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日本の狭き門 なぜ難民認定が少ないのか

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東京の支援団体の事務所で難民申請について相談するアフリカ出身の男性=左古将規撮影
東京の支援団体の事務所で難民申請について相談するアフリカ出身の男性=左古将規撮影

世界から批判される日本

国際社会は難民支援が不十分だとして、日本に厳しい目を向けている。前国連難民高等弁務官のアントニオ・グテーレスは、昨秋の来日時に、日本の難民認定者数が年間2ケタ台であることについて「少なすぎる」「現代の状況に合わせた改善を」などと注文をつけた。「日本の難民受け入れは経済規模に見合っていない」(英紙ガーディアン)などと、海外メディアも日本を批判した。

全国難民弁護団連絡会議代表の弁護士、渡辺彰悟は「国際的に通用する基準で難民と認定される人が、日本で認められていない。固有の基準を持つことは条約加盟国として許されないはずだ」と指摘する。

ただ日本にも、米国など国際社会からの強い要請を受け政治的判断で1万1000人の難民を受け入れた過去がある。戦乱のあったインドシナ半島のベトナムやカンボジアなどから、1978年から2005年にかけて、やってきた人たちだ。

政府は神奈川県と兵庫県に作った定住促進センターで半年間、日本語や生活の仕方を教え、職業のあっせんもした。入所中は大人一人あたり一日950円(ここから食費など650円が差し引かれる)の生活援助資金も支給。退所の際には大人一人あたり約15万円の定住手当なども出た(額はいずれも97年の場合)。

日本はこの受け入れをきっかけに、国際人権規約や難民条約も批准。外国人にも国民年金や児童扶養手当など社会保障の門戸を開放するなど、外国人政策を大きく変えることになった。

だが、「センターを出たあとは放り出された気分だった」とベトナムから81年に来日したハ・ティ・タン・ガ(54)は言う。米国行きを目指したがかなわず、日本に定住したが、どこへいってもアルバイト扱いで、兵庫県で生まれた子どもたちは高校まで出すのが精いっぱいだった。法務省の87年の調査報告書は「労働の対価は日本人の水準よりかなり低く、公的扶助を受けている者も少なくはなく、インドシナ難民が安定して自立生活を営んでいるというにはほど遠い」と総括している。当時、難民世帯の生活保護受給率は5.9%で、日本全体の受給率の7倍超。内閣官房による92年の調査では、7割超の難民がさらなる日本語学習の機会を望んでいた。

インドシナ以外の出身で難民と認められた人たちについては長らく国からの定住支援のない状態が続いた。政府は02年にようやくインドシナ難民と同じ支援プログラムを適用したが、日本語教育などの期間は今でも半年間にとどまっている。

外国人政策に詳しい関西学院大教授の井口泰(労働経済学)は、「たった半年ではまた大失敗する」と警告する。社会にしっかりと統合するためには話すための学習だけでも3、4年は必要だという。井口が提案するのが、海外の難民キャンプなどで暮らす人たちを迎え入れる「第三国定住」制度の活用だ。計画的に少しずつ受け入れを増やせば、難民が暮らす自治体との連携や支援する人材の育成も進めやすい。「現実的なやり方で、支援体制を立て直さねばならない」

なぜ27/7586なのか

「6/3260」「11/5000」。この数字は13年と14年の日本の「難民認定数/申請数」を意味する。昨年は「27/7586」だった。申請数は、11年から5年連続で過去最多を更新したが、なぜ認定数は少ないのか。

日本では、シリアやアフガニスタン出身の難民申請者は少数派だ。多くはアジア諸国の出身者で、昨年は申請者の8割を占めた。国籍別ではネパール(1768人)、インドネシア(969人)が多い。14年の申請者の8割は短期滞在や留学など何らかの在留資格を持っていた。就労などを目的に難民申請をする人が増えているとみられる。

「難民条約に照らして難民と言える人の来日自体が少ない。だから認定も少ない」。これが法務省の見解だ。

一方でドイツなどとは違い、日本の法務省は条約難民だけを難民とみなし、紛争地から逃れてきただけでは難民と認めない方針を貫く。シリアで内戦が激しくなった11年以降、昨年までに65人のシリア出身者が難民申請したが、認定は6人。約50人に人道的配慮から在留を認めた。

