出会い系アプリ「Hinge」を使っていたその男は、トー・ブーの(求める)条件をすべて満たしていた。
彼は中国出身の若々しくハンサムな建築家で、米メリーランドに長く滞在していた。2人が直接会ったことは一度もなかったーー彼が言うには、新型コロナウイルスワクチンのブースター接種を待っていたーーが、何カ月もメールをやりとりしており、彼女は恋心を募らせていた。彼は、ブーのことを「かわいこちゃん」と呼び、パンデミック(感染症の大流行)が終わったら、家族に会わせるため中国に連れていきたいと伝えていた。
ツオー・チャオを名乗っていた男は、警備会社の顧客サービス部門で働いていたブーに、ビットコインなどの暗号資産の取引でカネを稼ぐのを手伝ってあげるともちかけ、ブーは興味をそそられた。
「私は暗号資産についてニュースでよく耳にしていた」とブーは言う。「私は好奇心が旺盛で、彼は取引のプロセスについてとてもよく知っていた」
ところが男は、ブーの暗号資産投資の手助けをしようとしたわけではなかった。ブーによると、彼はよく知られるようになっていた金融詐欺のワナに彼女を引き込もうとしていたのだ。それは、昔からあるロマンスの誘惑と、一夜にして暗号資産成り金になれるという新手の誘惑を組み合わせたワナである。
33歳のブーは、数週間のうちに30万ドル以上に相当するビットコインをチャオが指示したアドレスに送った。彼女がそれまでにためたカネのほぼ全額で、送り先は香港の暗号資産取引所「OSL」の口座につながるアドレスだという。ウェブサイトは適法にみえ、年中無休で24時間のオンラインによる顧客サポートサービスが提供され、ビットコインの価値の上下に合わせたブーの残高が表示され更新されていた。
チャオ――本名は確認できなかった――は、ブーの暗号資産への投資は2人が結婚し一緒に生活を始めるために役立てると約束した。
「OSLにもっとカネを投資すればもっと稼げるし、ハネムーンに行ける」。ブーが記者に見せてくれたショートメールのスクリーンショットに、彼はそう書き込んでいた。
だが、ハネムーンは実現しなかった。思いがけない収入もなかった。ブーのカネは、取引所の口座に振り込まれるかわりに詐欺師のデジタルウォレットに入れられ、彼との連絡は途切れた。
いまブーは、いったい何が起きたのかを理解するのに苦労している。
「彼のことを私は知っていると思っていた」とブーは言う。「ぜんぶウソだった」
ロマンス詐欺――被害者の信用を得るために恋愛感情を装うなどしてだますオンライン詐欺を指す用語――は、パンデミック下で増えた。暗号資産の価値も上がっている。被害者から蓄えを奪おうとする犯罪者にとって、暗号資産は都合のいい入り口になるのだ。
米国の連邦取引委員会(FTC)によると、2021年はざっと5万6千件のロマンス詐欺で計1億3900万ドルが失われたとFTCに報告された。FTCがその前年に受けた報告の2倍近い。連邦捜査局(FBI)のオレゴン州オフィスは昨年秋の速報で、暗号資産詐欺がサイバー犯罪の主要事案として浮上し、21年になってからの7カ月で1800件以上の報告があったと警告した。
専門家は、このタイプの詐欺は米国や欧州で広がる前に中国で始まったとみている。中国語では「豚の殺し屋」といった意味の名称(訳注=「殺猪盤」と書く)で、被害者がダマされる前にお世辞と恋愛感情で「太らされる」やり方をさしている。
オンライン暗号資産詐欺による被害者の代理人を務める非営利団体「Global Anti-Scam Organization」の事務局次長ジャン・サンティアゴによると、この種の詐欺師たちは、一般的に年配者でテクノロジーに詳しくない人を標的にする典型的なロマンス詐欺とは異なり、「Tinder」や「Bumble」「Hinge」といった出会い系アプリを使う若くて高い教育を受けた女性たちを狙うようだ。
「詐欺に遭うのは主にミレニアル世代の人たちだ」とサンティアゴは言う。
オンライン詐欺の防止に当たる会社「Sift」の調査員ジェーン・リーは昨年、暗号資産が絡む恋愛詐欺の調査を始めた。彼女が出会い系の人気アプリのいくつかに登録すると、すぐに投資のアドバイスをしようとする複数の男性と出会った。
