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対面授業再開、キャンパスに来るけど教室に来ない学生たち どうすべきか悩む教員

研究室から見える世界
対面授業再開後の筆者の授業風景。教室で受講したのは4人だが、オンラインで40人近くが「出席」した=筆者提供

■「対面」は76人中4人

まず、写真を見ていただきたい。これは対面授業再開から約2カ月後の12月7日の筆者の授業の様子である。この授業には76人が受講登録しているが、この日教室へやって来た学生は4人だけ。一方、教室で筆者が話している様子はZoomで同時中継されており、オンライン空間では40人近い学生が授業に「出席」している。この日は全15回実施する授業の11回目だったが、それまで教室へやって来る学生が10人を超えたことは一度もない。一方、オンライン授業の出席者は毎回少なくとも30人前後、多いと50人近くに達する。

感染拡大で大学が原則として全授業をオンラインで実施していた当時、学生や保護者からは「なぜ、小学校、中学校、高校は感染対策を取りながら対面授業を続けているのに、大学だけはオンライン授業なのか」との不満、批判、苦情が相次いでいた。学費減免を求める声も出ていたし、孤独などに起因する精神的不調を訴える学生も少なくなかった。

そこで大学は2021年4月以降、まずはゼミなどの小集団授業に限って対面授業を認める方針を打ち出し、デルタ株による第5波がヤマを越えた10月になって、受講者が数十人から数百人の大規模授業についても対面授業再開へとかじを切ったのであった。

ところが、対面授業を再開しても、キャンパス内ではガラガラの教室が目立つ。学生が一人もいない教室で、教師がぽつんと一人、パソコン上の大勢の学生に向かって講義している光景は今や全く珍しくない。

大学は対面授業を再開するにあたり、次の4条件に該当する学生に対してのみ、オンラインでの授業出席を認めた。①学生本人に既往症や基礎疾患がある場合、②学生と同居する家族等への感染の懸念から通学が困難な場合、③海外から入国できない学生、④その他、新型コロナに関連して学生個人の責任に帰さないやむを得ない理由がある場合――である。ただし、大学は学生やその家族の基礎疾患を証明する診断書の提出を求めてはおらず、学生の自主的判断に委ねている。

写真の筆者の授業は、英語でジャーナリズム論を講義している科目であり、氏名等から判断する限り、受講生の6割以上に当たる50人前後が外国人学生である。だから筆者は当初、日本政府による入国制限で来日できない外国人学生が先述した③の条件に該当するために、やむなく海外の実家からオンラインで授業に出席しているのだと思い込んでいた。

しかし、対面授業を開始して1カ月ほど経過した時、それは筆者の勘違いであることを知った。教室にやって来る顔見知りの学生や、筆者のゼミに在籍している個人的に親しい学生たちが教えてくれた。「本当に来日できずに海外からオンラインでの授業出席を余儀なくされている外国人学生もいるものの、既に来日して大学近くに暮らしている学生も多数おり、彼らは日常的にキャンパスに顔を出しています。彼らは単に教室に来ていないだけ。外国人学生だけでなく、日本人学生もそうですよ」

■「午前中は起きるのがしんどい」

そこで気を付けてキャンパスの様子を観察してみると、オンラインで授業に出席している学生の中に、大学がオンラインでの授業出席を認める条件①~④のいずれにも該当しない学生が膨大に存在することが見えてきた。筆者のジャーナリズム論の授業にオンラインで出席している学生たちも、カフェテリアで友人たちと楽しそうに会話しながら昼食をとっている。個人的に親しい学生たちと酒を酌み交わすと、「特に雨の日の通学は面倒くさいし、午前中の授業は起きるのがしんどいので、オンラインで出席してます」などと正直に話してくれる。

筆者のジャーナリズム論は午前10時45分から。遅寝遅起きの若者が起床後に身支度を整えて登校するには、少々開始時刻が早過ぎるようである。筆者も学生時代には、午前4時、5時に就寝し、正午過ぎに起床しては午後からキャンパスに顔を出す自堕落な生活を送っていた。だから自分が教員になった今、学生たちに向かって「早起きして授業に出てこい」などと偉そうなことを言うつもりはないし、言っても何の説得力もない。コロナ禍以前であれば単に寝倒して終わりだった授業に、自宅の寝床からオンラインで「出席」できる現代の学生は幸運というほかない。

