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いまこそ知っておきたい「安全保障とは」 自衛隊この20年、番匠幸一郎の証言

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番匠幸一郎・元陸自西部方面総監=土居貴輝撮影

ばんしょう・こういちろう 1980年、防衛大卒、陸上自衛隊入隊。第3普通科連隊長、第1次イラク復興支援群長、陸上幕僚監部防衛部長、第3師団長、陸上幕僚副長などを経て、2013年から九州、沖縄の防衛を統括する陸自西部方面総監を務め、15年に退官。米国陸軍戦略大学へ留学するなど各国の軍隊に知己が多く、11年の東日本大震災の際の米軍による『トモダチ作戦』では、米軍横田基地に派遣されて調整にあたった。商社や外務省への出向経験もある。

■「テロとの戦い」と自衛隊

――2001年の9・11同時多発テロから20年。米軍がアフガニスタンから撤収しました。米軍が主導するテロとの戦いへの支援、その後のイラクへの派遣と、自衛隊も中東地域と関わってきた20年でした。

テロの当日、帰宅直後にテレビで2機目の突入を見て、これは事故ではなくテロだと知り、着替えもせずに防衛庁に戻りました。当時、陸自の基本方針や防衛力整備などを担当する陸上幕僚監部の防衛班長でした。当日夜、庁内で「在日米軍基地の警備を含めて考えてほしい」という話がありました。

在日米軍基地の基地内の警備は米軍、基地の外は警察の担当です。自衛隊と米軍が共同使用している基地・施設を除けば、自衛隊に米軍基地を警備する権限はありません。そのなかでどのように関わるのか。自衛隊法の中に、警察力では治安を維持できないと認められた場合に自衛隊を派遣するという「治安出動」がありますが、国会承認が必要です。

――警備をしようにも、適用する法律も権限もなかったわけですね。

防衛出動や治安出動も命じられていない状況で自衛隊が駐屯地や基地の外に出ても、武器を使えるのは、自衛隊の武器や装備を守るために武器を使えるという「武器等防護」しかなく、米軍基地は対象外。違う類型を考える必要がありました。テロ直後の段階で、治安出動に至らない状況でも、自衛隊が在日米軍の基地や施設を警備できる「警護出動」という新たな任務が加えられることが決まり、自衛隊法が改正されました。

海自艦船の護衛のもと、東京湾を航行する米空母キティホーク=2001年9月21日、東京湾で

――国内の米軍関連施設の警備とあわせて、アフガニスタンへの攻撃を始める米国(米軍)の「不朽の自由作戦」を日本としてどう支援するのかも問われました。

米軍のアフガニスタンへの攻撃、テロとの戦いは国連の平和維持活動(PKO)ではないので、日本がPKOに参加する際の根拠となるPKO協力法は使えません。政府内では、こういう状況で使える法律がないから特別措置法が必要だという話になりました。(テロ対策特別措置法として成立する)法案の策定のスピードは非常に速かったです。

地上部隊として陸自が行くことを想定した場合、現場での武器使用の権限、活動の中身など、法的な議論は避けられません。それまでのPKO協力法では、自衛官は「自己または自己と共に現場に所在する他の隊員」の生命を守るために、最小限の小型武器を使えるとされていました。「自己保存のための自然権的権利」として武器の使用が許されるという考え方です。

テロ特措法ではこれに加えて、いわゆる「管理の下」という概念が設けられました。自分や現場に一緒にいる隊員に加えて、「自己の管理の下に入った者」を守るためにも武器を使えるという発想で、武器使用の権限が広がりました。

イラク南部サマワの宿営地に看板を掲げる陸自トップの先崎陸幕長(中央左)と番匠隊長(同右)=2004年4月

――「管理の下」の概念によって、活動中に自衛隊が保護した傷病兵や難民を守るような場合にも、最小限の武器使用ができるようになったわけですね。政府内で具体的にどんな活動が検討されていたのでしょうか。

議論されていた支援策の柱は海上自衛隊によるインド洋での給油活動でしたが、実は陸自にもありました。一つはアフガニスタンにおける地雷の処理です。確かに陸自の施設部隊の任務に地雷処理はあるが、(敵の)地雷原を突破する通路をつくる話です。アフガニスタンにおける地雷処理は、住民が居住する土地や畑に散乱している地雷を除去し、耕作できるようにしたり生活できるようにしたりという復興支援です。そうした地雷処理は民間とかNGOが中心で、基本的に軍隊の行う任務ではなく、機材もノウハウも違います。現地のニーズがどのぐらいあるのかも判明せず、地雷処理の話は実現しませんでした。

