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ルイ・アームストロングも無名のDJも……黒人を描き続ける白人アーティストの自分史

ホワイトハウスへ猛ダッシュ 更新日: 公開日:
アーティストのジャスティン・ブアさん
アーティストのジャスティン・ブアさん=本人提供

■「ブア」の世界

首をかしげてヘッドフォン越しの音に耳を澄まし、レコードを回すD J。釘付けで見入る群集の真ん中で踊るブレイクダンサー。ブルックリン・ブリッジを背景に夜空を見上げてトランペットを奏でるルイ・アームストロング。空高くジャンブしてシュートに挑むコービー・ブライアント……。ジャスティン・ブア(Justin Bua)さん(53歳)が描く作品は、顔や手足がデフォルメされていて、魚眼レンズを使って至近距離で撮った写真のようにも見える。独特の世界観に、思わず吸い込まれそうになる。

ブアさんの作品「1981」
ブアさんの作品「1981」=本人提供

スケートボードやCDカバーのデザイン、「NBA(米ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)ストリート」や「NFL(米ナショナル・フットボール・リーグ)ストリート」といったビデオゲームのキャラクターのデザインなどが商業アーティストとしての始まりだった。2012年、バスケットボール界のレジェンドと呼ばれるカリーム・アブドゥル・ジャバー元NBA選手とともに製作したドキュメンタリー映画のプロダクション・デザインが評価され、NAACP(全米黒人地位向上協会)の「イメージ・アワード」を受賞した。毎年、テレビ、音楽、劇場、アートの分野で素晴らしい功績を上げた人へ贈られる、歴史的で名誉ある賞だ。代表作「ザ・DJ」の複製画は1300万枚を超える売り上げを記録。今では独自のアパレルや靴を製作すればすぐさま売り切れる起業家、そして作家としての顔も持つ。クリントン元大統領やロバート・デ・ニーロ、クリスティーナ・リッチなど、ハリウッドや政界にもファンが多いことで知られる。

クリントン元大統領がブアさんの作品を気に入り、夕食会に招待された時の写真
クリントン元大統領がブアさんの作品を気に入り、夕食会に招待された時の写真=2016年、カリフォルニア、ブアさん提供

その独特な「ブアの世界」に私がロサンゼルスで出会ってから20年以上がたつ。作品から飛び出すエネルギーとクールな雰囲気に魅了され、必死に買い集めたポスターを眺めてはふと浮かぶ一つの疑問があった。「白人のブアさんはなぜ黒人文化を描き続けるのか?」。米国の人種問題について記事を書くようになった私は、これを機に、長年に渡る疑問を本人に直接聞いてみることにした。憧れのアーティストと話す機会に少しワクワクしながら……。

■都会のジャングル

ハーレムに近いニューヨーク州アッパー・ウェスト・サイド出身のブアさん。「私たちはよく『アッパー・ベスト・サイド』と呼んでいた。自分たちのエリアが『ベスト』だと思っていたからね」と笑う。グラフィック・デザイナーだった白人の母親に女手一つで育てられた。父親はブアさんが生まれてからわずか2日後、「ミルクを買いに行く」と家を出たきり蒸発した。先祖がプエルトリコからの移民だったこと以外、父については何も知らない。

アッパー・ウェスト・サイドに住んでいた頃のブアさんと母親
アッパー・ウェスト・サイドに住んでいた頃のブアさんと母親=ニューヨーク、ブアさん提供

ブアさんが「ベスト」と呼んだエリアは、SRO(シングル・ルーム・オキュパンシー)と呼ばれる、ワンルームの低所得者用アパートに囲まれていた。労働者階級の地区だったが、一歩外に出れば麻薬ディーラー、売春婦があちこちにいた。

