金融政策の効果で景気の回復基調強まった
―黒田総裁の5年間の金融政策をどのように評価していますか。
「非常に高い評価だ。失業率は2.8%まで下がり、雇用環境は非常に良い。景気の回復基調も強まった。安倍政権発足前と比べて日本経済が格段に良くなったのは、金融政策の効果だと思う」
「マイナス面は、2014年の消費税引き上げ後、追加の金融政策が迷走した点だ。特に16年1月に決めたマイナス金利政策は無用な円高をもたらした。13年4月の最初の金融緩和は予測以上に大胆な政策で、そこだけみれば百点だが、全体を通してみれば75~80点くらいだろう」
―2%の物価目標を達成できていないのはなぜだと思いますか。
「消費税引き上げの影響が長引いたためだろう。19年に予定されている消費税引き上げはやめたほうが良い。デフレから脱却した後でも遅くない」
―「供給するお金の量を増やせば物価は上がる」としていたリフレ派の主張は変化したのでしょうか。
「リフレ派の考え方に誤解があるのかもしれない。人々のデフレに対するとらえ方(レジーム)が変わるかどうかが物価目標の達成に決定的に重要なことだとリフレ派は訴えてきた。レジームを変えることができなければ、何をやっても効かない。レジームとは人々の考え方なので、『お金をこれだけ増やせば、これだけ物価が上がる』という決まりがあるわけではない」
デフレ脱却を決定づけられる総裁を
―黒田総裁は次の任期も続投したほうが良いとの考えですか。
「デフレ脱却に力点を置くのなら本田悦朗駐スイス大使がふさわしい。2番目が黒田総裁だ。黒田総裁は本田氏に比べると、出口政策を早めるリスクがあると考える。」
―安達さんはリフレ派として知られています。黒田総裁はリフレ派だと思いますか。
「リフレ派は、デフレから脱却するまでは財政が拡大しても良いとの考え方をとる。黒田総裁は、財政再建もデフレ脱却も同時に実現させようとしている点で、普通のリフレ派と違う。デフレ時にリフレ派の政策をとるのは当たり前だと考えているのだろうが、ご自身も自分はリフレ派だとは思っていないだろう」
政府は財政拡張すべき
―今後はどのような金融政策が求められますか。
「日銀の現在の政策は、市場に供給するお金の量(マネタリーベース)を年間80兆円ペースで増やすとしているが、これを年100兆円ペースに増やせば、かなりの確率でデフレから脱却できる。ただ、あしもとで日銀は市場から買う国債の量を年80兆円から年約50兆円程度まで減らしてきている。国債の購入量を拡大するのが難しくなっているのであれば、政府がそれを埋めるだけの財政拡張をして、合計で100兆円にするべきだ。財政拡張自体に景気拡大の効果もあるので、実際に増額するマネタリーベースの量はあと10兆円程度でも良いだろう」
「具体的には、建設国債など新規の国債を増発し、それを日銀が買い上げる方法をとる。その際、日銀のイールドカーブ・コントロール政策は効果的だ。政府が財政出動すると景気が刺激される。金利が上がりそうになれば、イールドカーブ・コントロール政策で長期金利の水準が一定の値に保たれるように日銀が国債を買うので、金利の上昇は止められる。日銀が国債を買うことで、量的金融緩和の効果もある」
―リフレ派は、デフレ脱却に向けて財政政策の必要性も重視し始めているのですか。
「以前から財政政策が必要ないとは言ったことはないので、趣旨替えはしていない。ただ、事実上、金融政策は限界近くまでやってきたので、財政出動も今後加えていけば、金融緩和の効果の余地がさらに出てくるという主張だ」
「一方で、財政拡大は必要だが、金融政策はもうやるなという主張の人もいる。財政出動だけ増やすと金利が上がり、円高と民間投資の縮小を招く。金融政策がいらないという主張の人とリフレ派は立場が大きく異なる」
―政府が財政拡張に踏み切ると、財政規律はどうなりますか。
