世界中の人たちをとりこにしているスマートフォンゲームの「ポケモンGO」。ハマった人であれば、地域限定のレアキャラが存在することをご存じでしょう。
その一つが、オーストラリアでしか手に入らないとされるガルーラです。おなかに袋があって、そこに子どもを入れて育児をしています。
さながらオーストラリアに生息するカンガルーのよう。ご当地キャラにぴったりです。
実は、この架空の生き物ガルーラを学問に応用し、実際の生き物の生息研究を発展させることに成功した科学者が沖縄科学技術大学大学院(OIST)にいます。彼のユニークな研究成果を紹介します。
その科学者はダン・ウォーレン博士です。アメリカ・オクラホマ州の出身で、統計生態学が専門です。
ウォーレン博士に連れられ、私もOISTの敷地内でポケモンを捜してみました。すると、かなりの数のポケモンに遭遇。博士はすっかりポケモンにはまっているようです。
博士は経歴もユニークです。元々「自然界の多様性は進化論では説明できない」と考えていました。家族が信心深いキリスト教徒で、神による創造を信じていたからです。
そんな彼が生物学と出会ったのは、当時のガールフレンドがきっかけです。15歳で学校を中退した後、一度はミュージシャンを目指していましたが、大学で生物を学ぶ彼女に付き添う形で、自らもオクラホマ大の社会人向けコースに入学、生物学を専攻しました。
ちなみにその彼女とは結婚し、彼女も生物研究者として活躍しています。
ウォーレン博士は当初、自らを過小評価する心理傾向があるインポスター症候群だったといいます。博士はこう打ち明けます。
「高校を中退し、科学者とは無縁の生活を送っていた自分が大学に入って生物を学ぶなんて、夢のようなことだったのです。自分がそこに相応しくない者であることを誰かに悟られて、追い出されるのではないかとビクビクしていました」
それでも、ウォーレン博士は研究に向いていたらしく、学士号を取得すると、程なくして博士号を取得し、さらにその後、ポスドク研究員(ポスドク研究員については、以前の記事も御覧ください)を4回務めました。そのうち2回はオーストラリアで働きました。
研究者としてのキャリアがスタートすると、皮肉なことに彼の関心を引き付けたのは進化論でした。
「私はその時点では既に信仰心を失っていましたが、地球上の生物の多様性は科学では説明できないという考えが頭に染みついていました。大学で学んでからようやく、正確な自然淘汰の進化論を教わり、この考え方に魅了されました。私たちを取り巻く世界を説明するのに魔法は必要ありません。進化は個々の小さなレベルで起こり、その小さな出来事の積み重ねによって、サンゴ礁に生息する魚類や熱帯雨林の多様性、そして興味深い行動の数々が生まれているのです」
さて、ここでようやくポケモンの話に戻ります。
ウォーレン博士は最近、ポスドク研究員として滞在したオーストラリアで親交を深めた研究者仲間たちと「オーストラリア唯一の固有種であるポケモンに気候変動が与える影響。種の分布モデルにおけるバイアスの測定」と題する論文を発表しました。この中にガルーラが登場します。
ガルーラの生態については謎が多いですが、博士らは、ゲーマーたちがガルーラの生息地を記録しているウェブサイトを見つけました。
ガルーラは、ゲーマーによる乱獲や、気候変動で絶滅の危機にさらされています。そこで、このデータを実際に世界中の研究などで活用されている六つの「種分布モデル」に当てはめ、ガルーラの生息地が将来どのように変化するかをシュミレーションして論文にすれば、生物に興味のない人も生態系の問題に関心を寄せてもらえると思ったのです。
ところが、そんな試みは学問的な意味でも大きな成果をもたらしたのです。
ウォーレン博士によると、六つの種分布モデルは研究の現場でよく使われていますが、一方でモデルから得られる結果を比べると、極端に「偏り(差異)」が生じることも知られていました。
例えば、同じ環境下にある同じ生物に対し、あるモデルを使って将来の生息を予測させると「気候変動が深刻な影響を与える」という結果が出るのに対し、別のモデルでは「気候変動はいい影響を与える」と出てしまうことがあるといいます。真逆の結果です。
「偏り」の程度がモデル間でどのくらいあるのかを知りたいと同僚研究者が嘆いたとき、博士は解決策をひらめいたそうです。
今回、ポケモンGOの仮想生物ガルーラを利用した利点は、基本的な「生物学」が当てはまらない点です。
実際の生物における種の分布をモデル化する場合、種の生物学的性質やモデル化するプロセスの上で様々な要因による影響を受けます。
しかし、考慮する生物学的な要因が全くない仮想種を使っても、モデル予測の結果に大きな差があることを示すと、これらのモデル手法がいかに偏っているかがわかります。
また、ガルーラのような人気のキャラクターを使うことで、実際の種に基づいた通常の論文よりも多くの注目を集めることに貢献しました。
複雑なデータを伴う実際の生物であればもっと偏りは大きくなるでしょう。博士たちはガルーラのおかげで、これまで当然のように使ってきたモデルの不備を浮き彫りにし、改良する手法も見つけることができました。
この成果はとても意義があります。種の分布モデルは研究や政策立案において幅広く使われているからです。とりわけ、野生動物の管理や保全に大きな影響を与える可能性があるでしょう。
ウォーレン博士は次のように言います。
「科学とは、現実が許す範囲内での創造性の産物です。多様な視点を持つことは、科学の助けになります。検証可能なアイデアの数を増やすことができるからです。私は、途中で勉学を諦めたり、芸術活動を行うなど、科学者としてあまり一般的でない経歴を持っていますが、そのことが、アイデアの思いつきや、情報に対する反応に影響を与えています」
その良い例が今回のポケモンを活用した論文でしょう。博士はこう締めくくりました。
「この研究はとても楽しく、論文の中にはポケモンのジョークが満載です。そして何よりも、この研究成果は他の何千もの研究にも通じる可能性があります。創造性と現実、つまりアートとサイエンスが交錯しているのです」
今まで科学論文なんて読んだことない、という方も、もしかしたらこれなら楽しく読んでいただけるかもしれません。