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意見が違う相手とも エール大・浜田宏一氏の「89人インタビュー」

令和の時代 日本の社長 更新日: 公開日:
米エール大学名誉教授の浜田宏一氏

浜田宏一 米エール大学名誉教授 アベノミクスを支えた浜田宏一氏(エール大名誉教授)が出版した「21世紀の経済政策」(講談社)を手にとって驚いた。世界と日本の政策当局者や経済学者、政策アドバイザー、市場関係者など、合わせて90人近くに自らインタビューを試みて、経済政策などについて議論を交わしていたからだ。これだけ多くの対話から得たものは何だったのか? それが知りたくて取材を申し込み、アメリカ東部コネティカット州に住む浜田氏にオンラインでインタビューした。(畑中徹)

■「なぜ経済政策を誤るのか」答えをさがして

――浜田さんの著書「21世紀の経済政策」は600ページを超える大著となりました。しかも、世界と日本の政策当局者、経済学者、経済評論家、政策アドバイザーなど総勢89人に直接インタビューし、議論したものを構成したものです。ジャーナリストが手がけるならともかく、一線の学者である浜田さんが直接聞き取りしたことに驚きました。膨大な作業ですが、動機は何だったですか?

本をまとめるに至った、いちばん初めの問いは「政府が経済政策を誤るのは、政策担当者が個人や組織の利害にこだわるためか? それとも、経済論理に無知であるからなのか?」というものでした。

この問いに対する答えを見つけるために、私が考えたことは、世界と日本の政策当局者、経済学者、経済政策のアドバイザー、経済評論家といった人たちに、自分でインタビューをお願いして、その対話の中から「答え」が得られるのではないか、ということです。

ご指摘の通り、学者がこんなに大勢の人たちに自分でインタビューするという試みは、私自身、米国でもあまり見たことはありません。あるテーマを絞って、学者が10人ほどの専門家と対談するような試みはありますが、私の場合、気がついたら総勢89人に達していました。

――いつごろインタビューを開始して、終えたのはいつでしたか?

2010年にスタートして、19年まで続けました。10年から13年ごろに実施したインタビューも多いのですが、その間に世界と日本の経済は大きく動きました。「もっと早く出版できていれば、現実感があってよかったのに」と多くの方から言われましたが、その通りだと思います。

12年末、(安倍政権の経済政策に助言する)「内閣官房参与」に任命されまして、現実の世界の動きを見聞きして、わずかでも政策に関与する方が面白くなりまして、当時蓄積されつつあったインタビュー記録をまとめる作業を含め、自分の学問の方をちょっとさぼってしまいました。

■「相手と意見が違っても議論できるように」

浜田宏一氏の著書「21世紀の経済政策」

――人選は、どのような観点から進めたのでしょうか? インタビューリストからすると、必ずしも浜田さんと意見や立場が合わない人にもインタビューを申し込んだように思いますが。

経済政策を考える際は、意見が違う人たちの話も聞かなくてはならないと考えて、金融政策などへの立場が私と違う人たちからも話を聞くようにしました。人選には気をつかったつもりでしたが、それでも若い学者などから「浜田さんは『金融政策に効果がある』と考える人をインタビュー対象として、たくさん選んでいるのではないか」と言われもしました。

私はかつて東京大学でゼミを持っていましたが、そこでは、「私と意見が違う学生の話も大事に聞こう」としてきました。そんな浜田ゼミの活発な雰囲気を読者に感じてもらいたいです。

余談ですが、東大のゼミでは、議論のなかで私を言い負かすような学生が、その後、社会人として大きく伸びていました。日本社会には、「他人に同調することがよい」という風潮がありますが、自分の教育から見てきた限り、他人との信頼関係を失わないで、しかも自分の言いたいことを正当に表現する人たちが、社会に出てから力を発揮しているのです。

――実際のインタビューは、どのような雰囲気で行われたのでしょうか? なごやかに行われたのでしょうか、それとも侃々諤々の議論もあったのでしょうか?

たしかに文章に落とし込むと、インタビューの場の雰囲気までは伝わりませんね。金融政策をめぐる意見が私と異なる方とは激しい議論になって、会話がとげとげしくなることもありました。

そういうやりとりもありましたが、とくに印象に残っているのは、21年に亡くなった池尾和人さん(慶應義塾大学名誉教授)へのインタビューです。みなさんご存じの通り、私の金融政策に対する意見と池尾さんの意見は大きく異なるのですが、礼儀正しく、こちらが恐縮するほど穏やかな話しぶりでした。しかし、できあがった会話の記録を読むと、彼の立場はいっさい譲っていません。

日本では、経済の専門家同士が論争をすると、人間的な好き嫌いを反映しているかのようにとられることもありますが、経済学のように論争が重要な学問においては、そうであってはならない。相手と意見が違っても、なるべくデータや理論を大事にして、政策目標の違い、あるいは世界観の違いの問題を超えて議論できるようになるべきだと思いました。

最近でも、財務省トップである矢野康治事務次官が月刊誌に「このままでは国家財政は破綻する」という論文を寄稿したということがありました。私自身は、財政政策について矢野さんの意見とは正反対なのですが、矢野さんが勇気をもって自分の意見をおっしゃったのであれば、それをもとに、感情を抜きに、国民が財政について真剣に議論をする機会にするべきだと思います。

■お蔵入りの黒田氏インタビュー

――黒田東彦・日本銀行総裁にも、日銀総裁就任前にお話を聞いたのですね。しかし、掲載はされていません。どのような内容だったか、気になるところです。

黒田さんがアジア開発銀行(ADB)総裁だったころ、金融政策などについてインタビューで話を聞きました。しかし、日銀総裁に就任され、日銀側から他の現役の審議委員2人とともに掲載の見送りを要請されました。「現職に就く前のインタビューであっても、日銀総裁らが金融政策について述べたものを掲載していただくのは認められない」ということでした。

そういう事情があるため、内容についてお話しするわけにいかないのですが、アジア開銀総裁当時の黒田さんのお話をうかがって、私は「黒田さんのような、金融政策が分かる人が日銀総裁になったらいいな」ということを感じたことは明確に覚えています。

――ほかに、印象に残ったインタビューはありますか?

