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【杉本亜美奈】人をつなぐ力は満点 フェムテックの種をまいた起業家、その力の源

Breakthrough 突破する力
大好評だった伊勢丹新宿店の期間限定ショップ。カップル、祖母と孫など様々な客が訪れた=2021年2月27日、東京・新宿、鬼室黎撮影

生理、妊娠・出産、更年期。女性は人生の中で身体に何度も大きな変化がおとずれ、心身の調子が大きく左右される。それを進化し続けるテクノロジーで解決するのが「フェムテック」だ。杉本亜美奈(32)は関連商品の輸入、販売、コンサルティングなどを手がける起業家だ。

「やりたいことが見つかると、実現のためには何が必要かを考え、納得いくまでやる」。この姿勢はずっと変わらない。ただ、「本当にやりたいことは何か」と突き詰めて考え、迷うこともしばしばだ。フェムテックとの出合いまでにも曲折があった。

父は中国系マレーシア人、母は日本人。人生の半分以上を海外で暮らした。小5から中3まで、開発の仕事をしていた父と家族でタンザニアで過ごした。道には物乞いがおり、家に来るメイドは字が書けない。勉強するよう教科書を買ってあげても親が売ってしまう。一方、通うインターナショナルスクールの生徒の親は国連や政府の幹部。同級生の家でのパーティーには子どもたちが運転手付きの高級車で集まった。学校のスワヒリ語の先生は「あなたたちの生活を見て私たちはみじめになった。昔は掘っ立て小屋の生活で幸せだったのに」と言った。開発とは西洋人の自己満足ではないか。正義とは。違和感を抱いた。

タンザニアの中学時代。様々な国出身の友達と=本人提供

卒業後は日本の高校に1年間通った後に、英国ウェールズにある全寮制の高校、ユナイテッド・ワールド・カレッジ(UWC)に進んだ。夏休みには同級生たちとタンザニアに学校を建てるプロジェクトを率いた。高校・大学の同級生、ヤン・アイヒホルンは言う。「彼女はさまざまな人の間に橋をかけ、勇気づけ、一緒に実現する力がある」

■自分が本当にやりたいことって

医師になりたいと、ドイツの大学で生化学と細胞学を専攻した。合間に半年間、日本の病院で看護や掃除の手伝いをしてみたが、ピンとこない。「私、本当に医者になりたいのかな」。大学を卒業しても答えが出ない。「就活」という概念は自分の中に存在しなかった。バーや大学の研究室で働きながら模索しているうちに「グローバルヘルス」という学問に興味を持った。

「人口レベルで健康を考える。面白そう」

東大に渋谷健司という先生がいるらしい。帰国して大学院に合格し、彼の研究室に入った。入学直前の3月に東日本大震災が起きた。渋谷とともに福島に入り、原発事故の被災者の被曝の調査と健康診断をし、論文をいくつも書いて学位も取った。「彼女に言ったのは、論文を書いて終わりじゃないということ。政策や制度にするまでやらないと社会を変え、良くできない」と今は英国のキングス・カレッジ・ロンドンの教授となった渋谷は言う。

福島での健康調査の様子。問診を担当した=本人提供

さらに英国の大学院で公衆衛生を専攻し、博士号を取って帰国した。「自分の強みを一番発揮できるのは日本」が、ずっと海外で過ごしたうえでの実感だった。日本の高校で大好きだった英語の先生から言われた言葉も心にあった。「亜美奈は川を流れる葉っぱのよう。いろんなところに流れていくけど、どこかに根をおろして芽を出して種をとばさないと何も成し遂げられないよ」

シンクタンクで働き始め、専門を生かして薬価政策の検証などに携わった。だが、「満員電車で通勤する毎日。もうつまらなくて。私、ここにいたらダメだ」と思った。その頃、UWCの同窓生の関係で出かけた集まりで、起業支援をする投資会社「ミスルトウ」を率いる孫泰蔵と出会った。起業にはもともと関心があった。孫に「泰蔵さんのところで働かせてください」とメッセージを送ると「いいね」マークの返事が。上司に「やめます」と告げると、ミスルトウのオフィスにいた。「起業のアイデアをみんなが熱く話していた。半分以上理解できなかったけど、自分がすごい未来にいる気がした。世界がわあっと広がっていく感じだった」

■女性が自由になるための支援

スタッフのエスコラ茜(左)と。オフィスのあるワンルームマンションは昭和に建てられた=東京都品川区、鬼室黎撮影

ヘルスケアのスタートアップを調べていて、卵胞のホルモンを自宅で測れる機器を見つけた。「こんなものがあるんだ」。それがフェムテックとの出合いだった。自身も28歳になり出産した同世代の知人も出始め、将来を漠然と考え出したころだった。

