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ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」 黒人のアリエルが巻き起こした議論と感動

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ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を演じたハリー・ベイリー=2023年5月8日、ロサンゼルス、ロイター
ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を演じたハリー・ベイリー=2023年5月8日、ロサンゼルス、ロイター

虹色に輝く優美な尾びれを翻しながら、ほの暗い海の中を自在に泳ぐアリエル。

かれんなのにシャープな動きとCGIならではのリアルな背景が相まって、ディズニーの実写版『リトル・マーメイド』の冒頭シーンは、大人ですら人魚の存在を信じてしまいそうになる。

続いて陸の世界と、そこに住む人間へのとめどもない好奇心と憧れをつづった名曲「パート・オブ・ユア・ワールド」を歌い上げるアリエルのアップ。

その表情、その歌唱力。R&Bシンガー、ハリー・ベイリーはアリエルを演じるために生まれてきたのかもしれない。

実写版「リトル・マーメイド」予告編=ディズニー・スタジオ公式YouTubeチャンネルより

アメリカでは5月の最終月曜日はメモリアル・デイ(戦没将兵追悼記念日)と呼ばれる祝日であり、夏の到来を告げる日ともされている。

毎年、この日を含む4日間の連休中にハリウッドの大型映画が公開され、その興行成績を競う。今年の『リトル・マーメイド』は2019年の同時期に公開されたディズニー実写版『アラジン』(2019)をしのぐ1億1880万ドル(約166億円)の大ヒットとなり、ハリウッドにおけるメモリアル・デイ・ウィークエンド記録の歴代5位につけた。

しかし、公開前から本作ほど物議を醸した作品は他にないと言えるだろう。

「アリエルは白人」激しい反発にディズニーの対応は

実写版『リトル・マーメイド』を巡る騒動は4年前に始まった。

2019年にディズニーが主役アリエルはハリー・ベイリーと発表するやいなや、実写版シリーズにおける初の黒人プリンセスに歓喜の声が上がった。

その一方、1989年のアニメ版『リトル・マーメイド』のファンからは「アリエルは白人」「子供時代の思い出を台無しにしないで」と猛烈な反発が起き、#NotMyAriel(私のアリエルじゃない)のハッシュタグが出回った。

事態を重く見たディズニーは、主役キャスト発表のわずか4日後に、傘下のケーブルTVチャンネル「フリーフォーム」名義の公開書簡を出した。

フリーフォームは子供向けのディズニー・チャンネルと異なり、10~30代の女性、つまり黒人アリエルへの非難を噴出させた層が対象のチャンネルだ。

書簡は、架空の生き物である人魚の人種を問うナンセンスさと、何よりハリー・ベイリーのパフォーマーとしての才能を強調したものだった。

SNSにあふれる笑顔の子どもたちの反応

ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を演じたハリー・ベイリー=2023年5月15日、ロンドン、ロイター
ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を演じたハリー・ベイリー=2023年5月15日、ロンドン、ロイター

ハリー・ベイリーは米南部ジョージア州出身、現在23歳のR&Bシンガー・俳優だ。

幼い頃から姉のクロイと共に子役として映画などに出演してきた。2人は11歳と13歳の時にクロイ&ハリー名義でビヨンセのカバー曲をユーチューブにアップしたところビヨンセの目に止まり、ビヨンセのレーベルと契約。2018年のデビュー・アルバムはグラミー賞の最優秀新人賞に、2020年のセカンド・アルバムも3部門にノミネート。その間も2人でシットコムやディズニー番組への出演を続け、ハリーは19歳で実写版『リトル・マーメイド』の主役アリエルに抜擢された。

その後、コロナ禍によって制作は延期され、昨年9月にようやく予告編が公開されると、予告編を見る子供たちが目を見開いて「アリエルは黒人!」と驚き、やがて「私みたい!」と満面の笑みを浮かべる様子が続々とSNSにアップされた。

撮影者の多くは、子供時代に「自分と同じ」プリンセスを持てなかった母親たち。彼女たちは、自分の子供が同じ肌の色のプリンセスをどれほど待ち望んでいたかを知っていたのだった。

他方、アニメ版のファンからは前回よりさらに激しい非難が続出し、黒人差別用語すら飛び交う事態となった。

今年3月のアカデミー賞の舞台に『リトル・マーメイド』を紹介するシーンが設けられてハリー・ベイリーが登場した後にまたもや同じことが起きたが、5月27日に満を持して全米公開され、大ヒットとなった。

黒人のアリエルが拒絶される背景に、白人が演じられないプリンセスたちの登場

幼い時期に白い肌・青い瞳・深紅の髪を持つアニメ版アリエルに夢中になったファンにとって、その思い出は永遠だ。人種の異なる実写版アリエルへの違和感と反発は察するに余り有る。

しかし黒人アリエルへのかたくなな拒絶の背後には、アメリカとハリウッドの歴史も潜んでいる。

アニメ版ファンからは、同じくディズニーのプリンセスである「ポカホンタス(アメリカ先住民)やモアナ(南太平洋人)を白人が演じたらどう思う?」の問い掛けが出ているが、人種民族マイノリティーのプリンセスを白人が演じる逆パターンは起こらない。ディズニーのプリンセスは1937年の『白雪姫』に始まり、1992年の『アラジン』で中東人のジャスミンが登場するまで白人のみだった。

以後、ディズニーは多様化の波に合わせてマイノリティーのプリンセスを次々と生み出しており、それを白人が演じることは世相に反する。

こうした多様化の流れがありながらも、アフリカ系アメリカ人のプリンセス、ティアナが誕生したのは2009年の『プリンセスと魔法のキス』と、白雪姫から実に72年後であり、ジャスミン、ポカホンタス、ムーラン(中国人)の後だった。