ある日一人で町を歩いていると、若い白人男性が突然「金を出せ」とブアさんを脅した。所持金がなかったブアさんは、震える手でカバンから飴玉を2つ取り出し、「これしかない」と言って渡した。ブアさんが本当にお金を持っていないと察した男性はすぐに立ち去ったが、ふと周りを見ると、すぐそばで警官2人がこちらを見ているではないか。1人の警官が言い放った。「坊や、ニューヨークは乱暴な町だ。慣れなさい」。「子供を助けもせずに、警官が笑いながら『慣れろ』だと?」7歳のブアさんは衝撃を受けた。

少年時代のブアさん
少年時代のブアさん=ニューヨーク、本人提供

「自分を守ってくれると思っていた警察は助けてくれない。母親もいつも働いているため自分を守ることはできない」。そうであれば「自分の身は自分で守るしかない」。ブアさんは初めて現実を突きつけられたように感じた。犯罪と混沌に満ちたこの環境を、まるで「都会のジャングル」にいるようだったと、当時を振り返る。

■刺激の宝庫

それでもブアさんの周りには、仲間と共有できる数々の刺激があった。母親が働きに出る間、きょうだいがいなかったため「鍵っ子」としてよく家で一人でテレビを見ていたが、友達ができるにつれ、外で友達と過ごす時間が増えていった。13歳のブアさんの目が外へ向き、将来のキャリアにも繋がる様々な刺激を受け始めたのはこの頃だった。

少年時代のブアさん
少年時代のブアさん(右から3番目)=ニューヨーク、本人提供

アッパー・ウェスト・サイドは多様な人種と文化が入り混じる「メルティング・ポット(人種のるつぼ)」だった。友達のほとんどは黒人。地下鉄の駅、ビルの外壁、公園など、どこを見てもグラフィティ(落書き)アートに溢れ、いつもヒップホップやラップミュージックが流れていた。それを BGMに、パルクール(壁を駆け上がったり、障害物を飛び越えたりするスポーツ)で建物から建物に飛び回った。メトロポリタン美術館やクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館など、世界的に有名な美術館にいつでも無料で入ることもできた。「メトロポリタン美術館のレンブラントや北斎の作品の前で鬼ごっこができたなんて、クレイジーでしょう?」とブアさんは微笑んだ。全てがスリリングで刺激的だった。

ブアさんがNBAのコービー・ブライアント選手を描いた作品「コービー」
ブアさんがNBAのコービー・ブライアント選手を描いた作品「コービー」=本人提供

ブアさんはブレイクダンスやポッピング、ヒップホップなどに本格的にのめり込んでいった。この頃のブアさんにとって人種問題といえば、「まるで白人と黒人の立場が逆転していたようなものだった」。それは、常に自分がマイノリティー。「黒人コミュニティーの中に1人混じっている白人」だったからだ。「白人がこんなところで一体何をしてるんだ?」とやじられるのは日常茶飯事だった。それでも最近DNAテストを受けるまで、自分には少し黒人の血が混じっていると信じていた。

■「黒人として生きること」を初めて知った日

ブアさんが15歳の夏。母親が「都会のジャングル」から抜け出し息抜きをするため、家から車で1時間ほどのロングビーチという海沿いの町にタイムシェアの物件を借りた。ブアさんがそこへ黒人の男友達、アリを連れて遊びに行った時のことだった。浜辺に向かって歩いていると、一台の車が止まった。中にいた2人の若い男性が、「お前はなぜここに黒人を連れてきたんだ?」と叫んだ。ブアさんは「親友を連れてきて何が悪い?」と言い返したが、車の中からは次々に「黒人はここに来てはいけない」、「今すぐ出ていけ」という言葉が飛び出した。ばかばかしいと思いつつも、なんとかかわして浜辺に向かった。