「調べると、そういう技術がどんどん開発されていた。自分の体のことを自分でわかって決められれば、人生の選択肢が広がる。女性が自由になる支援、私がやりたいのはこれだ」

事業をどう具体化したらよいのか。孫に何度も相談にのってもらった。「彼女はプライドがあったらこんなこと聞けないということまで聞く熱意と楽観的なところがある。もうかる会社を作るのは手段。その先の社会を変える可能性がある」と、孫は言う。

2019年8月に独立し、オフィスを構えた。翌月にはイベントを企画。母乳が出やすくなるブラジャー、おりものの状態から妊娠しやすい日を教えてくれる機器など、興味をもった製品を開発した世界の企業に「展示するから無料で提供してほしい」と依頼し、30あまりの商品を並べた。SNSで宣伝すると、予想の倍の120人以上から申し込みがあり、2500円のチケットは即完売。来場者は身体の悩みを口々に語った。手応えをつかんだ。

フェルマータの店内=同社提供

生理用品をはじめ、女性の身体まわりの製品は、日本ではタブー視されてきた歴史もあり、あまり新しい製品は開発されてこなかった。商品を持って厚生労働省に相談に出かけても、「市場ができてから来てください」と言われるだけだった。

仲間を増やさないと。「次の世代が生きやすくなる社会を一緒に作りたい」と趣旨に賛同したヘルスケアに詳しい弁護士が加わった。伊勢丹新宿店の担当バイヤーだった桑原麻友子も仲間に加わった一人だ。イベントで一緒になったことをきっかけに、2~3月に同店で期間限定店を開いた。祖母と孫が一緒に訪れ、それぞれ同じ吸水ショーツを買っていった。「百貨店のようなオープンで誰でも訪れることができる場で、女性の生き方を変える多様な商品を提案することに意味があると思う」と桑原は言う。

思わぬ人も味方になってくれた。自民党衆院議員の野田聖子がフェムテック製品に関心を持ち、制度や政策で後押ししようと同党に議員連盟を立ち上げた。

女性の身体回りで何かビジネスをしたい、という若い女性から相談を受けることも増えた。大学で講演した際に女子学生に「私も何かやってみたい」と言われ、「製品を使っていいからイベントをしてごらんよ」と後押しした。

シンガポールにも拠点を置く。「目線が日本だけだと限界が見えてしまう。世界の経済圏をリードするアジア全体に広げたい」

福岡に住む大好きな祖母に「いつか死の床についた時、自分はこれを成し遂げたと思えるものを見つけなさい」と言われてきた。それがフェルマータなのかはまだわからない。でも、種が根をおろし、芽が伸び始めたのではないか。社会がほんの少し変わるきっかけになったのかもしれない。(文中敬称略)

■Profile

  • 1988 千葉県で生まれる。長期休みは福岡の母の実家へ。大好きな祖母やいとこたちと過ごす
  • 2000 家族でタンザニアに引っ越す。「英語がわからず、最初はみんなのまねをするだけ」
  • 2004 日本に帰国、高校1年を福岡で過ごす。当初仲間外れにされたが、次第にクラスの中心に
  • 2005 英国ウェールズのUWCへ。4人一部屋の寮生活、テストは高校生活通じて数回だけ
  • 2007 独ブレーメンの大学Jacobs University Bremenに進学、生化学と細胞学を専攻
  • 2011 東京大学大学院に進学、グローバルヘルスを専攻。渋谷健司教授と共に福島に通う
  • 2013 英ロンドンの大学院London School of Hygiene and Tropical Medicineに留学。4年で公衆衛生博士号を取得
  • 2017 4月に日本に帰国。シンクタンクで働き始めるが、すぐにミスルトウに参加
  • 2019 大盛況となったフェムテック機器の展示会をきっかけに、フェルマータを起業
  • 2021 伊勢丹新宿店や銀座三越で期間限定ショップを開催

■とことんが信条……やりたいことの実現のためには、とことんやる。小3の時、オランダに小学生を派遣する千葉県佐倉市の事業に参加。応募に必要な作文を何度も書き直した。高校はUWCに行きたかったが学費が高い。このため1年だけ日本の高校に通い、猛勉強して日本の団体の奨学金に応募。「面接では何を聞かれますか」。団体では「しつこく聞いてくる女の子がいる」と有名だった。

■フェルマータの由来……ミスルトウの孫が名付けた。「フェルマータとは『良い感じにその音をのばす』という音楽用語。素晴らしい音にはフェルマータをつける。女性の身体については社会が思考停止になっている。作られた枠を良い感じにのばしていけたら」。孫は「自分が直接携わっていないものに名付けたのはフェルマータくらいだ」と言う。