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「私の経験は過去のもの」トップを辞めた瞬間、一切の役職から手を引いた元経営者

令和の時代 日本の社長 更新日: 公開日:
荏原製作所元社長の矢後夏之助氏
荏原製作所元社長の矢後夏之助氏=畑中徹撮影

――2007年4月、当時は経営危機にあった荏原製作所の社長に就いた矢後さんは、「社外取締役」をうまく活用しながら会社を立て直しました。ずいぶん早くから社外取締役という存在に着目されたのですね。

私が社長になったころ、荏原製作所はさまざまな不祥事があり、大きな赤字事業も抱えていました。「このままでは会社がもたない」と思いました。まさに存亡の危機だったのです。

こうした不祥事や赤字事業は、会社内部の理屈のもとで行われたものが多かったため、社会に対して「窓を開く」といいますか、経営陣自らが「社会規範を理解する」ことが大事だと考えました。

「社会規範のなかで仕事をする」という当然のことを理解できない風土がありましたので、それを変えるために取締役を外部から招聘することにしたのです。

ただ、当時、世間では「ところで、社外取締役と社外監査役って、どう違うの?」という感じで、違いすらよく理解されていませんでした。社内の経営に関する重要事項を議論し、結論を出す取締役会のメンバーに「社外の人材なんて入れて、一体どうするの?」という感覚がありました。社長だった私を含め、社内役員の全員が同じ気持ちだったと思います。

しかし、会社の危機ですので、「会社の風土を変えるために、まずはやってみよう。社外取締役というものを、しっかり活用してみよう」ということを決断しました。目の前の危機を乗り越えるために、「社外取締役というアイデアに飛びついた」という言い方が正しいかもしれません。

――いまでこそ、コーポレートガバナンス改革の議論にあわせて、社外取締役を活用するということは当然のように行われていますが、07年当時はそうではありませんでした。

正直、社長の私にも「コーポレートガバナンスを強化するのだ」という意識はなかったです。

当時は、いわゆる「内部統制の強化」(企業の不祥事を防ぎ、適正に業務を運営するために社内体制を整えること)が盛んに言われ、それ自体は取り組むべき課題でした。そして収益面もどん底でしたので、目前にある崖から転げ落ちてしまわないように、まずは手を打たなくてはいけないと考えていました。

当時は、いま申しあげた「内部統制の強化」という言い方はありましたが、「コーポレートガバナンス」という括りで語られることはなかったです。2010年以降でしょうか、私が社長になってから3年、4年と経って、ようやく「コーポレートガバナンス」議論が出てきたように思います。

――そういう経緯があって、まずは社外取締役を実際に入れたわけですね。

商法を専門とする大学教授と大手電機の元副社長の2人にお願いしました。「社会の常識を社内に採り入れよう」という狙いがあったわけですが、かなり効果がありました。

「穴蔵」といいますか、そこに閉じこもって古い考え方を踏襲して働いてきた社内の人たちが取締役会の動向に注目するようになったのです。

身内しかいなかった取締役会に、社外の人材が加わって、どこか「怖い」という意識が芽生えたようでした。緊張感をもって取締役会を運営することができました。
社外取締役の2人に、社会・社外の常識を社内に持ち込んでもらう役回りを果たしてもらうことができたので、ある意味「経営の羅針盤」にもなりました。

荏原製作所会長時代の矢後夏之助氏=本人提供
荏原製作所会長時代の矢後夏之助氏=本人提供

――経営の立て直しが一段落してからも、社外取締役の活用は続けました。

社長就任後は「守り」を固めることに必死でした。もともと、私は「守り」のタイプではなかったはずですが、経営の立て直しに打ち込むなかで、すっかり「守りの人」になってしまった感じがしました。何を発想するにしても「守り」が先に来てしまい、それが自分の習い性になってしまったのです。

しかし、「守り」だけでは会社は成長しません。今度は「攻めの経営」を考えなくてはならないと思うようになりました。そこで、今度は、内部統制というより、ビジネスの知見を持っている外部人材に取締役をお願いしたいと考えたのです。

そこで、2011年に、マッキンゼー・アンド・カンパニーのほか、日本郵政専務執行役、東京スター銀行執行役最高業務執行責任者(COO)など経験が豊富な宇田左近さんに社外取締役に就任いただきました。

ビジネスで「攻め」に転じるために、そこで活躍していただくための社外取締役という位置付けです。ここで、役割が変わってきたのです。

――荏原製作所は15年に、「指名委員会等設置会社」(取締役が指名委員会・監査委員会・報酬委員会という三つの委員会の活動を通じて経営の監督をおこなう会社の形態)に移行して、指名委員会の委員長は宇田さんが務めました。時間をかけて、次期社長を選んだそうですが、指名委員会等設置会社に移行した狙いは?

