技能実習制度の建前と本音
技能実習制度とは、発展途上の国の若者が日本で働きながら技術を習得し、それを持ち帰って、母国の発展に寄与する仕組みです。技能実習生は日本で3年から5年働きます。
実習とは言っても実際は「労働力」として扱われるケースがほとんどです。少子高齢化が進み、労働力不足に陥っているこの国で、彼らは貴重な労働力となっています。
農業、縫製、漁業、建設業といった人手不足と言われる業種を中心に40万人近くが働いています。
ただ、厚生労働省や法務省の人たちに、このことを尋ねても、判を押したように「労働力ではなく、あくまでも技能習得を目的とした制度」だと言い張ります。
一方、私が話を聞いたすべての外国人技能実習生も「お金を稼ぐ」ことを来日の目的に挙げました。日本で稼いだお金で母国に家を建てたい、小さな店を開きたい、両親を楽にさせたい…。実習生の思いも、技能の習得という制度の狙いとはずれていました。とはいえ、制度上、彼らにも労働基準法が適用され、法的に人権が守らなければなりません。
未払い給料2年分
私は徳島県の民間放送局「四国放送」でディレクターをしており、社会的な問題について取材をしています。技能実習制度について関心を持ち、取材を始めたのは2018年10月のこと。労働組合の組織「連合徳島」職員の傳麗(フーリー)さんとの出会いからでした。
傳麗さんは日本人男性と結婚して徳島県に住むことになり、2000年から連合徳島で働いています。業務は、ちょうどこの頃増えてきた中国人技能実習生からの相談に応じることでした。
私は、傳麗さんが相談を受けた衝撃的な事例を聞くこととなります。
例えばこんな内容です。14年前の2004年のことです。徳島県のある縫製工場で、働く中国人技能実習生の女性から「経営者がいなくなった、未払いの給料が2年分くらいある」という相談があったそうです。
経営者は、給料を毎月数万円しか支払わず、残額は帰国の時に渡すと実習生に告げていました。
日々の食事にも苦労する生活です。節約のために河原に生えている野草を摘んできて、餃子の皮で包んで食べるというのです。
そして女性の帰国の日が近づいた時、突然、経営者が姿を消したといいます。帰国の時に渡すと約束していたはずの賃金も支払われずに。
「平成・令和の日本でこんなことが起こっているのか」。そんな驚きから取材は始まりました。
残業200時間、時給400円
取材した柳叔玲さん(47歳)は中国・大連からやってきました。私が出会った当時、来日してちょうど4年でした。
縫製工場で働く彼女は、未払い賃金について傳麗さんに相談にやってきました。技能実習生とのトラブルが絶えない事業所の特徴の一つに「給与明細書」を渡していないケースが多くあります。いったい自分の給料がどのように計算されて支払われているのかわかりません。そうすることで事業所の都合の良い解釈で給料が計算されます。
柳さんは、自分が働いた時間、支払われた給料、残業代を毎日メモしていました。また途中から不信に感じていた彼女は、時折スマートフォンでも働いている時間などを撮影していました。
それによると毎月の残業時間は180時間を超えていました。中には200時間を超える月までありました。休日は正月の三が日くらいでほとんどありません。
経営者が残業代の支払いに使った封筒には、金額だけが記されていました。その金額と残業時間で時給を計算すると、時給は400円。当時の徳島県の残業代の時給は849円ですから、その半分しか支払われていませんでした。未払いの賃金を4年間で合計すると200万円を超える金額でした。
連合徳島が徳島労働基準監督署にこのことを親告。この縫製工場は立ち入り調査を受け、柳さんに対し未払い賃金を支払います。しかしその翌日、彼女は経営者夫婦から驚くような言葉を浴びさせられます。
「そんな所(連合徳島や労働基準監督署)に行くやつは最低や」
「会社を潰すのが目的か!あほ」
「きょうの5時まで働いたら、もう帰ってくれ中国へ」
1時間以上にわたり罵声を浴びた柳さんは、たまらず帰国の同意書にサインしてしまうのです。その夜、私と傳麗さんは彼女を迎えに行きます。
冬の冷たい雨の降る中、涙を流しながら私たちを待つ彼女を見たときは、なんとも言えない気持ちになりました。彼女は在留期間を1年残して中国に帰っていきました。
その後、この縫製工場は閉鎖されました。新型コロナウイルスの影響で新たな実習生の来日が見込めなかったからです。
逃げ出すベトナム人をカメラがとらえる