乗組員の家族らの見送りを受けながら、テロ対策特別措置法に基づいて米軍などを支援するため、インド洋に向け出港する海上自衛隊の補給艦「ときわ」=2002年2月、神奈川県横須賀市の海上自衛隊横須賀基地で

もう一つは、アフガニスタンでの作戦で負傷した将兵の救護などのために、(隣国の)パキスタンなどに野戦病院を設けて、医療支援をできないかという話でした。現地に調査団も出して関係者から話も聞いたのですが、パキスタン側から「そうした必要はない」と回答を受け、任務そのものが成立しませんでした。

結果的にアフガニスタンへの陸自部隊の派遣には至らなかったが、武器の使用権限などテロ特措法での基本的な考え方はその後のイラク派遣の枠組みにもつながっていきます。

■アフガニスタンからの邦人輸送

――今年8月末のアフガニスタンからの邦人を退避させる際の自衛隊派遣をめぐって、現地のカブールの空港が安全なのかが議論になりました。自衛隊法で「(邦人らの)輸送を安全に実施できる」ことが任務の要件となっているからです。

条文にある「安全」は、一般的な用語としての「安全」ではありません。たとえば、滑走路に穴があいて飛行機が飛べないとか、空港や港湾で銃弾やミサイルが飛び交って飛行機や船が近づけないような状況なら安全ではありません。

しかし今回、米軍が空港内を管理し、他の国の軍も空港を拠点に運航していました。滑走路を使えるなら、運航の安全、飛行の安全はあるわけで任務はできるわけです。要件の『安全』という言葉が独り歩きして、誤解されているのではないでしょうか。民間が行けないから自衛隊がいくのであって、「安全でなければ自衛隊がいかない」ということでは矛盾します。

その点の判断については、今回たくさんの教訓があると思います。現地の情報収集の状況、政府内の意思決定、自衛隊に命令を出すタイミングは適切だったのか。政府全体でしっかり検証して、教訓を次につなげてほしい。邦人輸送については、法律そのもの、(法律に基づく)体制、実際のオペレーションのあり方を常時検討していく必要があります。同じ状況は二度起きません。

アフガニスタンでの邦人輸送に向けて、航空自衛隊入間基地を出発した空自C2輸送機(右上)=2021年8月23日、埼玉県狭山市、林敏行撮影

――今回、アフガニスタンからの邦人退避では、空自の輸送機だけでなく、陸自から海外任務の専門部隊も派遣されました。

航空機に搭乗する邦人の誘導などを任務とする誘導輸送隊を陸自の中央即応連隊(CRR)から派遣したのは初めてのことです。(CRRは)海外任務の待機部隊、先遣部隊としての役割も十分に果たしました。自衛隊が命令を受けてから、出発して、現地で活動を始めるまでは非常に迅速でした。「やれ」と言われたら自衛隊はやるんです。

第1次イラク復興支援群長として、出発を前に記者団に心境を語る番匠幸一郎氏(当時は1佐)=2004年2月、空自千歳基地で

――自衛隊法に基づく在外邦人の輸送は今回で5回目。輸送手段など任務の中身も当初から変わった点もあります。

2004年4月に史上初となった邦人輸送は、私自身がイラクに派遣されている時に担当しました。イラク国内で日本人の人質事件を含む外国人の拘束事件が多発し、(イラク中部の都市)ファルージャの戦闘など治安が急激に悪化していた時期でした。治安悪化を受け、陸自が宿営地を置いていたイラク南部サマワにいる日本の報道関係者を速やかに退避させることになったのです。サマワの宿営地にいったん退避してもらって、報道関係者10人をクウェートまで運びました。

実は、命令にあった邦人輸送の任務は、イラク南部のナシリアにあるタリル飛行場から空自が拠点としていたクウェートまでの間を空自のC130輸送機で運ぶという内容でした。当時の自衛隊法では、邦人輸送の手段として航空機と船舶しか認められておらず、車両を使った陸上輸送は含まれていませんでした。法的には、サマワ宿営地からタリルまでの間を陸上輸送する根拠がない状態でした。