「黒人プリンセスの物語があるのだから、それを実写化すればいい」という意見もある。これについては作品を見ると分かるが、『プリンセスと魔法のキス』は優れた内容ではあるものの、ティアナは物語の6割の時間をカエルの姿で過ごす。実写版で自分と同じ外観のプリンセスを見たい子供たちの希望をかなえるには不十分と言える。

「だったらオリジナル作品を作ればよい」の声さえあるが、ディズニーは今のところ過去の作品を順次、実写化している最中だ。

マイノリティーを白人が演じる「ホワイトウォッシュ」との違い

黒人アリエルは「ブラックウォッシュ」だというそしりさえある。

ハリウッドにはマイノリティーの役を白人に演じさせる「ホワイトウォッシュ」の歴史があり、ブラックウォッシュはそれを逆手に取り、揶揄(やゆ)するための造語だ。

ホワイトウォッシュは『ティファニーで朝食を』(1961)で白人俳優ミッキー・ルーニーがユニオシという名の日本人を人種差別的に演じたことや、『ウエスト・サイド物語』(1961)では主役であるヒスパニックを白人俳優が茶色いメイクで演じたことなどがよく知られる。

ホワイトウォッシュはその後も延々と続けられたが、近年、『Ghost in the Shell(攻殻機動隊)』(2017)の草薙素子をスカーレット・ヨハンソンが、『万里の長城』(2016)では古代中国が舞台にもかかわらず欧州人戦士を主役とし、それをマット・デイモンが演じたことなどが厳しく批判され、現在ではほとんどなくなっている。

これはアニメにも及び、今ではマイノリティー・キャラクターの吹き替えは同じマイノリティー属性の俳優が務めることが多い。

ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を演じるハリー・ベイリー=ロイター
ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を演じるハリー・ベイリー=ロイター

ホワイトウォッシュのそもそもの問題点は、アメリカの映画やテレビにマイノリティーの登用が極端に少なかったことにある。ハリー・ベイリー自身も昨年のバラエティー誌のインタビューで、幼い頃にアニメ版『リトル・マーメイド』の大ファンだったこと、しかしアリエルが自分と同じ姿であったなら、自分自身への確信や自信がどう変わっていただろうかと語っている。

アメリカ社会において黒人は長年にわたって実社会であれ、スクリーン上であれ、ロールモデルになれず、数少ないマイノリティーの役すら白人に奪われてきた。それがホワイトウォッシュなのだと知ると、逆パターンのブラックウォッシュなる現象はあり得ないとわかる。

ハリウッドにはホワイトウォッシュを上回るあしき伝統「ブラックフェイス」もある。黒人が俳優になることが許されなかった1800年代に白人が顔を黒く塗り、「陽気で歌と踊りはうまいが、間抜け」な黒人の役を演じるミンストレル・ショーが人気を博し、後に映画にもなった。

ディズニーも例外ではなく、ミッキーマウスの短編アニメ『Mickey's Mellerdrammer(ミッキーの脱線芝居)』(1933)は、ミッキーマウスが楽屋で黒塗りをし、黒人の髪形のカツラとボロをまとって黒人の扮装をし、歌って踊る。

ディズニーは1946年と早い時期に黒人俳優主演の『南部の唄』を世に出すこともしているが、現在はストリーミングから同作品を排除している。実写とアニメを合体させた手法が評価され、テーマ曲「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」が大ヒットしたにもかかわらず、 元奴隷の黒人が白人に仕える姿を幸福そうに描いていることから「事実の歪曲」と批判されてのことだ。各地のディズニー・テーマパークにあるアトラクション「スプラッシュ・マウンテン」は同作品を題材としていたが順次、『プリンセスと魔法のキス』に変更される。

他にも『ダンボ』(1941)や『ピーターパン』(1953)など、白人以外の登場人物の描写がステレオタイプで有害であると指摘され、現在は冒頭にその旨を記したメッセージが挿入されている作品がいくつかある。先述したように多様化を目的として制作された『アラジン』も、中東人の描写に問題がある旨を記している。

黒人俳優がアリエルを演じる意味とは

少女とハグをするディズニーの実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を演じたハリー・ベイリー(写真右)=2023年5月15日、ロンドン、ロイター
少女とハグをするディズニーの実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を演じたハリー・ベイリー(写真右)=2023年5月15日、ロンドン、ロイター

ディズニーはこうした自社の過去を踏まえて現在は作品の多様化を目指しているわけだが、ディズニーの背景にはアメリカそのものの歴史がある。

アメリカはヨーロッパからの入植者が先住民を駆逐し、アフリカから強制連行した黒人を奴隷とし、かつ移民の労働力によって経済大国となった。

アメリカが映画も含む大衆文化の発信国となったのも経済力があってのことだが、映画も経済をコントロールしていた白人による、白人のための作品が圧倒的多数を占めてきた。

黒人を含む人種民族マイノリティーも白人主演作品を見るしか選択肢がなく、たとえ作品として優れていても自身の存在はそこに反映されておらず、幼いハリー・ベイリーが体験したようにマイノリティーの自尊心を高めることにはつながらなかった。

だからこそハリー・ベイリーは自身が演じるアリエルの意味を知っている。

アメリカだけでなく、世界中の褐色の肌の子供たちにリプレゼンテーション(自己の表明)が必要なのだ。

ディズニー作品は、そもそもは子供の夢を育むためにある。1989年のアニメ版『リトル・マーメイド』に夢中になったファンは、当時アリエルを見てどれほどワクワクしたかを思い出してほしい。そして2023年の今、黒人のアリエルがどれほど多くの子供たちに同じ感動を巻き起こしているかを想像してほしい。

幼い子供たちが目を輝かせてつぶやく「私みたい!」……この言葉がすべてを物語っている。