「定義にもよるが、すでに日銀はイールドカーブ・コントロール政策を採用することで事実上、財政ファイナンスを実施していると言える。ただし、財政規律が緩むとの批判はあまり当てはまらない。2%の物価目標という上限が定められていて、上限を超えたら自動的に財政ファイナンスは止まるルールだからだ」
「日銀は戦前、国債の直接引き受けをして軍部の財布になってしまった負の歴史があり、財政ファイナンスに拒否感があるのだろう。当時は、デフレが終わった後も、財政ファイナンスの仕組みがそのまま残ってしまったのが問題だった」
異次元緩和のリスクは大きくない
―2%の物価目標の達成後、物価水準はどのように推移すると思いますか。
「インフレがさらに進むようなリスクはあまりないと思う。色々な国でインフレ目標政策をとっているが、経済が混乱するようなインフレ率の急上昇はインフレ目標政策を採用している多くの新興国でも起きていないからだ。歴史を振り返ると、第1次世界大戦後にドイツはハイパーインフレに陥ったが、財政ファイナンスをやめたら、あっという間にハイパーインフレも止まった」
「(財政破綻などの)不安は必ずしも当てはまらないと考える。国債の発行残高の約4割を日銀が持っている。日銀も政府の一部と考えれば、新発国債のほとんどを政府が買っているのと同じなので、政府が自前で貨幣を供給していることになる。つまり、事実上の財政赤字はそれほど多くない」
―大規模な金融緩和であしもとの景気が刺激されると、政府や企業の構造改革や成長戦略は進みますか。それとも遅れると思いますか。
「デフレのときに生産性の向上はできない。設備投資は、国内市場が縮小するデフレ期にはやらないものだからだ。デフレから脱却し、ある程度の事業拡大が見込める程度のマイルドなインフレになると、比較的高い物をつくり、利益もしっかり取るというふうに経営者の行動が変わり、同時に設備投資を拡大させたり、(質のよい労働者を雇うために)従業員の賃金を引き上げるようになるのではなかろうか」
日米で異なる金融政策を巡る議論
―日本で長く続いた緩やかなデフレは、経済にどのくらいマイナスの影響を与えたのでしょうか。
「1997年ごろから現在の安倍政権になるまで、日本の名目GDP(国内総生産)の成長率はほぼ横ばいだったが、ほかにそんな国はない。リーマンショック前までは、労働力人口が減少傾向にあるドイツなども含め、先進国の最低レベルでも約2%程度はあった。海外の状況と比べたら、日本のデフレを普通のことだと説得し、それを受け入れることは、逆に難しくなると思う」
―日銀の独立性についてはどうお考えですか。
「日銀が適正なインフレ率を安定的に実現することに集中するように、法的に縛る必要はある。属人的(日銀総裁個人のスタンス)に姿勢がころころ変わったり、ミスを恐れて金融政策に消極的になったりするのはよくない。またFRBのように、失業率についての目標も設定するなどの仕組み作りが必要だろう」
―金融政策を巡る日米の議論にはどのような違いがありますか。
「日本では反リフレ派を中心に、『理論的な背景がないのに量的緩和を実験のように実施していいのか』という意見がある。しかし、米国の状況は全く違っている。リーマン・ショック後、バーナンキ元FRB議長は、量的金融緩和策に踏み切った。当時、量的緩和策はあまり研究されておらず、よくわからないものだったが、危機を食い止めるために何かしようという姿勢だった。そして、今になってようやく量的緩和とは何なのかという議論を深めている。米国では金融政策の実践と理論的な検証がよい具合に刺激し合っている。日本ではリフレ派と反リフレ派の議論が交わっていない印象がある」
安達 誠司(あだち・せいじ)1965年生まれ。1989年東京大学経済学部卒。大和総研、ドイツ証券等を経て現職。主な著書に、「脱デフレの歴史分析(藤原書店、第1回河上肇賞受賞)」、「昭和恐慌の研究(共著、東洋経済新報社、第47回日経図書文化賞受賞)、「恐慌脱出(東洋経済新報社、第1回政策分析ネットワーク賞受賞)」、「アベノミクスは進化する(共著、中央経済社)」など。