1. HOME
  2. People
  3. 「世界でもっとも低い都市」で、子供たちに寄り添う仕事を選んだ日本人

「世界でもっとも低い都市」で、子供たちに寄り添う仕事を選んだ日本人

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
事務所のパレスチナ人スタッフ3人と

ヨルダン川西岸では、イスラエル軍による家宅捜索や、パレスチナ人とイスラエル兵の衝突、イスラエル人入植者による嫌がらせなどが頻発しています。

特に赴任してすぐ、トランプ米大統領(当時)の「エルサレムはイスラエルの首都」との発言があった時や、イスラエル政府がパレスチナ人の土地への入植を進めようとする時などに、パレスチナ人とイスラエル人の対立感情が激しくなりました。パレスチナ人が検問所やデモで射殺されるといったことも珍しくありません。そういう時は、東エルサレムやヨルダン川西岸では毎晩のようにデモ隊とイスラエル軍の衝突が繰り返されます。

電飾が施されたラマダンのエルサレム旧市街。アルアクサモスクへ祈りに行く人たち。奥にはイスラエル兵士がいる

そんな中で、7割の子どもたちが夜眠れない、心配事を抱えているといった調査結果があります。イスラエルとの衝突を目の当たりにしたり、ニュースで見聞きしたり、あるいは子どもが安全に遊べる場所がないために、抑え込まれた気持ちをうまく表現できずに暴力的になる子もいます。そうした子どもたちに友だちと一緒に安心できる場所を提供したいのです。

日本だったら算数で折り紙やはさみを使って楽しく学んだり、英語で歌を歌ったりといった取り組みがありますが、パレスチナの公教育は暗記中心で音楽や美術の授業も学校によってはありませんでした。そこで、楽しく心安らぐ参加型の授業を加えてもらおうというのが、私たちの活動です。

そうした教育ができる人を育てようと、自治政府教育省や地元団体と協力して、教員の研修(音楽、美術、演劇、心理ケア)が第一の仕事です。

保護者の理解も重要なので、子どもたちの不安や家庭での接し方、ストレス発散法に関するワークショップを開いています。

スタッフ不足で十分な活動が行われていなかったエリコ市の子ども支援センターには現地スタッフを置いて、子どもたちが友だちと楽しく過ごせる場所にしました。

エリコ市の子ども支援センターで(最後列右から2番目)

さまざまな業務が並行して進んでいて、そのまとめ役ですので毎日あちこち飛び回っています。それでも、支援センターにはなるべく1日1回は顔を出して子どもたちが何に興味を持ち楽しんでいるかを見て、必要な資機材を調達したり、スタッフとミーティングをしたりするようにしてきました。

毎日楽しい活動を届けようとするスタッフの頑張りもあり、支援センターに通う子どもたちはセンターに愛着を持ってくれるようになりました。事業期間の年度が変わるときには、センターが閉まると勘違いした子どもたちが署名活動をして、市長に「センターを閉めないで」とお願いしに行ったこともありました。

コロナ禍のロックダウン中は教員の研修もオンラインに切り替えました。窮余の一策で始めた親子向けオンラインクイズ大会は、ロックダウン解除後も親子が自由に投稿したり、ユーチューブの画像をシェアしたりするサイトに発展してきました。

大学3年の秋から半年間、中東やアフリカを一人でバックパッカーをして回りました。そのなかでもケニア、タンザニアに惹かれて、帰国後、建設会社に就職しました。国内勤務の後、ケニアやタンザニアで日本のODA(政府の途上国援助)事業を担当しました。

仕事も、現地の人たちも好きだったのですが、このまま、ずっとここにいていいのだろうか、世界は広いのにそれはちょっともったいないかも知れないと思い、会社を辞めて、また海外をふらふら旅しました。

ヨルダンで出会ったのが、シリアからの難民を支援する活動でした。次はヨルダンで仕事をしたいと思っていたところに、国境なき子どもたちのヨルダン派遣員募集を知り、約2年間のヨルダン勤務を経て、パレスチナ自治区に移ったのです。

文化・宗教的な面から、音楽や美術、演劇をよしとしない人たちもいると聞きますが、パレスチナではラジオやカフェでも音楽が流れていて、演劇の公演もあり、生活に溶け込んでいます。絵画に関しても動物や人の絵は普通に描いていますし、日本のアニメや漫画は大人気です。私たちの活動の中では、地元団体の講師の方たちが音楽、美術、演劇を丁寧に指導し、教員や子どもたちは楽しみながら自然と触れあっています。

家の近くから見えるエルサレム旧市街地、岩のドーム

イスラエルのビザ発給条件で、住んでいるのはエリコではなく、イスラエル占領下の東エルサレムです。エリコまで車なら30分ほどの距離なんですが、毎日、バスを3回乗り継いで分離壁と検問所を越えて、片道2、3時間かけて通っています。

コロナ禍のロックダウンなどは、イスラエルとパレスチナ自治区で規制の期間や強弱が違ったので、よく戸惑いました。今年6月ごろからはマスク不着用の罰金がなくなるなど、かなり日常に戻ってきた感じがあります。

エリコは、夏は日中40度を超える日が少なくありません。金、土が週末なので、木曜の夜はパレスチナ側の地ビールやワインがおいしい店に行きます。パレスチナの外飲みコミュニティーは小さく、店ではすっかり顔なじみ。1週抜けると「先週はどうした?」と尋ねられます。ミュージシャンやDJの友人もでき、テクノミュージックで踊ったりもしています。

アラブの打楽器タブレ。一緒に働く人から週に1回教えてもらっています

週末も家でゆっくりするのはあまり向いていないようで、東エルサレムやベツレヘムなどの遺跡をぶらぶらすることが多いですね。自宅は東エルサレムの東側で30分ほど歩くとキリストの墓とされる場所に立つ聖墳墓教会など、たくさんの遺跡がある旧市街地に出られます。コロナで観光客がいないので、教会に入ると落ち着きます。

地元のサッカーおじさんたちとも仲良くなり、一緒に水たばこを吸いながら、テレビ観戦でひいきチームを応援することも。事務所のパレスチナ人スタッフ3人は、オンオフ両方支えてくれる大切な存在で、一緒にヨルダン旅行にも出かけました。

事務所のパレスチナ人スタッフと遊びに行ったヨルダンの自然保護区ワディラム砂漠で

30日間のラマダン(イスラム教の断食月)はどこもかしこも電飾が施され、日没後に一日の食事が始まります。断食明けの食事イフタールは友人が招いてくれることが多く、自炊する日がないぐらい。その後、カフェなどに出かけて、朝方までおしゃべりすることも。真夜中に寝ようと思っていると「出ておいでよ」と誘いの電話がかかってきます。

ラマダン中は毎日、朝方までその調子で、自治政府や市役所の人たちも含め、勤務時間が短くなります。自分もそうですが、空腹と眠気で日中ぼーっとしてしまって仕事があまりはかどらない日々ではありますが、イスラム教徒にとっては神聖な月。私にとってはお祭りが毎日続くような楽しい1カ月です。(構成・大牟田透、写真は福神さん提供)

ラマダンの間、日没後に食べる「朝食」イフタールにはごちそうが並ぶ