ハンガリー生まれの経済学者、フランシス・バトール氏(ハーバード大学名誉教授)へのインタビューは印象に残っていますね。

バトール氏は、リンドン・ジョンション米大統領のアドバイザーを務めていました。彼が言ったのは「ボスには率直に自分の意見を言うべきだ。しかし、外部に対しては、リーダーとアドバイザーの間で、意見が異なることを絶対に示してはいけない」ということでした。

これは2010年のインタビューでした。その後、12年には私自身、安倍内閣の内閣官房参与になりました。バトール氏が教えてくれた「ボスとアドバイザーの間に、政策面の亀裂が表面化すると、ボスの政治力が失われてしまう」という話は貴重なものでした。

政策アドバイザーというのは、政治過程を通じて、自分が正しいと思う経済政策を実現したいと考えるのです。しかし、政治家にとってみれば、任免権を持つ自分が「依頼主」でありますから、アドバイザーは「政治家の目標のために」使われることはやむを得ない面もあります。そこがアドバイザーという仕事の面白さであり、難しさでもあると感じました。

私と安倍首相(当時)の関係でいいますと、消費増税をめぐる考え方のニュアンスは違うこともありましたが、金融政策をめぐる意見では完全に一致していました。その点、首相と意見が違うからどうしようと悩んだことはなく、ありがたい状況でした。

ほかに印象に残ったインタビューは、亡くなられた三木谷良一さん(神戸大学名誉教授、13年死去)ですね。三木谷さんは、楽天グループの三木谷浩史さん(会長兼社長)のお父様です。日本のゼロ金利状態に対する金融政策のまずい対応が、のちのアメリカの教訓になったと語っていたアダム・ポーゼンさん(米ピーターソン国際経済研究所長)との共著「日本の金融危機」の内容もうかがい、とても有意義でした。

■「アイデアは簡単に接ぎ木できない」

――これだけ多くの人たちをインタビューすると、録音や資料など素材を管理するのも大変だったと思います。録音したはずが、録音機が壊れていたといった失敗もあったそうですね。

お恥ずかしいのですが、私の管理能力のなさから、失敗もありました。著名な方々へのインタビューを録音したはずが、録音機が壊れていたり、作成した速記録をなくしたりしたことがありました。探しても探しても見つからず、先方におわびを伝えたうえで、アメリカ人の私の妻の英語力に頼りながら泣きつくようにお願いをして、もういちどコメントを書いてもらったこともありました。ただ、無理なことをお願いしたことで、かえって人間関係が深まったという意外なこともありました。

ノーベル経済学賞を受賞したロバート・マンデル氏へのインタビューのアポはとれていたのに、私が待ち合わせ場所を間違えて会えなかったことなど、失敗は山ほどありました。

――この著書をまとめてみて、浜田さんが得たものは何でしたか?

なかなか難しい質問ですね。直接の答えにはなりませんが、まず、利害関係で動くにしても、ある政策がだれの利害に結びつくかを知るには、やはり知識が必要です。知識政治学のピーター・ホールさん(米ハーバード大学教授)が説明してくれた、「経済学説が受容されるためには、アイデアだけでなく、社会的、あるいは政治的な背景が必要である」ということは印象に残っています。

それに関連するのですが、亡くなられる前にインタビューできた青木昌彦さん(米スタンフォード大学名誉教授、15年死去)が比較政治組織を研究する立場から語ってくれた「アイデアや政策は簡単に他国に接ぎ木できない」という言葉も示唆に富んでいると思いました。

アイデアはアイデアとして、しっかり議論をする。そしてアイデアだけがあっても足りません。青木さんが生前言ったように、「アイデアや政策は簡単に他国に接ぎ木できない」とするならば、アイデアを政策に転換するようなエネルギーが必要になると思うのです。

日本人は、なるべく人とあつれきを起こさない人、「能ある鷹は爪を隠す」タイプの人たちが出世するような社会ですが、それではイノベーション(技術革新)も、企業経営の新機軸も出てこない。みんなが個人の持ち味、特性を発揮して、個人の考え方をはっきり組織や社会に向かって主張するということがないと、創造性が生まれてこないのです。

そして、専門家同士だけではなく、新しい考え方を生み出せる、隣の領域にいる専門家を含めた人たちによる議論が必要です。「弁証法」とはそういうことです。それによってアイデアが前に進んでいく。自分には見えていなかった「裏側」も分かったうえで議論しなくてはならないと思います。

今回、意見が異なる方々も含めてインタビューさせてもらえたのは幸いなことでした。分厚くなりましたが、こうしてできあがった「対話録」をみなさんに読んでいただければ、このうえない喜びです。