紛争地の周辺国などで難民認定された人を日本に受け入れる「第三国定住」も10年から始めた。年30人程度のミャンマー人を受け入れる計画だったが、昨年までの6年間で来日は105人にとどまる。

世論も慎重だ。昨年12月の朝日新聞の世論調査では、難民を「積極的に受け入れたほうがよい」は24%、「そうは思わない」は58%だった。元UNHCR駐日代表の滝澤三郎(現・東洋英和女学院大学大学院教授)は「難民認定が少ないのは、定住を前提とする移民政策が日本にないことも影響している。外国人の増加に不安を感じる人もいて、政治家は難民問題に消極的だ」と話す。

北朝鮮崩壊と難民発生のシナリオ

東アジアで今後、難民が大量に出る事態が懸念されるのは、北朝鮮だ。

米外交問題評議会は2009年の報告書で、北朝鮮の体制崩壊時に難民となりうる人数を「最大100万人」と見積もった。米ランド研究所は13年の報告書で「数百万人」と推定した。

韓国・光州市にある朝鮮大学軍事学科教授のハン・グァンスは、東ドイツから西ドイツに亡命した人の数や、朝鮮戦争時に発生した避難民の数などをもとに、北朝鮮で難民化する人数を70万人と予測。47万人が中国、22万人が韓国へ抜け、日本海を船で渡って日本に来るのは3600人とみる。高麗大学北韓学科教授のナム・ソンウクは「海へ出ても大多数は韓国を目指すはず。日本に来る難民の数は、最大でも数百人から1000人程度ではないか」とみる。

北朝鮮からは、1987年に福井県に11人、07年に青森県に4人、11年に石川県に9人の難民が船で流れ着いた。いずれも韓国への亡命を希望し、日本政府に「一時庇護上陸許可」を申請して長崎県や茨城県にある法務省の入管関連施設に滞在した後、韓国へ渡った。法務省の担当者は「仮に1万人単位の難民が来れば、法務省の施設には入りきらない。自治体などの協力も得ながら、政府全体で対応する必要がある」と話す。

遠くなった難民/柳瀬房子


難民との接し方には時々の日本社会が映し出されている。インドシナ難民受け入れを始めた翌年の1979年から支援を続けるNPO法人「難民を助ける会」会長の柳瀬房子に聞いた。


インドシナ難民が来た当時は、「一歩間違えば、自分も難民だった」という思いを抱えた人が日本にもたくさんいました。アジア各地で戦火の中をさまよったり、大陸から引き揚げてきたりした人たちです。今は難民に対して「お気の毒」「寄り添う」という気持ちはあっても、難民の姿に自分を重ねる人は少ないように思います。

1986年に伊豆大島の三原山が噴火した時、東京にあったインドシナ難民の施設を避難場所に提供したことがあります。すると、避難してきた方々が難民との間に仕切りを作りました。「我々は難民じゃない」と。

「難民を助ける会」が東日本大震災の支援で東北に行った時も、「私たちは難民なのか? ショックだ」と言われました。それほど、難民は他人事なのです。

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柳瀬房子さん

もちろん、神奈川県では定住促進センターを1980年に作った際には反対運動が起きたし、学校で難民の子に日本語の補習をすると日本人の親がえこひいきだと怒ることもありました。今ではたくさんの日本語教室をボランティアが支えています。

一方で、日本はなかなか難民の力を生かせない国でもあります。人手不足だった単純労働の現場に仕事が集中した。力のある人たちにもっと活躍してほしいと願い、奨学金などで支援しました。そうして育てたたくさんの難民と子どもたちが日本で活躍しています。

法務省の難民審査参与員として、年間100件ほどの難民申請者の審査に関わっています。国は救うべき難民を救っていないと批判されますが、私は適正だと思います。出稼ぎ労働者が、日本で働くために難民申請制度を利用している側面が大きいのです。

ただ、この10年で700~800人の申請者に会いましたが、申請を却下される人のなかに、優秀な人たちがたくさんいるのも事実です。しかも彼らはすでに日本で働き、私たちの社会の力になっている。でも難民とは言えないので、帰ってもらうしかない。