2019年の12月のことです。私のスマートフォンに、あるベトナム人の友人からメッセージが入ります。
「これから強制帰国させられそうになっているベトナム人技能実習生がいる」
そんな訴えを受けて、私は技能実習生の支援者と共に、その実習生の女性が働く農園に駆けつけました。
私たちが農園近くで待機していると、彼女から電話があり、「帰国したくありません。助けてください」と私たちに訴えました。
「近くで車を停めて待っているから、パスポートなどの貴重品をもって来なさい」。支援者がそう伝えました。
しかし、農園の経営者は近くにいます。彼女はそこから脱出することが出来るのか――。そんな緊迫の瞬間を私たちのカメラはとらえました。
一人の女性が現れ、こちらに向かって懸命に走ってきました。助けを求めた彼女でした。まるで国境を越えて逃げてくる難民のようでした。
彼女を保護したのは、労働組合に入っていない労働者の相談に応じている港湾ユニオンセンター(徳島市)の北野静雄さん。
北野さんは自宅の離れに逃げ出してきた実習生を保護できる宿泊施設を自費で作っています。これまでに多くの技能実習生を保護してきました。
女性はハーティー・ジャンさん(24歳)。彼女はなぜ、逃げ出したのでしょうか。それを説明する前に、技能実習生が来日する仕組みを知る必要があります。
母国の送り出し機関で日本語などの研修を一定期間受け、来日します。その後、受け入れ機関である協同組合や監理団体が日本での生活について研修し、各実習先に割り振られて働くことになります。
実習生は送り出し機関に手数料を支払いますが、そこに問題があります。取材した多くの実習生は出国前に100万円を支払ったと言います。ベトナムの平均月収は3万円ですから、ほとんどの場合は借金を背負って来日することになります。
ハーティージャンさんも母国の送り出し機関に100万円の手数料を支払いました。
ジャンさんはシングルマザー。病気がちな母親の医療費と小さな娘の教育費を稼ぐために来日しました。
ジャンさんが働く農園の経営者は技能実習生に門限を設け、外出の際には外出届の提出を義務付けていました。その外出届についてジャンさんが説明してくれました。
「どこ行きますか?誰会いますか?何しますか?何食べますか?何時帰りますか?」
彼女は経営者から、事細かに行動の報告が求められていたのです。
冬の始まりの寒い夜のことです。故郷に残してきた娘のことなど寂しさを紛らわすかのように河原の公園で友人たちとビールを飲んでいました。気が付いたら門限を過ぎていました。
彼女が自分の部屋に戻ると、経営者から門限を破ったことをとがめられ、解雇と帰国を告げられました。彼女は何度も謝りましたが、許してはもらえませんでした。
在留期間はまだ2カ月残っています。借金をしてまで来日した彼女にとって、残り2カ月分の給料が入らなくなるのは大きな痛手です。帰国させられることになった彼女は、助けを求めてその農園から逃げ出したのです。
彼女を保護した労働組合の北野さんは、農園の経営者と交渉を重ねた結果、農園側は残り2カ月分の給料をジャンさんに支払うことに同意しました。その交渉の場にも同席したジャンさんは、帰りの車中で涙を流していました。私は今も忘れることができません。
実習生たちを裏切ってはならない
3年にわたる取材の中で、外国人技能実習生の流す多くの涙、怒りに身を震わす姿を多く見てきました。
夢見た国「日本」で、悲しみにくれる外国人たち。隣国との関係にいつも影を落とす歴史問題のように、彼らの受けた悲しみがいつの日か、技能実習生を送り出している国との関係に影響しないか心配です。
人口が減少し、労働力が必要となり、その人材を外国から求めるのであれば、私たちは彼らを真正面から受け入れ、共に助け合って働いていく社会を作ることが健全ではないでしょうか。
私は高校時代に交換留学制度を利用してアメリカの一般家庭に1年間留学し、現地の高校に通った経験があります。1987年のことです。
その頃、私が滞在したアメリカの田舎町ではまだまだ日本人は珍しい存在でした。言葉もわからず、周囲からは奇異の目で見られる。「外国人」とはいかに孤独なものか――。
ですが、滞在先の家族、学校での先生や友人に恵まれ、アメリカという国がすっかり好きになって帰国しました。
日本にいる外国人技能実習生は、これからもどんどん増えていくと予想されます。この国に夢見てやってくる若者たちを裏切らない、技能実習制度の改定もしくは、新たな受け入れ制度の創設が必要ではないでしょうか。