タハール・ラヒムは、カンヌ国際映画祭グランプリの『預言者』(2009年)や、『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年)で主演した若手の実力派俳優だ。日本では、名前だけでピンとくる方はまだ多くないかもしれないが、フランスを中心に人気が高い。彼にインタビューしたと在仏のフランス人の友人に言うと、まったく映画通でもないのに「え、すごい! 彼すっごく人気だよ」と言われた。
『ダゲレオタイプの女』は全編フランスで撮影されたフランス語の映画。被写体を長時間拘束して撮る世界最古の写真技法「ダゲレオタイプ」にこだわる写真家ステファン(オリヴィエ・グルメ)の助手となった青年ジャン(タハール)は、父ステファンに「犠牲」を強いられている娘マリー(コンスタンス・ルソー)に心奪われるーー。
黒沢監督はカンヌ国際映画祭などで評価が高く、欧州を中心に熱狂的なファンが多い。今年は米映画芸術科学アカデミーの会員にも選出されている。初の海外進出となった今作の主演にタハールを起用したのはなぜか。公開前の記者会見で黒沢監督に質問すると、「『預言者』を見てとても魅力を感じていたし、(数年前に仏ドーヴィル・アジア映画祭で)お会いした時に、あ、この人は僕の映画に出てきてくれるのにふさわしい人物だ、と直感的に思えた」と答えた。黒沢監督はさらに、「撮影が進んでいくうち、正直、予想したよりはるかに精密で力強い表現者だと感じられた。脚本には単純な感情の流れしか書いていなかったと思うが、それを何段階にも分けていくつかのものを混ぜ合わせて、このシーンでは感情のこのポイントを表現するのだと自分で決めて的確に表現していた。そうした才能と技術を兼ね備えた俳優なのだと撮るごとにわかって、本当に驚いた」と実力をたたえた。
タハールはインタビューで語った。「この役を受けた第一の理由は、黒沢さんは尊敬する監督だから。彼の映画は、大学で映画を勉強した際に学んでいた。だから2年ほど前に電話でこの役のオファーをもらった時、すごく感動して驚いたし、うれしかった。断る理由なんてないよ」。好きな黒沢映画は『叫』(2007年)や『CURE』(1997年)だという。
もう一つの理由は、フランスにはこういった「死者が出てくる哲学的な映画」があまりないためだという。死者を扱う作品の大半はホラー映画で、この世を去った人をめぐって「黒沢さんのように哲学的で抽象的な作品に仕上げる、といったことはない。米国もなかなかないよね。たぶん文化的な要因だと思うけれど、日本には死後の世界やシニガミ(死神)といった概念があるからだろう」とタハールは言った。その意味でも、「主人公ジャンは誰にも話しかけていないのか、誰かと話しているのか、気が触れてしまったのか……疑問に満ちた場面で演じるのは難しかったよ」と語った。
ところで、いま「シニガミ」と発音しましたよね。どこでその単語を知ったのでしょう? 尋ねると、「有名なマンガ『DEATH NOTE』だよ」。なるほど!
ホラーではない死者の映画、欧米でどのように受け止められるだろうか。「欧州でもパラレルワールドを信じている人はたくさんいるし、理解されると思う。それに黒沢さんは欧州ですでに人気だし、死者の出てくる彼の映画は初めてではないしね。米国での受け止められ方はまた違うのだろうけれど」
黒沢監督が書いた脚本にフランスのリアリティをより出すため、タハールは撮影に際して「すべての会話について監督と何度も議論した」という。「上司と部下の関係は、日本とフランスとで違うでしょう? 映画のDNAはそのままに、彼らの関係性や会話を変えたんだ」。演じたジャンはとりわけ、「いまどきの普通のフランス人の若者。普通であることを見せるのが大事だと思った」
タハールは、歴史映画『第九軍団のワシ』(2011年)のスコットランドのケヴィン・マクドナルド監督(48)や、『パリ、ただよう花』(2011年)の中国のロウ・イエ監督、『消えた声が、その名を呼ぶ』のトルコ系ドイツ人ファティ・アキン監督(43)、そして今回の黒沢監督と、海外の監督との仕事を次々とこなしてきた。来年公開見通しのルーニー・マーラ(31)主演『マグダラのマリア』(邦題未定)ではイエス・キリストを裏切るユダを演じ、撮影準備が進む米映画『オフィシャル・シークレッツ』(邦題未定)ではハリソン・フォード(74)やアンソニー・ホプキンス(78)と共演する。仏俳優としてはやや異色とも言える、国境を越えた活動ぶりだ。 「僕の作品選びは、観客としての作品選びと同じ。見たいと思う映画に出る。さらに海外の監督との仕事を通して違う文化やものの見方、あるいは食べ物などにも触れることで、役者として大いに糧になる」
その姿勢は今回の初来日でも表れている。日本を訪れたことのない世界的な俳優ながらマネジャーなどを伴わずひとりでやって来て、ホテルにこもることなく、ひとりで夜の新宿を探索したという。「冒険が大好きだからね」とタハールは笑った。
仏東部ベルフォート出身。両親は北アフリカ・アルジェリアからの移民で、母語はフランス語とアラビア語だ。加えて英語も堪能で、今回のインタビューも英語だった。その点も、伝統的にフランス語オンリーなことが多い仏人俳優にあって珍しい。
タハールは言う。「アラブ系俳優をめぐる状況は問題が多く、かつては二番手や三番手あたりの役ばかりだった」。移民排斥の機運が高まる以前から、白人俳優に比べて「よりよい役どころ」は多くはなかった。
2年ほど前、テロリストの役をオファーされたことがあった。打診したのはハリウッドのスタジオだというからさもありなんだが、「僕はノーと言った。テロリストの役はいつも断っている」。タハールはきっぱりと言った。
タハールは、自爆テロに向かうパレスチナ人青年を描いたハニ・アブ・アサド監督(55)の『パラダイス・ナウ』(2005年)などを挙げてさらに語った。「これはテロリストが出てくる映画としてはすばらしい作品だ。なぜ彼らがそうせざるを得なかったか、どのようにしてそうなったかについて考え、問題提起するというビジョンがある。でも単に誰かがどこかへ行って自爆したというだけの役の映画にはかかわりたくない」
抗いつつも、どのように道をつくってきたのだろう。「ただし僕は、ジャンと言われようがアハメドであろうが気にしない。適切な役柄を得たなら、流れをつくれる。ベストなのは、仕事をして、議論しないこと。疑問に感じて問題にしても、助けとならないと僕は思う」「質問をすればすれほどいい方向にはいかない。とにかく仕事をすることが、思いを代弁することになる」
とはいえ、「今は状況は変わりつつあって、よくなっているよ。ゆっくりとした変化だけれどもね」とタハール。「北アフリカからフランスへの移民は長年起きていて、街に出ればアラブ系や黒人がたくさんいる。ルーマニア人も増えている。映画はある意味、現実を表すもの。それに即したストーリーにしていかなければならない。現実と違うものを観客に見せられないよね。知性ある監督はちゃんとわかっている」「そうして、観客もいろんな人種や民族の役に慣れていくようになればと思う。だからこそ自分が何系の人種であるか以前に、役者としてどんな役を選ぶかが大事なんだ」。役の幅を広げつつ、「卑劣で道徳心のかけらもないけれど憎めない、といった役をいずれ演じてみたい。『カジノ』(1995年)のジョー・ペシのようにね」と語った。
そうして「他の日本の監督の映画にも出てみたい」、とタハールはインタビューを締めくくった。楽しみがまた増えた。