そのたびに私は、なぜ日本には外国人の労働者を受け入れる政策がないのかと強く疑問に思います。農業や製造、建設などの現場で人手不足に直面している日本はすでに、外国人の力なくして成り立ちません。政治がきちんと判断し、受け入れ枠を作るべきです。そのためには、日本国民が覚悟を持たなければなりません。外国人が入れば当然、プラスもマイナスもある。それを受け入れる覚悟です。韓国は多民族でやっていくとすでに決めました。日本も今のように、中途半端なままではいられません。

21世紀の支援を/アレクサンダー・ベッツ


120人に1人が難民という時代には、どんな支援策が必要なのか。英オックスフォード大難民研究センター長のアレクサンダー・ベッツ(Alexander Betts)に聞いた。


難民保護には、国際的な協力は必要不可欠で、難民条約にも明記されている。だが、条約では難民受け入れの責任分担は不明確だ。グローバルな問題なのに、各国が責任を共有する国際的メカニズムがない。だから、難民が一部の受け入れ国に偏る事態になっている。

今のままでは、紛争国に近い国が多くの難民を引き受ける状況が続く。シリアに隣接するヨルダンやレバノン、欧州では地中海沿いのギリシャやイタリアが大勢の難民に直面せざるを得ない。

根本的な不平等を解消するため、21世紀にふさわしい難民保護の枠組みや原則、より良い責任分担の仕組みを考える必要がある。まず、難民の受け入れを第三国定住で分担し、人道援助の資金の負担を分かち合うことが考えられる。第三国定住は、わずかな難民を救うことにしかならないが、象徴的な意味を持つ。全ての国が国境を開放し、難民を引き受ける道徳的義務があることを示す重要なメッセージになるからだ。

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アレクサンダー・ベッツさん

日本は歴史的に人道支援でとても大きな役割を果たしている。ただ、第三国定住にも積極的に取り組み、何十万もの難民を抱える国に、責任を分担しているというシグナルを送ることが大切だ。

欧州ではいま、難民に関する世論が割れている。その一極は少数ではあるが、難民受け入れの積極派。もう一極は勢力を増しつつある極右的な反移民・難民派だ。その間にいるサイレントマジョリティーは「欧州経済への影響を憂慮するが、人道的に正しいことはしたい」と考えているはずだ。ただ、パリのテロ事件やケルンでの暴行事件のような出来事は、声なき多数派の見方を変えるおそれがある。

2015年の難民危機は、リーダーシップの欠如が作り出した。欧州の政治指導者は、一般市民に真摯(しんし)に向き合わなくてはいけない。なぜ欧州を目指す難民を保護すべき道徳的な義務があるのかを伝えると同時に、理にかない、持続可能で長期的な受け入れ計画を打ち出すべきだ。

それは、国内避難民とその隣国にいる難民の環境を改善することや、受け入れ国へのさらなる開発援助、難民自身の自立を促すことなどを含む。欧州に来た難民については、経済的、社会的な統合が必要だ。難民を「脅威」や「負担」ではなく、「好機」ととらえるべきだ。そうすれば、欧州や日本が抱える人口減や経済の問題解決に、難民も貢献できるようになる。

「ようこそ」と言えるように/杉崎慎弥

「銀行員として働いて、週末はゆっくりと過ごせる日常をドイツで取り戻したい」。シリアの港町ラタキアからドイツに来たムゼル・ホッセン(32)は、ベルリンの難民キャンプで滑らかな英語で、私にそう言った。ドイツでは難民申請後3カ月で働ける。昨年11月にドイツに来たホッセンは、すでに働き始めているかもしれない。

彼が日本に逃れて来ていたら、とふと考えた。日本では、紛争地から逃れてきた人はなかなか難民認定はされない。昨年までの5年間に日本で難民申請したシリア人65人のうち、認定されたのは6人。「人道的配慮」から在留を許可された約50人も、定住支援のための日本語教育や職業訓練などは受けられない。難民申請後6カ月で働けるが、申請期間中は日本語教育などの定住支援の対象外だ。

これではまるで、ホッセンのようなシリア難民に「来ないで」と言っているようなものだ。難民6000万人の時代に日本が相応の責任を果たしていないと、国際社会は見ている。

難民は社会の重荷になるとの意識が日本ではなお強い。だが、受け入れた難民の自立を助ければ、貴重な働き手にもなりうる。簡単にはいかないだろうが、難民を「ようこそ」と迎えられる国になっていくための準備を始めた方がいいと思う。