アーティストのジャスティン・ブアさん
アーティストのジャスティン・ブアさん=本人提供

それから約1時間後、同じ男性2人組が今度は20人ほどを引き連れ、ブアさんたちのいる浜辺へやってきた。手には鉄パイプやハンマーが見えた。「殺される」――すぐ察したブアさんとアリさんは一目散に逃げた。男性集団はなかなか諦めなかった。足が速かった2人は息を切らして必死に走り続けた。最後はなんとか逃げ切ったものの、追いかけられた約10分間は何時間にも感じられた。同じ人たちがブルドーザーで、ブアさんの母親が借りたレンタル物件のビルに現れ、窓や壁を破壊したという知らせを聞いたのは、ブアさんたちがロングビーチを引き上げ、家に戻ってからわずか1週間後のことだった。

当時からロングビーチは「ブルーカラー」といわれる労働者階級の町だった。「『黒人の親友を連れて来た』。ただそれだけで、殺されかけるとは。まさに1950年代、南部で行われていた黒人に対する『リンチ』そのものだった。そこにどれだけの憎しみがあったのだろうか」

ブアさんがキング牧師を描いた作品「マーティン・ルーサー・キング」
ブアさんがキング牧師を描いた作品「マーティン・ルーサー・キング」=本人提供

当時、ブアさんは人種問題について理解しているつもりだった。それでも多様性に富むアッパー・ウェスト・サイドでは、黒人差別を目の当たりにすることは稀だった。住み慣れた自分の町を出て初めて、目が覚めたかのように、この国で黒人として生きることがどれだけ危険かということを衝撃とともに学んだ。「奴らは差別主義者だ。こんな町、さっさと出よう」と怯えるアリさんにブアさんは言った。「君はどこかに行く度にこんな目に遭うのか?そんな悪夢があっていいものか」。この時のアリさんとの会話をブアさんは今でも鮮明に覚えている。

■サバイバルの日々

ブアさんが16歳になった頃、アッパー・ウェスト・サイドではジェントリフィケーション(都市の高級化)が進み、労働者階級の人たちは追い出されるようにマンハッタンの外へと引っ越して行った。ブアさんの母親も家賃の上昇を理由に、ブルックリンへ引っ越すことにした。引っ越し先のフラットブッシュという地区は、ウェスト・アッパー・サイドに比べ黒人の割合が圧倒的に多く、周囲を見渡せば白人はブアさんと母親のみ。他はみんな黒人だった。犯罪率が高く、ウェスト・アッパー・サイドの黒人の友達ですら「危ないから」と言ってブアさんの家に来ることを拒んだ。地下鉄の駅から家までの道は「恐ろしい帰り道」だった。強盗にあわないよう、トラブルに巻き込まれないよう、およそ15分の道をいつも早足で歩いた。

ブレイクダンスをしていた頃のブアさん
ブレイクダンスをしていた頃のブアさん(写真中央)。チーム名は「ニューヨーク・エクスプレス」だった=ニューヨーク、本人提供

近所の友達が泊まりに来た翌朝のことだった。母親の悲鳴が家中に響いた。2階で寝ていたブアさんと友達は飛び起き、部屋にあった野球バットなどを手に母親がいる1階へ走った。すると鉄のタイヤレバーを持った若い黒人男性が、母親の22口径弾が入った銃を盗み、窓から外へ逃げ出していくではないか。泣き叫ぶ母親。大きな音で鳴り響く防犯装置の警報。駆けつけた警官は「犯人が武器を持っているから」と、家に入らず待機した。その間に逃げる強盗――。「あまりにもクレイジーで、まるで映画のシーンを見ているようだった。でもそれが私の現実だった」

ブアさんがクラブで楽しく踊る人たちを描いた作品「ファンキング グルーヴィング」
ブアさんがクラブで楽しく踊る人たちを描いた作品「ファンキング グルーヴィング」=本人提供

