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映画評論家・佐藤忠男さん、日韓映画界をつないだ 「釜山映画祭の父」の思い出語り

現地発 韓国エンタメ事情 更新日: 公開日:
映画評論家の佐藤忠男さん
映画評論家の佐藤忠男さん=2013年、郭允撮影

「釜山映画祭の父」と呼ばれるキム・ドンホさんは、1996年に始まった釜山国際映画祭の創設に携わり、長年にわたって執行委員長を務め、世界の映画人に慕われる存在だ。キムさんが初めて佐藤さんに会ったのは1989年、イム・グォンテク監督の紹介だったという。佐藤さんはイム監督の『曼陀羅』(1981)に魅了され、韓国映画に興味を持つようになったと明かしている。『韓国映画の精神-林権澤(イム・グォンテク)監督とその時代)』という著書もある。

ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019)がカンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞、米アカデミー賞で作品賞など4冠に輝き、韓国映画が世界の注目を浴びるようになったが、その源流はイム監督だったと言っても過言ではない。韓国が世界の映画祭で受賞し始めた80年代、その中心にイム監督がいた。

『シバジ』(1986)主演カン・スヨンがベネチア国際映画祭とナント三大陸映画祭、『アダダ』(1987)主演シン・ヘスがモントリオール世界映画祭、『ハラギャティ』(1989)主演カン・スヨンがモスクワ国際映画祭で、それぞれ主演女優賞を受賞した。いずれもイム監督作だ。キムさんは当時、映画振興公社(現・映画振興委員会)の社長としてイム監督と共に世界の映画祭に参加し、佐藤さんと出会ったのもこの頃だ。

キムさんは「佐藤先生はイム監督と親しく、久子夫人と一緒によく韓国を訪れた。その度に私も一緒に食事をした。佐藤先生はおとなしく、久子さんの方が社交的な印象だった」と振り返る。

2021年の釜山国際映画祭
2021年の釜山国際映画祭。濱口竜介監督とポン・ジュノ監督のスペシャル対談が行われた=同映画祭提供

ところで、キムさんはそのおとなしい佐藤さんを怒らせてしまったことがあるという。佐藤さんは1991年に始まったアジアフォーカス・福岡映画祭(以下、アジアフォーカス)のディレクターを立ち上げから務めていたが、96年、第1回釜山映画祭の開幕日と第6回アジアフォーカスの開幕日が重なったためだ。いずれもアジア映画を中心に紹介する映画祭で、キムさんは海外の映画関係者から「後発の釜山が日程を変更した方がいい」と助言されて気付いたが、いったん決めた日程を変えるのは難しかった。

キムさんは「たまたま重なってしまったのだが、佐藤先生が怒っていると聞いて会って謝罪しなければと思った」と振り返る。96年のハワイ国際映画祭で佐藤さんに会い、日本料理店で食事をしながら謝罪した。「その席で翌97年の第2回釜山映画祭に佐藤先生を招待し、日本映画の解説をお願いしたいと言ったら、うれしそうに承諾してくれた」と言う。97年以降、佐藤さんが2006年にアジアフォーカスのディレクターを退くまで、毎年互いの映画祭に招待し、交流を続けた。

キム・ドンホさん
キム・ドンホさん=成川彩撮影

アジアフォーカスでは目利きの佐藤さんによって韓国映画もいち早く紹介されたが、ポン・ジュノ監督の長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』(2000)のその一つ。ポン監督作では唯一興行的に不発だった作品だが、アジアフォーカスでは2001年に上映している。日本で『ほえる犬は噛まない』が劇場公開されたのはポン監督の次作『殺人の追憶』(2003)が韓国でヒットした後だった。

佐藤さんの訃報を知ったキムさんは「コロナ禍でなければ日本へ飛んで行ったのに」と悔やみ、「イム監督作をはじめ、韓国映画に対する佐藤先生の深い理解にも感嘆したが、韓国での日本映画の紹介にも貢献してくれた」と称えた。

釜山映画祭の初期は、韓国では日本映画がまだ劇場公開できない時期だった。日本の大衆文化の流入が制限されていたためだ。1998年、金大中政権下で段階的に開放され、日本映画が劇場で見られるようになった。日本の大衆文化開放については慎重論も多かったが、キムさんは「私は開放すべきだと思っていた。開放前も映画祭では日本映画を上映できたので、釜山映画祭の初期は意図的にたくさんの日本映画を上映し、今村昌平監督や北野武監督、岩井俊二監督らを招待した」と言う。名だたる監督たちの招待が可能だったのは、佐藤さんの存在が大きかったのでは、と想像する。

一方、2017年に釜山映画祭から退いたキムさんは、2019年に新たに始まった江陵国際映画祭の理事長を務めている。「第1回には是枝裕和監督がトークに参加してくれて、おかげで盛況だった」と目を細める。5月のカンヌ国際映画祭では是枝監督の初の韓国映画『ベイビー・ブローカー』がコンペティション部門に選出されており、キムさんも参席予定という。近年ますます日韓の映画人のコラボが増えているが、佐藤さんやキムさんが先駆者となって日韓の映画界をつないできたことも記憶したい。