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「まるでアイラ島」の環境が北海道にあった 日本のウイスキー、海外から熱い関心

World Now 更新日: 公開日:
海岸沿いに立つ厚岸蒸溜所の熟成庫=北海道厚岸町、迫和義撮影

いま、日本のクラフトウイスキーが熱い。ここ数年で全国に30ほどにまで蒸留所が増えた。世界の品評会で最高賞をとるウイスキーも現れ、繊細な味わいが海外の愛飲家をもとりこにしている。

海でわいた霧が海岸を覆い丘へと上る。丘の上にはウイスキーの樽が保管されている熟成庫が立つ。倉庫の壁には「AKKESHI」の文字。昼過ぎだというのに霧がいっこうに晴れず、すぐ近くにいるのに文字がかすんで見えない。

釧路から車で1時間余り。7月、海霧とカキで知られる北海道厚岸町を訪れた。夏でも冷涼で湿度が高く、近くの湿原ではウイスキーの原料となる大麦を乾燥させる際に使う、ピート(泥炭)がとれる。その環境はスコッチウイスキーの本場、英国アイラ島そのものだ。

霧の中の厚岸蒸溜所。野生のシカがひょっこり現れ、顔をのぞかせていた=迫和義撮影

東京で食品原材料の輸入を手がける、堅展実業社長の樋田(といた)恵一さん(54)はアイラ島のモルトウイスキーをこよなく愛している。「アイラ島の煙ったい、独特の香味が好きで、そんなモルトウイスキーを日本でつくりたかった」と樋田さん。アイラ島に似た環境の厚岸に蒸留所をつくり、2016年に製造が始まった。

厚岸蒸溜所のポットスチル。スコットランドのフォーサイス社製で銅でできている=迫和義撮影

今年5月に発売された「芒種(ぼうしゅ)」は製造した1万本がすぐに売り切れた。口に含むとかすかに塩味を感じる。蒸留所長でチーフブレンダーの立崎勝幸さん(53)は「ウイスキーは樽の中で呼吸をしている。海霧の潮の香りを樽の中のウイスキーが含んだからかもしれないと思って分析したが、舌で塩味を感じるほどの成分は検出されなかった。不思議です」と話す。

発酵の状態をチェックしている厚岸蒸溜所の作業員=迫和義撮影

かんきつ系の香りもする。オレンジというよりはみかんやハッサク。和のやさしい風味を感じると評される。大麦は北海道産を使う。それを砕いて湯に浸して麦汁を作り、アルコール発酵を3日間、乳酸菌による発酵を2日間させた後に蒸留して原酒をつくる。立崎は「北海道の地で育った大麦についている乳酸菌が和のテイストを生み出しているのかもしれません」という。

蒸留所ができた当初から進めているプロジェクトが「厚岸オールスター」だ。厚岸産の大麦、ホマカイ川の水、野いちごからとった酵母、タンチョウも営巣するという別寒辺牛湿原周辺でとれるピート、周囲の原野のミズナラでつくった樽、すべて地元産にこだわる。大麦は町ではつくられていなかったが、地元農家に依頼し作付けして19年に初めて収穫、仕込みが始まった。

北海道厚岸町の原生林に生えるミズナラ。間伐材を樽にする=迫和義撮影

「アイラ島の伝統に敬意を払いつつ、アイラモルトをつくるわけではない」と立崎さん。「厚岸の地にこだわり、最高の品質のものをつくろうと突き詰めていく。それを海霧の中で熟成すれば、テロワール(地味)が全面に出てきて厚岸らしさの塊のようなウイスキーになるんじゃないか。今からわくわくします」

厚岸蒸溜所の事務棟と熟成庫=迫和義撮影

日本のクラフトウイスキーは、埼玉県秩父市のベンチャーウイスキー社から始まった。同社の「イチローズモルト」は17年から5年連続で英ウイスキーマガジン社の「ワールド・ウイスキー・アワード」の世界最高賞を受賞。「伽羅(きゃら)や白檀(びゃくだん)のようなオリエンタルな香りがする」と、欧米や台湾、オーストラリアでも人気だ。新型コロナ流行前には外国から秩父まで買いにやってくる人もいた。

ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所の「Ichiro's Malt」=埼玉県秩父市、恵原弘太郎撮影

だが、ここまで来るには曲折があった。社長でチーフブレンダーの肥土(あくと)伊知郎さん(56)が会社をつくった04年、ウイスキーの国内市場は低迷し大手メーカーも減産、父から引き継ぎ肥土さんが社長となった400年近く続く家業の酒造会社は多額の負債を抱えて人手に渡るなど、どん底だった。

肥土さんの祖父は戦後まもなく洋酒ブームが来ることを予見してウイスキーの製造免許を取得、父の代には主力の日本酒や焼酎などをつくる傍ら、埼玉県羽生市の工場でウイスキーを本格的につくった。倉庫には20年以上熟成させた約400樽のモルトウイスキーがあったが、買収した会社はこれを不良在庫として破棄を決めた。

埼玉県秩父市の盆地の山あいにある秩父蒸溜所=恵原弘太郎撮影

社員は「くせが強すぎて売れない」と言ったが、肥土さんは「個性的でおいしい」と感じた。捨てずに済む方法はないかと、保管先を探し回った。肥土さん自らが売ることを条件に、福島県郡山市の酒造会社で預かってくれることになった。肥土さんは東京都内のバーを回りバーテンダーに味をみてもらった。その多くから「非常に面白い」と言ってもらい、印象は確信に変わった。

熟成を終えて樽から取り出されるウイスキー。この後ボトリングされる=恵原弘太郎撮影

バーをめぐり、若い人や女性などウイスキーを飲むとは一般的には思われていなかった人たちが、モルトウイスキーを飲み比べて個性を楽しんでいることを知った。飲みづらいと感じたのは、くせが比較的少ないウイスキーを水割りにして飲むのに多くの人が慣れていただけで、「個性はおいしさだ」と気づかされた。約400ある樽ごとの特徴をとらえ、トランプのカードになぞらえて「カードシリーズ」として売ると、全54種類のセットが香港のオークションで約1億円で落札された。

グラスに注がれたウイスキー=恵原弘太郎撮影

父が残した原酒はいずれなくなる。自らも個性を楽しむウイスキーをつくりたいと、08年に国内で35年ぶりとなるウイスキーの製造免許を取得。生まれ育った秩父で蒸留所を立ち上げ、製造を始めた。発酵槽や樽に国産のミズナラ材を使うなど、和のテイストにこだわった。肥土さんは「日本のウイスキーが世界で高い評価を受けるのは、日本は四季があってメリハリがある温度変化で熟成が進み、より味わいを深めてくれるから。とりわけ秩父は寒暖差が大きく、秩父らしい熟成をしてくれる」と話す。

ベンチャーウイスキー社長、肥土伊知郎さん=恵原弘太郎撮影

その土地に根ざしたウイスキーは、個性的な魅力を放つ。その魅力を世界中の人が楽しむ。ウイスキーの個性をより感じさせてくれるのが、同じ蒸留所、熟成庫で育った原酒をブレンドしたシングルモルトウイスキーだと、肥土さんは考える。「ウイスキーは土地の風土を楽しむ酒なのです」

秩父蒸溜所のかつてのブレンダー室に並ぶウイスキー=恵原弘太郎撮影