その後5、6年住んだフラットブッシュの家には計6回、強盗が入った。周囲ではいつも銃声が鳴り響いていた。銃をこめかみに突きつけられたことも、刃物で刺されたこともあった。「どうすれば強盗にあわずに済むか」「どうすれば刃物で刺されたり撃たれたりせずに目的地に着けるか」をいつも考えていた。「それは、毎日をどう生き延びるかという『サバイバル』だった。周囲の黒人の仲間も同じような状況を経験していた」とブアさんは語る。「『サバイバル』はストレスを生み、精神的にとても疲れるものだ。仕事がある程度成功した今でさえ、トラウマのようにその心理状態から抜け出せていないと感じることがある」

■黒人文化を描いて伝えたいこと

「私が描くのは、私の世界における『ヒーロー』たちだ。有名であろうがなかろうが、私を感化し、素晴らしくポジティブな影響を与えてくれた人を絵で表現している」と話すブアさんの絵のモデルは、キング牧師、ローザ・パークス、オバマ大統領、2パック、L L・クール・J、ノトーリアスB. I. G.から、無名のD J、ダンサー、ギターリスト、ピアニスト、コンガ演奏者など、多岐に渡る。

ブアさんがジャズトランペット奏者、ルイ・アームストロングを描いた作品=本人提供
ブアさんがジャズトランペット奏者、ルイ・アームストロングを描いた作品=本人提供

特に、有名でない人がモデルの場合についてブアさんはこう話す。「日々の生活を生きる『リアルな人間』を描きたい。このような人たちこそが、独特のキャラクターやパーソナリテイーで、私たちのコミュニティーと文化を豊かにしてくれているから。表面ではなく、内面で人が抱く思い、精神、決意などを『翻訳』して絵にする。例えば、地下室でD Jをする男性は、周りに観客がいない。地位もお金も関係ない。D Jをすることが好きでたまらない、その一心で1人でレコードを回し続けていた」

「ブレイクダンサーたちの『スピリチュアル・フリーダム(精神的自由)』も同様だ。彼らが踊る時、『抑圧』から解き放たれるような純粋な喜びと満足に満ち溢れる。ブラジルの奴隷がカポエイラを踊ったように、私たちはブレイクダンスを通して自由を謳歌する」。父親がいなかったブアさんは「都会のジャングル」で力強く生きる「ヒーロー」たちの姿に憧れた。

ブアさんが無名のD Jを描いた作品「ザ・D J」
ブアさんが無名のDJを描いた作品「ザ・DJ」=本人提供

ブアさんは、白人として黒人の世界を覗いていたわけではない。自らの環境や経験に基づくからこそ見えるもの、感じるものを表現していた。黒人の苦悩や葛藤を十分理解した上で、人間の持つたくましさ、ポジティブなエネルギー、純粋な感情といったものに焦点をあてている。「私は自分が育った環境にいる人々を描いている。それはまさに私自身の世界。私自身の文化だ」

トランペット奏者を描いた作品「トランペットマン」の前でポーズをとるブアさん
トランペット奏者を描いた作品「トランペットマン」の前でポーズをとるブアさん=本人提供

「サバイバル」の苦しみを経験しつつも、「ここから出たい」と思ったことは一度もなかったと語るブアさん。それは、まさにブアさんの作品にも表現される数々の刺激とエキサイトメントがあったからに違いない。「作品を通して、常に人を元気にするポジティブなメッセージを送りたい」と話すブアさんが、アッパー・ウェスト・サイドを「アッパー・ベスト・サイド」と呼んだ真の理由がここにある。

ブアさんが制作中の、「ザ・DJJ」や「1981」を含む人気キャラクターのフィギュア
ブアさんが制作中の、「ザ・DJ」や「1981」を含む人気キャラクターのフィギュア=本人提供

最近は歌手のシャーデーを描いた作品を完成させた。現在は人気作品のキャラクターをフィギュア化するプロジェクトに精力的に取り組んでいる。夢や目標は?との質問にブアさんはこう答えた。「もっと素晴らしいものを作りたい。私の最高傑作はこれから生まれる」