インド南部ハイデラバードにある実家の車庫で、沖縄科学技術大学院大学(OIST)のマヘッシュ・バンディ准教授は思わず叫びました。
「成功だ!」
手作りの酸素濃縮装置が完成した瞬間でした。興奮と疲労、安堵が入り混じった感覚でした。2021年4月下旬のことです。
インドでは当時、新型コロナウイルスのデルタ株が猛威を振るっていました。1日の感染者が数十万人に膨れ上がり、呼吸困難に陥った患者の命綱と言える濃縮酸素の供給不足が深刻な問題になっていました。
病院は患者を受け入れられず、人々は酸素タンクを「闇市場」に求めた結果、酸素タンクの需要が劇的に増していました。
バンディ准教授は、そんな国家の危機を何とかしたいと、自ら装置を作ることにしたのです。当時をこう振り返ります。
「今まで見たこともないような絶望的な状況でした。誰もが知人を亡くしていて、友人や親族が酸素を緊急に必要としていました。何とかして助けなければと思いました」
開発は連日の猛暑の中、夜を徹して続けられました。
研究室のような環境や備品が望めない中での開発は困難を極め、強い意志と機転が試されました。
バンディ准教授は、街中の配管工や自動車販売店、化学薬品の卸売業者などを訪ねて、独自の部品を調達しなければなりませんでした。
最初の試作品は内部の空気圧によって装置が爆発し、大失敗に終わりました。それでもめげずに材料をより丈夫なものに替えて再挑戦したところ、持ち運びできるほど小型ながら、毎分9リットルの酸素を生成することができる装置を作り上げました。
さらに2日もたたないうちに、今度は毎分100リットルの医療用酸素を供給できる大型装置を3台作りました。
この装置は、酸素を新たに生成するのではなく、空気の主成分である窒素から酸素を分離して濃縮する方式をとっています。
具体的には、装置の中で空気が加圧され、その空気の流れを「ゼオライト」という化学物質がろ過します。窒素はゼオライトの分子に付着しますが、酸素分子は付着せずに簡単に通過します。
300秒経過するとゼオライトが窒素で完全に満たされてしてしまうので、濃縮された酸素の流れをバルブでゼオライトに戻し、窒素を大気中に掃き出すのです。
バンディ准教授によると、継続的に酸素を生成するためには、バルブを常に切り替えなければならないことが最大の難点だったと言います。
「継続して酸素を生成するために、誰かがつきっきりになる必要があります。病院などで使われている既製品は電子制御式の電磁弁を使うのですが、インドではどこで売っているのかわかりませんでした」
しかし、そんな矢先にバンディ准教授自身も感染し、開発をストップせざるをえなくなりました。
それでもバンディ准教授は隔離期間中、他の人も自分で酸素濃縮装置を作れるようにと、作り方の詳細な説明を書き上げ、ホームページで公開しました。
その1週間後。インドの五つのインキュベーター企業や三つの非政府組織、六つの研究チームから問い合せがあり、酸素濃縮装置の製造が始まりました。
バンディ准教授が装置を開発することができたのは、OISTの研究者という「本業」での経験があったからです。
彼の専門は物理学ですが、研究対象は幅広く、これまでに、足のバイオメカニクス(生体力学)や液体の相互作用、鳥の歌声の習得メカニズム、再生可能エネルギーなど、さまざまな基礎科学に取り組んできました。
学士号と修士号は工学分野で取得していて機械にも精通していました。
極めつけは数十年前、研究のために実際に酸素濃縮装置を作った経験があったことです。
バンディ准教授は2020年、新型コロナから人々を守るための別の取り組みもしていました。世界的に不足していたマスクの製造です。
当時、世界保健機関(WHO)は、世界的なマスク不足を警告し、各国でマスクの輸出が禁止されるようになりました。特に微粒子に対応できるN95マスクは価格が3倍にもなり、「入荷待ち」の需要が数億枚にも上りました。
バンディ准教授は、ありふれた材料を使ってN95マスクの類似品を少ないながらも自宅で製造する方法を思いつきました。当時をこう振り返ります。
「沖縄で隔離期間中だったので、家に閉じこもっていなければなりませんでした。そんな中、自分の精神衛生を保つために、自分自身を忙しくする方法を見つける必要がありました。そこで、N95マスクの粒子をろ過する仕組みや製造方法などに関するものを読み始めました」
N95マスクの防護性能が高い理由の一つは、帯電した繊維の層にあります。ウイルスなどの小さな粒子を通さず、捉えることができます。
帯電した繊維をどうやって作るか――。バンディ准教授がひらめいたのが、10年前にハーバード大学で博士研究員として働いていたときの上司のアイデアでした。
それは、綿あめ製造機を改造すれば、帯電した繊維を作る工法を真似できる可能性があるというものでした。
近所の住民から綿あめ製造機をもらうこともできました。この機械は壊れていたものの、アイデアの有効性は確認できました。そこで自ら綿あめ機を作り上げました。
この綿あめ製造機を使って実際にマスクを製造してみたところ、市販のN95マスクと構造は同じだったものの、布地を十分に充電できないことがわかりました。そこで今度は「マスクチャージャー(充電装置)」を発明しました。
標準的な家庭用電子レンジと市販のネオンサイン用の電源を使って、太陽のコロナに見られるようなイオンのジェットを作り出す装置で、自作のN95マスクを充電することができました。
「この装置は、市販のN95マスクを清浄して再充電することもできるので、より長く効果が続きます」
さらにはサージカルマスクや布製マスクなど、他の種類のマスクも充電できるかどうかも検証しました。そのため、バンディ准教授は全く新しい分野である材料科学の研究にも取り組む形になりましたが、こう前向きにとらえています。
「布地に関する科学論文や、何が電荷を保つのを助けるかに関する論文を探していたのですが、驚いたことに、それを説明する論文はまったくありませんでした。でも私にとっては、非常に重要な研究分野です。多くの人が布製のマスクを使っていますが、その布を帯電させることができれば、コロナウイルスに対する防御力を少しでも高めることができます」
バンディ准教授はまだインドに滞在していますが、近いうちにOISTに戻ってこの研究を続けたいと考えています。
一連の発明を振り返る中で、バンディ准教授は、これらを作るに至ったのは、学歴だけでなくインドでの生い立ちも影響していると話します。
「私は子どもの頃から、ものをいじるくせがありました。インドは人口の多さに対して資源が限られているので、ほとんどのインド人の間で、物をリサイクルしたり再利用したりする習慣が根付いています。また、工学と物理学を学んだことで、装置の製造や改造方法を考えるのに役立つ創造的なツールの“引き出し”を手に入れることができました」
バンディ准教授はこれまでに、綿あめ機を使ったマスクの製造に関する研究とマスクの充電に関する研究の二つの論文を専門誌「Proceedings of the Royal Society A: Mathematical, Physical and Engineering Sciences」で発表しています。
しかし、論文にするよりも先に、コロナ禍の当初から発明したすべての装置の製造方法を自身のウェブサイトで公開し、誰でも利用できるようにしています。その理由をこう説明しています。
「研究が科学誌に掲載されるのを待つよりも、すぐに公表して皆のために役立ててもらう方が私にとっては優先事項でした。コロナが引き起こしたこのような事態に、自分の技術が役立つとは想像もしていませんでしたが、世界中の多くの科学者と同じように、私もできる限りのことをしたいと思ったのです」
(OIST広報メディア連携セクション ダニエル・アレンビ)