現地に行く前は「フィンランドの高齢者は厳しい自然の中、孤高を貫き、孤独死も恐れない」と勝手に思い描いていた。しかし、取材を始めるとあてが外れた。一人暮らしの高齢者たちの話を聞くと「子どもには頼りたくないが、孤独にも耐えがたい」という、日本人とさして変わらない実像が見えてきた。
アンヤ・フッソ(87)は一昨年、63年連れ添った夫のラウリを心臓病で失った。残されたアンヤは途方に暮れた。北欧の長い冬の夜、1人でテレビを見ていると、涙がこぼれてくる。今にも部屋の扉が開き、ラウリがひょっこりと現れそうな幻覚にもとらわれた。
そんな彼女が心を開くきっかけとなったのが、ヘルシンキ市の「コントゥラ多目的サービスセンター」が開催する高齢女性のためのデイケアだった。
センターは退職者や失業者であれば誰でも利用できる。在宅の高齢者を対象とするデイケアやリハビリの施設に加え、認知症の人向けの居住施設もある。一方で、健康な人もアスレチック施設を利用したり、ボランティア活動に参加したりしている。市立図書館の分室やラテンダンスのサークル活動まである。
こうしたセンターは市内に14カ所。様々なサービスを一つにまとめたのは、多様な人々が出会う機会を作ることで、センター自体が高齢者の「居場所」となることを目指しているからだ。
日本でも「高齢者の居場所づくり」の取り組みはあるが、財源の問題もあり、多くは民間の努力に委ねられる。居場所づくりの主役を公的機関が担い、税金でここまで積極的に進めることはない。
センターが特に力を注いでいるのが、アンヤのような孤立した高齢者を早期に把握し、対応することだ。精神的孤立は心身の急速な衰えにつながりかねないからだ。アンヤも予防接種のためにセンターを訪れたのをきっかけに、ソーシャルワーカーから参加を勧められた。
フィンランドも日本と同様、「介護はできるだけ施設ではなく在宅で」という方針を打ちだす。かつては施設での介護を主軸としたが、コスト高で断念した。「居場所づくり」に力を入れる背景には、「施設を増やすよりも、一人暮らしでもできるだけ長期間がんばれる環境を整えた方が、結局は安上がり」という合理的な計算も、垣間見える。
同じ境遇の女性たちと集い、気持ちを分かち合うことで、アンヤの心に光が差した。1人でいる不安が和らぎ、夜もよく眠れるようになったという。
新たな「居場所」をつくろう
妻が認知症でケアハウスに移り、3年前から一人暮らしを続けるエルッキ・ヴァンスカ(84)にとっては、週に一度、センターで行うリハビリ訓練が生きがいだ。3年前から車いす生活でほとんど自宅で過ごすが、リハビリの場では、同じ障害を抱える同年代の男性たちが集まる。センターが「高齢の男性だけ」のリハビリグループを作ったのも、居場所づくりを狙ってのことだ。「訓練の後、コーヒーを飲みながら仲間と語り合うと、生まれ変わったように気力が充実する」とエルッキは話す。
高齢者の居場所づくりの鍵となるのが、「シームレス(継ぎ目がない)」という概念だ。会社を退職し、ぽっかりと空いた時間にセンターに通うことで、仕事の同僚らに代わる新たな人間関係が自然に育まれる。元気なうちから通えば、介護が必要になったり、施設に移ったりしても、慣れ親しんだ場所で顔見知りの職員からケアを受け、以前からの仲間とも会える。健康な人、在宅で介護を受ける人、施設で暮らす人がセンターで一堂に会することで「居場所」となるのだ。
「一人暮らしになっても人間関係を維持し、孤立させないのが狙い」。同センターのプログラム指導責任者、アニッタ・テッスマンはそう話す。小さな工夫を積み重ねることで、濃密な関係を作ることができるのだと実感した。
「里親」の高齢者版という試み
「ペルヘホイト(家族ケア)」と呼ばれる、一人暮らしの高齢者のための新たな居場所づくりも始まっている。国立健康福祉院で高齢者問題を担当するミンナ・リーサ・ルオマによれば、コンセプトは「里親制度の高齢者版」だ。
身寄りのない子や親に問題のある子を他人が自宅で養育するように、子どもが自立した中年夫婦や健康な高齢者が、一人暮らしの高齢者を受け入れて自宅に住んでもらい、食事や団欒を共にする。
介護サービスは外部スタッフが担当するため、「里親」が担うことはない。施設よりも低コストで、人間味のある関係を高齢者に体験してもらうのが狙いだ。
現時点では280人の高齢者が利用しているだけだが、思いついたことはどんどん試し、結果次第で取捨選択する、というのがフィンランドの流儀。政府は当面、高齢者政策の重点として利用者の拡大を目指すという。
2040年に「孤独死」20万人時代が来る?
日本では、65歳以上の人のうち男性の13%(約192万人)、女性の21%(約400万人)が一人で暮らしている(2017年版高齢社会白書)。中央大学教授の山田昌弘は「40年には、年間20万人以上の孤独死が発生する可能性がある」と予測する。内閣府が実施した一人暮らしの高齢者への意識調査(14年)では「孤独死を身近に感じるか」との質問に「とても感じる」「まあ感じる」と答えた人は45%で、「会話が月に1、2回」という人に限ると6割以上に上った。
韓国でも、一人暮らしの高齢者が25年間で13倍に急増し、孤独死の増加が問題になっている。欧州の長寿国として知られるイタリアでも高齢者の孤独死の増加が深刻化している。(文中敬称略)
自己責任社会では難しい「100歳までの安心」
今回の取材で訪れた国々のありようは「100歳まで幸せに生きられる社会」に向けて貴重なヒントを与えてくれる。
健康な高齢者は社会を支える側に回ること(シンガポール)。家族や職場だけではない新たな人間関係を作れる場を設けること(フィンランド)。どんな最期を迎えるか、本当に自己決定できる環境を整えること(オランダ)。いずれも日本でも取り組み可能な課題だ。
一方で、社会保障のありようについては、シンガポールの「低負担・低福祉」に対し、フィンランドとオランダは「高負担・高福祉」と対照的だ。
高齢化が進むほど、個々人の健康・経済状態のばらつきは大きくなる。「自分が何歳まで健康で、何歳で死ぬのか」予測できる人はいないから、自己責任で高齢期に備えるには限界がある。「超高齢社会で安心を得るには、支え合いが不可欠」というのは、道徳ではなく、経済的合理性から導き出される結論なのだ。
シンガポールの「福祉に頼らず生涯働く」という方針は、努力目標にはなり得ても、だれもが実現できるわけではない。国の経済は維持できても、「普通の人が100歳まで幸せに生きられる社会」をつくれるとは思えない。
日本では消費税率の引き上げが大幅に遅れ、国の借金は天文学的数字に達する。人々の老後への不安は膨れあがり、貯蓄意欲は高まっても政府が目指す消費の拡大は進まない。このままでは社会保障の削減は避けられず「自己責任型社会」の傾向がさらに強まるだろう。
フィンランド、オランダは「高負担による支え合い」を重視しつつ、経済的にも順調だ。現地では「フィンランド人はあまり貯蓄をしない」という話も聞いた。彼らにとって税金とは「国が行うサービスの対価」であり、払うに値する安心を与えてくれるものなのだ。
日本では「税は国から一方的に取られるもの」という意識が強い。そこからどう脱却し、支え合いのために使えるお金=財源を増やしていくか。日本が「100歳まで幸せに生きられる社会」をつくる最大の鍵はここにある。