取材となった。

ドブ川とぬかるみ、掘っ立て小屋が見渡すかぎり続く。

そこらに捨てるしかない

ここに住むドリス・ボシボリ・モセティ(34)の自宅を訪ねた。12歳と9歳の子どもと暮らすが、トイレがない。

夜、女性一人で用を足しに行くのは、レイプや強盗にあう危険がある。「誘い合わせて5人ぐらいで工場の裏手の方へ行っていました。一人が用を足している間は、男の人が来ないように、別の人が見張ります」とドリス。

今は近くの共同トイレを使うが、1回3シリング(4円弱)かかり、夜9時から朝5時までは閉まる。下痢になった時は、家でポリ袋を使って用を足す。問題は後始末で、有料トイレには持ち込めず、「そこらに捨てるしかない」。ポリ袋に排泄し、ドブやゴミために投げ捨てる行為は「フライング・トイレ」と呼ばれる。

昨年10月、ドリスを含むスラムの女性約100人が、政府に衛生状態の改善を求めてナイロビ市内をデモ行進した。手にはこんなプラカードを掲げていた。

「フライング・トイレはもうごめんだ!」

子どもたちの笑顔がまぶしい冒頭の写真は、スラムの学校で撮影した。背景に並ぶトイレの個室の中は、コンクリートの床に穴が開いているだけ。穴の中をのぞくと、汚物が縁近くまで迫っていた。くみ取りは毎回8000シリング(1万円弱)かかるので、半年に1度しかできない。女性教師は「裸足でトイレに入る子がいて、とても危険なのです。床をきれいに保つようにしていますが……」という。

改善に情熱注ぐ日本人女性

足についた病原菌が、水や食べ物を介して口に入り、下痢を引き起こす。コレラや腸チフスの発生は珍しくない。下痢で命を落とす5歳未満児は、南アジアやアフリカを中心に世界で年間約76万人。肺炎に次いで多い(WHO調べ)。

スラムの学校でトイレの改善に情熱を注ぐ日本人女性がいる。山上遊(やまかみ・ゆう)、37歳。住宅設備大手LIXIL(リクシル)のケニア担当社員だ。

「明るく、風通しがよく、気分がよくなるようにしたかった」。トイレが嫌で、学校を休む子どもたちをなくしたい──。子どものころ、頻尿に悩んだ山上の思いである。

リクシルは、国連児童基金(ユニセフ)と連携し、2013年から「世界の学校のトイレを改善するプロジェクト」として、フィリピン、インド、ベトナムなど5カ国で活動を展開してきた。ケニアでは、これまで約1200人の子どもたちに、新しいトイレ環境を提供してきた。その第一弾が昨年6月、スラムの学校「マンデレオ・ラーニング・センター」に完成したトイレだった。

小学生から高校生まで約100人が学ぶが、公立ではなく私塾に近い。かつては大便器二つと男子用小便スペースしかなかった。男子生徒(17)は、「以前はフライング・トイレを使っていた」という。リクシルは男女別の個室を計8セット、男子用小便スペースなどを新設した。

尿と便をわけて回収し、肥料として役立てる。目指すのは、そんな「循環型無水トイレシステム」だ。水や衛生問題に悩む新興国でのビジネスを視野に入れたリクシルの戦略。その最前線で、山上の奮闘は続く。

(浜田陽太郎)(文中敬称略)

ケニアの地方の村と都会のスラムを訪ね、トイレ事情を探りました(撮影:浜田陽太郎、機材提供:BS朝日「いま世界は」)

世界では約9億5000万人が野外排泄、つまりトイレを使えない状態で暮らしている。国連の「ミレニアム開発目標」は2015年末までに、安全なトイレがない人口を1990年比で半減することを目指すが、目標には大きく届かない見通しだ。

世界保健機関(WHO)によると、野外排泄する人が多いのは、インドなどの南アジア(6億1000万人)、サハラ以南アフリカ(2億2900万人)である。

インドでは、モディ首相が「寺院よりトイレを」の公約を掲げ、全ての家庭や学校にトイレを配備する政策を進める。中国政府も、17年までに、全国の農村や観光地のトイレ環境を改善する計画をつくった。

世界銀行の研究員の試算によれば、「農村部で野外排泄をなくすために使う1ドルで、6ドルの経済的便益がもたらされる」という。