アメリカは、合衆国憲法(1787年)で「学術および有益な技芸の進歩を促進する」ために、連邦議会に「著作者および発明者に対し、一定期間その著作(writing)および発明に関する独占的権利を保障する」立法権限を認めるほど、知財の保護をうたっています。
それに基づいて特許法と著作権法も1790年に制定され、様々な改正を経て今に至っています。AI技術が急速に発展する中、特許法については、特許商標庁や裁判所が2022年までに「発明者は人間でなければならない」と確認しました。ただ残念なことに、著作権法上は混乱しています。
AIで生成したイラストの著作権をめぐる『Zarya of the Dawn』事件
最近、話題になったのは、Kristina Kashtanova氏のコミック小説『Zarya of the Dawn』です。
18ページからなる作品で、著作権法で求められる著作物の登録が認められた後に、イラストは画像生成AI「Midjourney」を使って創作されたことが作家のSNSを通じて判明しました。
著作権局は、登録の申請書類にAIの使用を開示していなかったことを理由に申請は不正確と決定。適切な追加情報を提供できなければ、登録を取り消すと書簡を出します。
作家は、弁護士を通じて (1) Midjourneyは補助的ツールとして使ったにすぎず、作家が作品の全てを著作した、(2)それが認められないとしても、テキストは作家の著作で、作品全体は作家がテキストやイラストについてクリエイティブな選択、コーディネートやアレンジをした編集物(compilation)であり、著作権保護が及ぶので取り消すべきではない、と主張しました。
しかしながら当局は今年2月、「作品(著作物)のテキスト、その他の文言的・視覚的要素の選択、コーディネートやアレンジは保護される」ものの、「Midjourney技術によって生成された作品中のイラスト自体は、人間が著作者性を有する制作物(product of human authorship)ではない」ため著作権で保護されない、としてイラスト部分の著作権登録を取り消しました。
続けて、当局は著作権登録のガイドラインを発表し、登録申請する作品の中に「AIが生成したコンテンツ」が含まれる場合は、そのことを開示し、かつ人間である著作者の作品への貢献度を簡単に説明しなければならない、としました。
AIが生成したものを含む作品の場合、AIの貢献が「機械的複製」の結果にすぎないのか、著作者の「独自のオリジナルな精神的着想で、著作者がそれを目に見える形式にした」結果なのか、検討する方針のようです。
Midjourneyに画像を生成させるには、人間が指示を入力する必要がありますが、この指示は、絵を描いてもらう画家に委嘱する時の指示に、より近いと考えているようです。ツールの利用を否定するわけでもない。大切なのは「人間が作品の表現に対するクリエイティブ・コントロールをもって、伝統的な著作者性の要素を『実際に形成した』度合い」のようで、案件ごとに判断されるようです。
ここまで説明してきましたが、「え~、そんなことどこまで区別できるの?」が率直な疑問です。
無人カメラでサルが自撮り『Monkey Selfies』事件
「人間のクリエイティブ・コントロール」で、まず思い浮かぶのは、2011~2018年に話題となった「Monkey Selfies」事件です。
報道などによると、イギリスの写真家デイビッド・スレーター氏がインドネシアで絶滅危惧種のサルを撮影しようとして、自分がカメラを向けると怖がるので三脚に載せたカメラに、手元でシャッターを押せるレリーズを付けて設置していたら、サルが自撮りをしたのです。歯をむき出しにしてニヤリと笑ったように見える写真は話題を呼びました。
Wikimedia財団やアメリカの動物愛護団体PETA(People for the Ethical Treatment of Animals)は「これは人間の作品じゃない。動物の作品だ」と主張。
Wikimedia財団は、著作権料は無償であるべきだ、あるいは著作権保護が及ばないパブリック・ドメイン(社会の共有財産)だとして、自らが運営するウェブサイトにアップロードしました。
写真家は、そんなアップロードは違法だと抗議しました。サルの著作者性を認めるべきだとするPETAは、サルを「ナルト」と名付け、「著作者」のナルトの代わりに「隣の友達(Next Friend)」として、写真家が写真の著作者と偽って写真を営利目的で販売したことで、ナルトの著作権が侵害されたと主張し、ライセンス料などを求めて、カリフォルニア州北部連邦地裁に訴えたのです。
地裁は、「著作権法は『明らかに(plainly)』著作者の概念や法規上の当事者適格を動物に拡張していない」し、「当局も動物により制作された作品は著作権保護が認められないと同意している」から、「ナルトは著作権法上の『著作者』ではない」とし、ナルトには(訴訟する)当事者適格はない、として写真家の訴訟棄却の申し立てを認めました。
これに対してPETAが控訴しましたが、実質的に地裁の判断で決着しました。とはいえ、報道によると、写真家は弁護士も雇えないほど困窮し、精神的にも落ち込んだようです。彼の立場に立って考えると、「ラッキー!良い写真が撮れたから公表しよう」と思ったら、苦境に立たされて、気の毒に思います。
ロースクールで必ず学ぶ『オスカー・ワイルドの肖像写真』最高裁判決
さらに思い出すのがアメリカのロースクールの著作権法の講義で必ずと言っていいほど学ぶ1884年の最高裁判決です。
カメラが普及し、1865年には著作権の保護対象として写真も含まれることが明記される中、写真家ナポレオン・サロニー(1821-1896)は、自分が撮った詩人オスカー・ワイルドのポートレート写真を無断で販売した出版会社を著作権侵害で訴えました。すると出版会社は、写真は「著作(writing)」ではないし、「著作者の制作物」でもないので、著作権保護を写真にまで拡大した改正は違憲だ、と主張したのです。
著作権を侵害したとされた出版会社は最高裁まで争います。写真とは、ある自然物とか人間のそのままの特徴を紙に複製したにすぎないから、作者が著作者と認められる著作(writing)に当たらないと繰り返し主張しましたが、最高裁も、その主張を退けました。
へ理屈にへ理屈で応酬するようにも見えますが、憲法上の「writing」が著作者による手書きに限定されるとすれば、それを印刷した本その他の印刷物も保護対象から除外されることになってしまいます。
最高裁は、こうも言っています。「議会は、憲法上の『writing』が、著作者の内心にあるアイデアを視覚的に表現する、すなわち書くこと、印刷すること、彫刻すること、エッチングすることなど、あらゆる形態を含む、と適切に言明している」
さらに最高裁は「著作者とは、その(著作物の)オリジン(origin)に責任を負う者、原作者、制作者、科学または文学作品を完成させる者」と明示しました。
AIは人間ではなく、動物かカメラ(ツール)に近い存在
AI技術は、人間の指示入力によって動いて出力する、いわゆる「ブラックボックス」で、どんなに機械学習技術などが発達しても法的には人間にはなりえず、人間のアイデアをAIがどんなに洗練してくれても、「オリジン」は人間なのです。
絵を描くことが趣味の筆者からすると、どんな絵を描きたいか(入力)と同じくらい悩むことは、どこで「完成」とするか(出力に基づいた決定)です。
今のアメリカ著作権法業界では、AIに著作者性を認めたいと考える人が多いように思いますが、筆者からすると、単なるツールであるAIに、本来は自分がコントロールするべきことの責任を押し付けているようにしかみえません。
とはいえAIというツールを使えば、誰でもクリエーターになれる時代です。オリジナルな作品を世間に発表すれば、あわよくば有名になれるかもしれません。