■オンラインには経済的「恩恵」も

学生にとって、オンラインの「恩恵」はそれだけではない。例えば、4年生の中には、3年生終了時点でほとんど全ての単位を取得し終え、4年生時には週に1度授業に出席するだけでよいという学生がいる。そういう学生が下宿暮らしの場合、コロナ禍以前であれば、週に1度の授業のために家賃を払って1年間京都に住み続けるか、下宿を引き払って実家に帰り、高い交通費を払って週に1度の遠距離通学を1年間続ける以外に方法がなかった。

だが、コロナ禍を機にオンライン授業が導入された今、そうした学生が「基礎疾患がある」と言い、教師の側もそれを通せば、実家に戻ってオンラインで授業に出席し続けることも可能である。大学は、学生に医師の診断書提出まで求めてはいない。こうした経済効率性最優先の学生時代の過ごし方の是非については議論が分かれるだろうが、下宿を引き払って4年生の1年間を過ごすことを検討している学生が筆者の周辺には現に存在している。

「対人恐怖症などに苦しむ学生でも、オンライン授業ならば出席しやすい」「障害があって通学が困難な学生に配慮しやすい」「対面授業のみの時代には、教員が出張する場合には休講するしかなかったが、オンラインであれば出張先から授業ができる」などオンライン授業の効能を肯定的に評価する教員も少なくない。その効果効能は筆者自身、存分に感じているところである。

しかし、コロナ禍以前には見なかった学生の新たな行動様式の広がりに対しては、少なからぬ教員たちが違和感を抱き、動揺しているようにも見える。それは、大学に来てはいるものの対面授業が行われている教室には足を踏み入れず、空き教室やカフェテリアや談話スペースに友人とたむろしながらパソコンやスマホの画面をのぞき込み、「カメラオフ」の状態で授業に「出席」している学生の大量出現である。「基礎疾患や渡航制限などによって対面授業を受けたくても受けることができない学生」を想定して大学が対面授業とオンライン授業の併存を認めた結果、数メートル先の教室で行われている対面授業に顔を出さず、隣の空き教室などからオンラインでその授業に「出席」している光景が一般化したのである。

■違和感ましましの教員たち

こうした光景は、暇さえあればスマートフォンを触っているような行動様式が一般化したことの当然の帰結にも思える。が、違和感を抱いている教員は少なくない。

「学内にいることが確実なのに教室に来ないでオンラインで授業に出席しているような学生については、欠席扱いとすべきではないか」

「学外のゲストを特別講師に呼んで話をしていただいたにもかかわらず、大半の学生がオンラインで授業に出席し、呼びかけられてもカメラオフにしたまま顔を出さない。ゲストに対してあまりに失礼だ」

筆者は今年度、副学部長を務めているため、学内の会議や同僚との私的な会話の中で、学生の授業出席の仕方に関する教員の疑問や憤りを何度も耳にしてきた。しかし、これまでのところ、学内の空き教室や談話スペースからオンライン出席している学生を教室へ送り込むための、これといった妙案は見当たらない。 

そもそも、なぜ、大学には来ているのに対面授業に出席しない学生が少なからず存在するのか。個人的に親しくしている学生の次のような答えは、どこか腑(ふ)に落ちるところがあった。「家にいても寂しいし、だらけてしまうし、何より友達に会いたい。だからこそ大学へ来ているという学生が多いと思います」 

その学生の言葉を裏付けるかのように、ゼミのような20人程度の小集団授業では、学生が自然と教室に集まってくる。筆者のゼミでも学生がオンラインで授業参加するのは、体調不良など極めて例外的な時だけだ。ゼミは教員と学生の関係、学生同士の関係が親密であり、人間関係をベースにしながら授業を進めていく。コロナ禍以前から、学生は必ずしも授業を聴くためだけに大学へ来ているのではなく、他者と深く関わるために大学という空間を利用していた。コロナ禍を機にオンライン授業が定着した今でも、そうした若者の心性は変わっていないが故に、他者との深い交わりが存在する小集団授業は自然と対面での出席が一般化しているように思われる。 

裏を返せば、「友達に会いたいので大学には来ているけれども、他者との交わりが限られた大規模授業などはオンラインで出席しておけば十分」と考える学生が増えている、ということではないだろうか。そうであるならば、広大なキャンパスや大教室の存在を前提としてきた大学の在り方は、根底から変わらざるを得ないのではないか。いや、若者たちは、本当のところ何を考えているのだろう?

コロナ禍を機に急速に導入が進んだオンライン授業と昔ながらの対面授業の狭間で、分からないことは増えるばかりである。