「人びとはパンデミックで寂しく、暗号資産は目下、すごくホットな話題になっている」と彼女は言う。「この二つの要素が組み合わさると、ものの見事に詐欺が成功するのだ」
リーの話だと、彼女の会社は詐欺の防止でいくつかの出会い系アプリと協力しているが、詐欺師たちは通常、(相手との)会話を出会い系アプリから「WhatsApp」に移そうとする。WhatsAppはメッセージが暗号化されており、(オンライン詐欺に目を光らせる)企業や司法機関による追跡が難しいのだ。
そのため、詐欺師は会話が暗号資産に向かうまで、相手の気を引くメッセージで攻勢をかける。詐欺師は暗号資産取引の成功者を装い、手っ取り早く低リスクで利得をあげられるとして、彼あるいは彼女のカネの投資方法を提案する。
リーによると、その次に詐欺師は「Coinbase」や「Crypto.com」といった合法サイトで被害者が暗号資産を購入するのを手助けし、偽の暗号資産取引所に送金するよう指示を出す。被害者のカネは取引所のウェブサイトに表示され、彼あるいは彼女は詐欺師の指導でさまざまな暗号資産に「投資」を開始し、最終的に詐欺師がそのカネを持ち逃げしてしまうまで投資し続けるのだ。
この詐欺が非常に狡猾(こうかつ)なのは、「ナイジェリアの王子」をかたったかつての詐欺よりはるかに手が込んでいるからだ。被害者の中には、さまざまな暗号資産の価格が表示されたチャートやティッカー(相場表示板)を備えた本物っぽいウェブサイトへ誘導された人もいる。偽の取引所の名称やアドレスは頻繁に変更され、被害者は早い段階で少額の引き出しを度々許されるから、その後は多額のカネを安易に振り込むようになるのだ。
テネシー州でソーシャルメディアの制作に携わる24歳のニキ・ハッチンソンは昨年、暗号資産が絡むロマンス詐欺の被害に遭った。彼女はカリフォルニアの友人のもとを訪ねていた時、出会い系アプリHingeでハオを名乗る男に出会った。ハオは近くに住んでいて、衣料品業界で働いていると言っていた。
彼女は自宅に戻ってからも、彼と1カ月以上WhatsAppでテキストのやり取りを続けた。彼女は中国からの養子だと告げると、彼は自分も中国人で、彼女の生まれ故郷と同じ地方から来たと言ってきた。彼は、彼女のことを「シスター」と呼ぶようになり、自分は長い間行方知らずだった「ブラザーだ」とジョークを言った(彼女によると、2人は1度、WhatsAppのビデオ通話機能を使って話したが、ハオは顔の一部しか見せず、すぐに電話を切った)。
「彼は恥ずかしがり屋なのかと思った」と彼女は言う。
ハッチンソンは、母の死後、子どものころ住んでいた家の売却金30万ドル近くを相続したばかりだった。ハオは、そのカネを暗号資産に投資するよう提案した。
「あなたに時間があるとき、暗号資産への投資を教えてあげたい。それは、あなたの人生を変え、副収入をもたらす」。2人のやり取りのスクリーンショットによると、ハオは彼女にそう書き送っていた。
結局、彼女は同意し、ハオが指定したデジタルウォレットのアドレスに少額の暗号資産を振り込んだ。アドレスは「ICAC」という暗号資産取引所の口座だと彼は言っていた。そのカネがICACのウェブサイト上に表示されたところで、彼女は追加送金した。
ハオのアドバイスに従うだけで、信じられないくらい簡単にカネを稼ぐことができた。
ついに彼女は貯金の全額を投資し、ローンを組んでさらに投資を続けた。
ハッチンソンは12月、口座からカネを引き出そうとした時に疑念を抱き始めた。カネは引き出せず、ICACの顧客サービス担当者は彼女に数十万ドルの税を支払うまで口座は凍結されると伝えてきた。ハオとのチャットは途切れた。
「ああ、神様、私は何てことをしてしまったのか、といった感じだった」と彼女は振り返る。
現在、ハッチンソンは人生をまとめて取り戻そうとしている。彼女と父は、わずかに残った資産の一つのRV(レジャー用の多目的車)で暮らし、詐欺師を追跡するためフロリダの警察に協力している。(抄訳)
(Kevin Roose)©2022 The New York Times
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