障害者の走り幅跳び世界記録を持つマルクス・レーム(27)。昨年7月にあったドイツ国内の陸上選手権大会で、健常者を破って優勝した。このときの記録、8メートル24センチは、ロンドン・オリンピックなら銀メダルに相当する。リオデジャネイロ五輪も十分狙える記録だ。
だが、正式な大会記録として認めるかどうかで待ったがかかった。現地報道によると、大きく湾曲したカーボン製の義足をつけているレームの助走速度は踏み切り直前には秒速9.72メートル。これに対して2位の選手は秒速10.74メートルで、レームの助走スピードだと義足の反発力がなければ8メートルは跳べない、などの異議が出たためだ。最終的にドイツ陸連は、義足の装着が有利に働いたと判断し、レームの記録を「参考記録」扱いにした。
レームは14歳のときに、マリンスポーツ中の事故で右足を切断した。練習中の彼を訪ねると、陸連の措置にいまも納得していない様子だった。
「一生懸命トレーニングを積んできたのに、抜きんでた記録を出すと、それを正当化しなければならないというのは変だ。すみません、すごい記録を作りました、というような」。さらにレームは、「これまでは『障害があるのにスポーツをして素晴らしい』という同情的な感じだったのに、選手権で優勝したら周囲の態度が明らかに変わった」と話す。
ともに競う基準なく
レーム自身も整形技工士だ。「この義足は特別なものではなく、ほかの選手も着けている。だが、誰もが8メートルを跳べるわけではない。陸連の判断は、まだ最終結論ではないと受け止めている」と主張する。
陸連インクルージョン(共生)担当部長のゲルハルト・ヤネツキー(65)は、「何よりも公平性を重視した」と話す。「健常者と障害者が一緒に参加して同じ競技を行うことの重要性は十分認識している。だが、記録は別だ」との立場だ。
ヤネツキーによると、健常者とともに競う場合に記録が比べられるようにするため、競技用義足の素材や形状などの基準をドイツ陸連として作成中だ。国際ルールになるよう、世界各国にも働きかけていくという。
今回の問題について、ヤネツキーはレームのずば抜けた記録により生じたとする。「基準を早く示したいが、慎重にならざるを得ない。2020年の東京五輪に間に合えばよいが」
(岩堀滋)
(文中敬称略)
来年のリオデジャネイロ・パラリンピック、その先の2020年東京大会を見据える選手たちは体を鍛え、スポーツ義足の性能にもこだわる。新たな記録への可能性を広げてくれる「足」だからだ。
「すごいパフォーマンスを発揮してくれた」
昨年7月、埼玉県上尾市で開かれた陸上競技選手権夏季大会。女子100メートルに出場した12年ロンドン大会出場の高桑早生(23)は、自己記録を更新する13秒69をマークして、日本記録(切断などT44クラス)の樹立を果たした。
練習メニューを特に変えたわけではない。変えたのは「足」だ。骨肉腫で左脚のひざから下を切断。競技を始めた高校1年生のときから使用してきた国内製の義足を、昨年から海外製に変えた。
スポーツ義足は炭素繊維製で「ブレード」と呼ばれる。ブレードのたわみ具合は各メーカーによって微妙な差があり、「競技レベルが上がるにつれて、より強い力が求められる。人の足に近い動きができるものが必要だった」。片足義足の場合、左右のバランスを考慮しなければならず、走り方が崩れてしまうリスクもあった。それでも、高桑はあえて性能の高い義足で世界に挑戦する道を選んだ。
ブレード特有の反発力が結果に表れやすい種目の一つが、走り幅跳びだ。トップレベルの幅跳び選手たちには共通点がある。それは義足側で踏み切る、ということだ。
障害が障害でない社会を
08年北京大会・男子走り幅跳び銀メダリストの山本篤(33)、国際オリンピック委員会(IOC)総会で招致のプレゼンターを務めた佐藤真海(33)は、元々は義足でない側の足で踏み切っていたが、今は義足側で跳ぶ。9月のジャパンパラ陸上競技大会に出場した若手選手は言う。「踏み切るときにブレードは人間の足より大きな力を発揮する。記録も出る」
