中心の共和国広場(①)から歩き始める。アボビヤン通りを北上すると右手に現れる小空間は、この国ゆかりの世界的シャンソン歌手の名を冠したシャルル・アズナブール広場(②)。チェスの聖地となっており、街中の愛好家が屋外の盤を前に腕を競う。その中には元チェス世界王者で国民的英雄のレヴォン・アロニアンさん(38)の姿も見えた。青空チェス教室で講師を務め、子どもたちを指導している。
その先の教会群の一つは、13世紀建造のカトギケ礼拝堂(③)。東西南をイスラム教国と接する「世界最古のキリスト教国」アルメニアの象徴だ。この国でキリスト教公認は4世紀にさかのぼる。
もっとも「キリスト教すなわち欧米」ではないのだ。旅行会社の経営者ロゼアンナ・バダリヤンさん(43)は「私たちは欧州人ではなく、メソポタミア文明を受け継ぐ中東人です」。ここは、欧州とアジアと中東のはざま。多様な文化と価値観が入り交じって、アイデンティティーがつくられているようだ。
礼拝堂前の路上では、琴に似た伝統楽器カノンを女性4人が奏でていた。近くの音楽学校の学生だろう。市民が足を止め、空き缶にコインを投げ込む。
街頭での演奏は欧州各地の街角でしばしばみられるが、この演奏会の収益は難民のために使われるという。その手前の歩道でパンを売る店も、難民支援のボランティア。私が訪ねた昨年11月は、隣国アゼルバイジャンとの間でナゴルノ・カラバフ紛争がまだ続いていた。9万人もの難民や避難民が生まれていた。
街中では、前線から戻ってきてつかの間の休息を楽しむ軍服姿の若者も目立つ。戦意を鼓舞するポスターや電光掲示も各所に。戦場のナゴルノ・カラバフとは100キロ以上離れているが、その影はあちこちにうかがえる。
街の西側の丘にのぼった。ここにはアルメニア人ジェノサイド(集団殺害)の祈念碑と博物館(④)が立つ。
アルメニア政府は、オスマン帝国下で起きたこの出来事で150万人のアルメニア人が殺害されたと主張。一方、ジェノサイドを否定するトルコは、今回の紛争で、言語や宗教が近いアゼルバイジャンを支援し、最終的にアルメニアを事実上の敗北に追い込んだ。歴史認識の違いと、現代の対立が、交差している。
丘の上からバラ色の街を眺めつつ、この地域を取り巻く複雑な歴史と人々の関係に思いをはせた。
■国境はさみ二つの無形文化遺産
アルメニアの食事に欠かせないのが、平べったい独特の窯焼きパン「ラヴァーシュ」だ。
市民運動家のエリヤ・マナンディヤンさん(45)に、食事につれていってもらった。エレバン市内から車で1時間。世界遺産に登録されたゲガルド修道院前のレストラン「ゲガルド」のテラスで、友人と一緒に食卓を囲む。出てきたラヴァーシュは、粘着力が半端でない。「なかなか切れないのよ、エイヤー!」と、マナンディヤンさんが全力で引きちぎり、取り分ける。地元産のチーズとバター、ピクルスを包んで口にすると、しっかり利いた塩分と素朴な味わいが心地良い。
ただ、紛争の影はここにも。アルメニアはその製法を2014年、ユネスコの無形文化遺産に登録したが、同様のパンを持つアゼルバイジャンが反発。2年後に周辺諸国とともに独自登録し、遺産リストには二つの「ラヴァーシュ」が併存する結果となっている。
■アララト劇場
エレバンは、南側に開いたすり鉢状の地形。その正面に、標高5000メートル超のアララト山がそびえる。まるで、山を舞台、街を観客席に見立てた劇場だ。晴れた日にくっきりと浮かび上がるその山は、トルコ領内。両国間の国境は、関係が悪化した1993年以来閉ざされたままで、往来はできなくなっている。
■イラン人の憩いの場
トルコとアゼルバイジャンに挟まれたアルメニアは、南東部で短く接する隣国イランと良好な関係を保つ。コロナ禍前は、多数の観光客が行き来していた。特に、国内で音楽や酒を楽しめないイラン人らは、団体旅行でエレバンを訪問。コンサートを楽しみ、宴会を催して羽を伸ばす。その大半は、国境地帯に多く住むアゼルバイジャン系の人々だという。