くにい・おさむ 栃木県大田原市生まれ。医師。国立国際医療センター、外務省、長崎大学、国連児童基金(ユニセフ)などを経て、2013年からグローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)戦略・投資・効果局長。2022年3月から、グローバルヘルス技術振興基金(GHITファンド)のCEO。
■コロナで後退した三大感染症対策
――コロナのパンデミックを、エイズ・結核・マラリアという世界三大感染症と闘う組織の局長として迎えました。
世界的なサプライチェーンへの影響がまず出て、中国やインドで製造されている安価な治療薬や診断薬、マラリア予防の蚊帳などが現場に届かなくなりました。多くの国がロックダウンとなり、医療従事者や患者さんが病院に行けなくなる事態さえ生じて、年間約250万人が命を落としている三大感染症の診断や治療も滞りました。
これまで何十年もかけて感染や死亡を減らしてきたのですが、コロナによって10年前、20年前の水準まで引き戻されてしまったのです。コロナのもたらした影響はコロナだけの問題にとどまりません。他の感染症でより多くの死亡者が出てしまった地域もあります。
――日本のコロナの取り組みについて、海外からはどう見ていましたか。
罹患(りかん)率を見ると欧米に比べて日本を含めたアジアは低く、決して日本の対策が悪かったということはありません。ただ、コロナの流行が始まって2年過ぎましたが、ワクチンも治療薬もすみやかに開発できなかったのは残念です。技術立国としてなぜできなかったのか、真剣に考える必要があると思います。
日本は過去には天然痘、ポリオ、結核を含め多くの予防ワクチンを国内で生産・供給し、多くの感染症を制圧してきました。しかし、それらの病気で死亡する人が少なくなると、予防接種に対する副作用への懸念や、誤った情報などによるワクチン忌避が増えました。市場の原理で感染症医薬品の消費が減ってもうからなくなり、創薬への投資も減り、感染症から手を引く製薬企業が増え、感染症の専門家や研究者も減りました。そんな中で、コロナのワクチンや治療薬を短期間に開発できる能力のある研究機関や専門家は少なかったのだと思います。
大学や研究機関、民間企業が個別に努力するだけではうまく進まない部分もあります。欧米では、感染爆発国の政府や医療機関の協力を得て治験を大規模かつ迅速に進めるなど、組織間の協力や世界的な連携が行われてきました。平時から有事の備えをしてきたか、組織間やグローバルな連携協力を推進していたか、などによって大きな差が出てきたのではないでしょうか。
■グローバル人材、日本はなぜ少ない
――日本は世界的なネットワークから離れた所にいるのが現状なのでしょうか。
それを肌で感じます。これまでニューヨークやジュネーブで国際的な会議やアクションにも参加してきましたが、その中で日本の存在感は必ずしも大きくありません。日本政府の代表者が議論に参加していても次のアクションになかなかつながらず、もどかしさを感じてきました。重要なのは具体的なアクションです。
その元になるのは、やはり人材です。グローバルに活躍できる人材が日本には本当に少ない。例えば、日本人は海外留学しても、国際機関でインターンなどをしても、すぐに帰ってしまう人がほとんど。でも、中国や韓国、インド、その他様々な国から欧米に来た人たちの中には、必死に勉強して働いてしがみついて、そのまま残れるように職を探す人が多くいます。
日本が世界から取り残されている、または、世界の動きについていけないと言われている理由の一つは、グローバルな動きを肌で感じて、その潮流に乗っていける人や組織が少ないこと。また、そういった人材を取り込むことができる人や組織が少ないことだと思います。
■「ATM」から信頼される国際機関へ
――グローバルファンドでの9年間で、組織改革や連携強化に努めました。
かつては、三大感染症(AIDS、Tuberculosis、Malaria)の頭文字をとってATMと揶揄(やゆ)されたこともありました。「申請書がよくできていれば資金を出してくれる」という批判がありました。ただ、それでは支援を受ける国の自主性、つまりオーナーシップが育ちません。その国の自助努力は重要です。
グローバルファンドの強みは、市民社会やNGO、当事者の患者さんたちの声が生きているところにあります。グローバルファンドが市民社会のプラットフォーム作りや活動を支援することで、その力を生かしていくことができます。国の自主性と、パートナーとなる組織の連携強化を支えることができる組織となるよう力を入れてきました。
パートナーシップというのは「連携してください」と口で言うだけでは進みません。日頃からコミュニケーションを積み重ね、問題が起こった時の調整メカニズムも作らないといけません。
――コロナ禍でもそうした連携が生かされましたか。
コロナは三大感染症対策にも悪影響を及ぼしたので、グローバルファンドとしてもコロナ対策に乗り出すことをパンデミックの初期に表明しました。各国に分配した予算の一部をコロナ対策に活用できるようにして、国から要請があれば3日以内に承認しました。予算だけでなく、感染防護具や診断キット、後には治療薬の調達や物流など、世界中のネットワークを駆使して現場に届けました。
米国のバイデン政権は21年3月、35億ドルもの資金をグローバルファンドに拠出することを決めました。英国やドイツからも多額の資金が寄せられました。パンデミックの現場においても、最も早く効果的な対策がとれる国際機関として信頼されている証しだと考えています。
■「貧困病」に苦しむ人を救いたい
――新たな職場となるグローバルヘルス技術振興基金(GHIT)では今後、どういったことに注力していきますか。
三大感染症も深刻な問題ですが、世界には顧みられない熱帯病(NTDs:Neglected Tropical Diseases)というものがあります。「顧みられない」と言われていますけど、世界で約17億人が感染している深刻な病気で、20の疾患がこれに含まれます。
1990年代の終わりごろ、ブラジル東北地方で働いていたことがあります。NTDsが流行していて、その中でも、感染すると皮膚がただれたり、口や鼻の形が損なわれたりしてしまうリーシュマニア症や、サシガメという昆虫のフンなどから感染して心臓や消化器を侵すシャーガス症で苦しむ人が多くいました。
それらは「貧困病」とも言えます。栄養不良、不衛生な水や住まいなどが要因で病になってしまい、医療を受けられないことで死に至ってしまう。逆に言うと、衣食住を改善し、医療を受けられれば助かる命が多くあるということです。いまだに効果的な診断、治療、予防法がないものも多くありますが、これらの病に対する研究開発は利益が上がらないとして、民間企業はほとんど着手しません。GHITはこのNTDsと結核、マラリアを含め、毎年200万人以上が死亡している感染症の研究開発を促進する日本発の国際的官民パートナーシップです。
コロナ禍でわかったように、感染症は世界のどこで起こっても国境を無視して広がります。日本の人たちにこうした感染症の問題をもっと知ってもらいたいし、感染症に対する研究開発を活性化することで、次のパンデミックが再び起きた時に、100日以内に診断薬・治療薬・ワクチンを開発できるような体制作りにGHITも協力したいと思っています。
世界と日本はつながっています。自国優先で世界を見ることなく国際的に連携、協力しなければ、自国にまた返ってくる問題が多くあることをコロナのパンデミックは示したと思います。地球規模の課題と闘っていく上で、日本はとても重要な国です。GHITという組織を通じて日本と世界との橋渡しをしながら国際貢献を続けていきたいと思っています。