取締役会にとって、だれに次の社長を委ねるかは、最も重要な課題の一つだと思います。私は、社長や会長が、属人的に次の社長を選ぶことは避けるべきだと考えていました。「属人的な」選び方ではないやり方を実現するには、「指名委員会等設置会社」の仕組みが、いちばん理にかなっていると思いました。当時は、メガバンクや大手電機メーカーが指名委員会等設置会社に移行していましたが、まだ珍しかったですね。

しかし、社内に精通しているわけではない社外の人たちが中心になって取締役を選ぶことになるので、「属人的な」選び方ではなく、きちんとしたシステム、仕組みをつくることが大事だと考えました。取締役を選ぶということは、つまり経営のトップである社長を選ぶことにつながりますから。

荏原製作所では、取締役会が指名委員会に委任するかたちで、「将来の社長候補者を選抜、育成してほしい」とお願いしています。その場で、社内の取締役になれるような社内の人材もリストアップされます。取締役の候補を見つけるということは、そのまま「次の社長」候補者を見つけ出す仕事につながります。

私自身、社長だったころに痛感したのですが、私は周りにいる人材しか見えていないので、そこから選んでしまうわけです。そうではなく、社内にどれだけの人材がいて、その人材のプールを見極めて、「この人であれば、将来の社長ができるのではないか」という人物を見つけ出し、その人物をサポートする経営チーム(「指名委員会等設置会社」では執行役)も見つけていく。そういうことを、システムとして、仕組みとして構築することが大事だと考えたわけです。

荏原製作所富津工場(千葉県富津市)。巨大ポンプを製造している=同社提供

――多くの企業の社長CEOにとって、「後任は自分で選びたい」という思いは強いかもしれません。

社長がいちばん社内全体を見ていますから、社内人材についてもよく知る立場ではあります。ただ、現社長が「次の社長」を選ぶと、現在の経営路線を引き継ぐことになる可能性は高いですね。

私の社長時代は、経営立て直しの6年間でした。この間、ずっと「守り」の姿勢でした。それが一段落すれば、「攻め」の経営に転じなくてはならないはずですが、私のように「守り」を重んじた社長にとっては「攻め」のタイプを選びにくくなってしまうのです。自分がやったことの延長でしか前方が見えないし、自分の考え方から離れることができません。

そう考えたとき、果たして冷静な判断ができるのかどうか不安になりましたし、ふさわしいトップを選ぶことは自分にできないだろうと思いました。

荏原製作所元社長の矢後夏之助氏
荏原製作所元社長の矢後夏之助氏=畑中徹撮影

――矢後さんは、いわば荏原製作所の「中興の祖」ともいえます。会社に対し長く影響力を発揮しようと思えば、それも可能だったと思いますが、会長職を辞めたあとは一切の役職から退かれました。どんなお考えがあったのでしょうか?

例えば、相談役とか顧問といった役職に就きますと、現役の社長から経営に関する相談を受けることがあるでしょうし、社長以外の役員などから相談されることもあると思います。「アドバイスが欲しい」と求められたら、ただ聞くだけというわけにもいかず、何かしら意見を述べるでしょう。意見を言った側は、あくまで参考程度と思っていても、意見を聞いた側はそれを斟酌しなくてはならないと考えてしまうものです。私は、それを避けたいと思ったのです。

社長や会長の仕事を終えた私が持っている経験や知識は、言ってみれば「過去のもの」です。意見を言うことはできますが、それは現在の状況をふまえて出てきた新しい知恵ではなく、私という過去の経営者が過去の経験をふまえて「こうしたらよいのではないか」としか言えないのです。そうなると、その助言自体には意味がなく、そんな意味もなく責任も持たない助言はしたくありません。それで、経営に関わる立場からは完全に退きました。

荏原製作所の大型ポンプ=同社提供

――現在、J.フロントリテイリング(大丸や松坂屋の百貨店、パルコなどの運営会社)などで社外取締役を務めていらっしゃいます。社長や会長の経験は、社外取締役の仕事にも活かされるものですか?

社外取締役に就かれる方は、いろいろなバックグラウンドをお持ちですが、社長CEOという仕事は、やはり「最後の決断」をするものであり、「後ろを見ても誰もいない」という立場なので、そういう経験があるだけで社外取締役としての役割を果たせるのではないか、と思います。

だから、社長経験者が社外取締役をやるのは、非常に理にかなっていることで、取締役会の改革にも効果があることです。

――矢後さんの場合、会長時代には社外取締役は受けていませんでした。

いま思えば、会長職のうちに、社外取締役の仕事を一つでも経験しておけば、学びがあっただろうと思います。会長になってから、「社外取締役をやらないか」といくつかお話をいただきましたが、当時は「まずは自社のことに集中したい」という思いがあり、お引き受けしませんでした。

ただ、会長職をこなしながら社外取締役をやれば、自社の改革を進めるうえでも役立ったのだろうと思います。どの会社でもそうですが、会長職にある人たちはまだ「隠居モード」ではないですから、そういう現役の会長の経験は、他社にとっても役に立つのではないですか。社長業は忙しいですから、なかなか他社の社外取締役までこなすのは難しいと思いますが、会長職にある方々は一つ経験されることはよいかもしれません。

――これまでお話をうかがって、「社外取締役の活用」や「指名委員会等設置会社への移行」など、矢後さんは社長・会長時代を通じて、はからずも時代を先取りされたように思いました。

そうかもしれません。ただ、その「はからずも」というところがポイントです。特別にコーポレートガバナンス改革を意識して新しい取り組みをしたわけではなく、社長として会社経営を立て直すために、そういう仕組みを必要としていたのです。偶然の流れもあったと思います。

私がガバナンス改革を進めたのは、当社の事情があったわけで、それぞれの会社には固有の歴史がありますし、その会社にあったガバナンス形態の設計をとることが大事です。どの形態が優れているというものではなくて、目的を成し遂げるためには、その会社の歴史や事情をふまえて決断することが肝要だと思います。