検討の末、サマワとタリルの間の陸上輸送は任務ではなく、「報道関係者への便宜供与」と位置づけました。報道関係者を陸自の装輪装甲車に乗せて、ヘルメットと防弾チョッキを着てもらい、文字通り「決死の覚悟」で隊員にオペレーションをやってもらいました。

航空機と船舶で輸送はできるのに車両で陸上輸送できないのはおかしいということで、2013年のアルジェリアにおける邦人拘束事件の後に自衛隊法が改正されて、陸上輸送も認められた経緯があります。

自衛隊は、任務がなければ装備も取得できず、準備も訓練もできません。法的に担保された任務を自衛隊に与えていただくことは非常に重要です。邦人輸送という任務があるから、誘導輸送隊も編成され、輸送防護車(エムラップ)も導入し、訓練もできたのです。

■中東と関わった20年

インド洋上での給油活動などに向けて出港する海上自衛隊の補給艦「とわだ」(手前)と護衛艦「あさぎり」=2003年7月、広島県呉市

――アフガニスタンでは部隊派遣にならなかったが、そのときの検討がイラク派遣に結びついたとのお話でした。陸上部隊のプレゼンスを示す意義、日本としての貢献をどう考えていましたか。

(1990年代に)カンボジアPKOも経験していたし、自衛隊が海外へ出ることの重要性、海外に出て行って、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(陸上部隊の派遣)で活動することは当たり前のことと認識していました。9・11テロ後、各国がテロとの戦いに取り組む中、日本が果たすべき役割があるなら、陸自も出るのは当然だと思っていました。

その頃議論していたのは、当時始まっていた東ティモールPKOの位置づけです。国連のPKOとして、東南アジアの新しい国造りは非常に重要だと認識していました。米国も全面的にコミットしたいだろうが、アフガニスタンの作戦に集中する必要がある。だったら、日本が負担できることをやろうと。その代表として東ティモールはあるのではないか。対テロ戦争とPKOは一見関係なさそうだが、600人規模の地上部隊を東ティモールPKOに出すことによって、この地域が安定するなら、間接的に(対テロ戦争に)貢献するのではという意識を持っていました。

――2000年代前半、アフガニスタンやイラクで課題になったように、日本の防衛のなかでも対テロ戦、市街地戦が大きなテーマになっていました。

90年代の半ばから北朝鮮情勢が緊迫し、国内の防衛任務の一環として、当時、「ゲリコマ」という言葉がはやりました。破壊工作のために国内に侵入するゲリラ(不正規兵)とコマンド(特殊部隊)の略です。

ゲリコマが忍び込んで国内でテロをやったときにどうやって対応するのか。原発をテロからどう守るのかということは、9・11テロより前から検討を進めていました。(冷戦中の)大規模な着上陸への対応だけでなくて、ゲリコマ対応のための訓練も進めていましたが、実際に9・11テロがおきて、テロから国民を守るという任務が出てきたのでそうした状況に沿って進めた部分はありました。

警護出動を想定し、建物内に侵入した武装工作員を制圧する陸上自衛隊員(左)と米海兵隊員=2004年12月、岩国市の米海兵隊岩国航空基地で

――テロとの戦いへの対応の検討、イラク派遣は、陸自にどのようなインパクトを与えましたか。

まず、自衛隊が発足以来、積み重ねてやってきたことは、いかなる事態、任務でも適用できるんだということを確認できました。一方、応用というか、ゲリコマへの対応を考えれば、(日本への)大規模な着上陸戦闘を想定したハイエンドの準備だけではなく、隊員たちの質と部隊の規模も重要になります。

また、海外でイラクの任務のように、テロリストへの対応を考慮しながら人道復興支援をやる任務、日米だけでなくて世界中から集まっている軍隊と肩を並べて作戦をするとなれば、当然、国内で平素行っている国土防衛のための訓練のやり方とは違う部分も出てきます。「井の中のかわず」的な自己満足では通用しない。敵が目前に本当にいるかもしれないリアルな環境にあると、気も引き締まるし、訓練の中身も本当に充実しました。そういう任務を実際に経験できたイラク派遣は非常に得るところが多かったです。(後編につづく)