義足の優位性を巡っては度々、議論が巻き起こっている。08年には、両足義足のスプリンター、オスカー・ピストリウス(28、南アフリカ)が北京五輪出場を訴えたが、「他選手より有利になる人工装置の利用」(国際陸連)を理由に認められなかった。その後、スポーツ仲裁裁判所(スイス)は、ピストリウスについて義足の優位性は認められないとして五輪出場への道は開けたが、義足選手への「加速装置」「道具ドーピング」との批判は今もなおくすぶり続けている。
だが、技術は進歩し続ける。健常者の記録を破ろうと、ロボット技術などに基づいた義足の開発も進む。
ソニー系の研究所のエンジニア、遠藤謙(37)は昨年5月、元五輪選手で、400メートルハードルの日本記録を持つ同い年の為末大と競技用義足の開発会社「Xiborg(サイボーグ)」を設立した。足を切断した友人の力になりたいとヒト型ロボット研究から義足開発に転じた。為末とタッグを組んだのは、どんなに高性能の義足でも選手が速く走るための体の使い方や練習法を知らなければ生かせない、と考えたからだ。為末は走り方の指導に加え、選手の感触などを言葉にして遠藤に伝える。選手の特性に合わせた世界に一つしかない「足」を作ることで「健常者の記録を障害者が超えることは可能」と遠藤は自信を口にする。将来は義足開発などで培った技術をさらに進化させ、「障害が障害ではない社会を」と思い描く。
競技者を取り巻く環境をも変えつつある義足の進化。その歩みを支えてきた人物は、いまの状況をどう見るのか。
義肢装具士、臼井二美男(60)は、スポーツ義足製作に30年近く携わってきた。障害者スポーツ界では欠かせない職人だ。
臼井が勤務する鉄道弘済会義肢装具サポートセンターは、旧国鉄時代を含めて約70年の歴史を持つ。義肢装具の製作からリハビリまでを一貫して行う民間では国内唯一の施設だ。義足の選手たちも次々と訪れ、臼井は工房で要望に応じる。陸上の村上清加(32)は「義足の職人というより私の体を作ってくれる人」と信頼を寄せる。
28歳の時に義肢装具の世界に入り、スポーツ義足の製作も始めた。1991年には「運動ができるように」と下肢切断者のスポーツクラブ「ヘルスエンジェルス」を設立。陸上の鈴木徹(35)、佐藤真海(33)らがここで走る喜びを知った。パラリンピックではメカニックを担当し、2000年シドニー大会から4大会連続で選手を支えている。
障害者スポーツの競技レベルはここ数年で一気に上がった、と臼井は実感する。数年前まではサポートしてきた選手がレースを終えると「ここまでよくきたな」と感傷的な気持ちに浸っていた。ところが、最近は「アスリートのデッドヒートが見られ、スポーツ競技として楽しめている」と話す。
一方で、義足など選手を支えるツールの進化に伴って、健常者の世界で戦うトップ選手が出現した。突出した記録には、義足の性能に疑念の目が向けられる。臼井は選手である限り記録に挑むのは当然のこととしつつ、「誰もが高性能のブレードを装着すれば速く走れるようになり、遠くに跳べるわけではない。本人の努力によるところだと理解する必要があるのでは」と話す。
身体能力を拡張する機械を人間と融合させる"人機一体”を進めて、新たなスポーツを作ろうとする動きもある。担うのは、今年6月に設立された「超人スポーツ協会」だ。
慶応義塾大学大学院教授で人間強化工学が専門の稲見昌彦(43)らが呼びかけ、ロボット研究者や義足のエンジニア、ゲームデザイナーら約40人がメンバーに名を連ねる。各分野の研究成果を組み合わせ、装着して筋力を向上させる「パワードスーツ」や拡張現実(AR)に対応した特殊ゴーグルなどを使った競技を開発。近代5種ならぬ「現代5種」を作って、5年後の競技大会開催を予定する。
稲見は「F1の技術が大衆車に生かされたように、超人スポーツから生まれた技術を日常の生活に還元したい。今後、障害や介護の現場などで我々の技術が使われていくことが、一エンジニアとしての願いです」。
(榊原一生)
(文中敬称略)