「うまくいかずに苦しんでいた時、メンター(助言者)のスティーブ・ジョブズにこう言われました。『会社の使命をもう一度見つめ直すために、インドに行ったらどうか。訪れるべき寺がある』。その寺はジョブズもかつて訪れ、アップルや未来への考えを進化させた所だったのです」
フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグは2015年、訪米したインドのモディ首相との対談で、インドへの思いを吐露した。彼が08年に訪れたのは「カインチ・ダム」と呼ばれるヒンドゥー教寺院だ。
ジョブズは、アップルを設立する2年前の1974年にこの寺を訪れた。「自分はどういう人間なのか、何をするべきか知りたかった」と、訪問前に友人に語った。最大の目的はババジーと信奉者から呼ばれる導師(グル)に会うことだ。インドで人気の神様で、中国の孫悟空のモデルとも言われる猿神ハヌマーンの生まれ変わりと信じられていた。
伝記によるとジョブズは、ヒマラヤのふもとにある寺を目指したが、ババジーは1年前に亡くなっていた。ヒンドゥー教の聖者の書いた本を読み、瞑想(めいそう)し、インドに7カ月滞在した。
■私も訪ねてみた。ひらめきは……
2人の世界的起業家が訪れた寺には、何があるのか。足を踏み入れたら、私も起業のひらめきを得られるかも……。そんな期待を胸に、ニューデリーから北東に約350キロの山あいの寺に向かった。飛行機を降り、車で携帯のつながらない山道を進んだ。
着いたのは午前6時前。門の前で地べたにひざまずく男性がひとり、ハヌマーンをたたえる賛歌を唱えていた。野生の猿もこちらをうかがっている。近くを流れる川のせせらぎや車の騒音、ホラ貝を吹く音、ほうきで床を掃く音が混ざり合う。靴を脱いで敷地内に入ると、石のタイルがひんやりした。
建物の中にはババジーの写真がいくつも飾られていた。全宇宙を3歩で渡ったとされる維持の神ヴィシュヌのほか、破壊神シヴァの男根リンガが女性器をかたどった台座を貫く形で立っていた。でも、他の寺と大きな違いはない。ひらめきを得られたわけではなかった。
■2人が感じた「神の力」とは
「右のひざに穴の開いた変なズボンをはいたお兄さんが来たと思ったんだ。ザッカーバーグなんていう人、知らなかったからね」。寺の管理を任されているビノド・ジョシ(71)はそう振り返る。瞑想したり、持ってきた本を読んだりしていたらしい。
ザッカーバーグは、後にこう語っている。「インドの人々がいかにつながっているか(connected)を実際に見ることができた。このつながる力を人々がより強くすることができれば、世界はより良くなると感じた。フェイスブックをつくって以降、常に思い続けていることです」
一方、ジョブズはこう振り返った。「インドの田舎にいる人々は直感で生きている。彼らの直感は世界一というほど発達している。直感は知力よりパワフルだ。この認識は僕の仕事に大きな影響を与えてきた」
つながりと直感。それは、インドの人たちがよく口にする「神の力」に近いと感じる。
世の中には自分の力でできることなど何もなく、人は見えない大きな力によって生かされている。インドの人々には、そんな実感がある。人と出会えたことに感謝し、そこに導いた大きな力に謙虚でいる。ヒンドゥー教だけでなく、インドに共存する多くの宗教に通じる姿勢だ。
出会いへの感謝からか、インド人のネットワーク構築力は目を見張るものがある。暇さえあれば電話をかけ、見知らぬ人にもどんどん話しかける。
生活に困難が多いため、助け合う人脈を普段から計算ずくで培っているのだ、と言う人もいる。それでも、おしゃべりは自分も相手も、他の人も入ればもっと楽しい。神によって出会えた人なのだから、と考える。ザッカーバーグの見た「つながり」は、こんなインドの人々の姿だったのかもしれない。
ジョブズの「直感」は、「自分は何をすべきか」を追い求めた結果、インドで見つめ直したものだった。論理的な知力だけでは組織のトップとしての決断はできない。自分の力ではいかんともしがたい大きな力の存在に思いをはせ、浮かび上がった直感を信じる大切さ。それをジョブズは感じたのだろう。