■「不在を映し出す」追悼プール
一辺約63メートル四方、地上からの深さ約9メートルの巨大な穴が二つ並んでいた。北プールと南プールと呼ばれ、側面を静かに水が流れ落ちる。
ここにはかつて「ツインタワー」の名で親しまれた110階建ての超高層ビル2棟が建っていた。2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた2機の民間旅客機が突っ込むという自爆テロで倒壊したWTCの北と南棟の跡地だ。
テーマは「不在を映し出す」。両プールには、9・11の犠牲者たちの名前が彫り込まれている。テロ攻撃から10年たった11年9月11日に公開が始まった。鎮魂と慰霊の場所で、だれもが自由に訪れることができる。
両プールにはさまれるように博物館が建つ。テロ攻撃の悲劇を後世に伝え続ける目的で、14年5月に開館した。両プールと博物館をあわせて「9/11メモリアル・ミュージアム」を形成。昨年は新型コロナの影響で約半年間は休館を強いられたが、2019年には追悼プールに600万人、博物館に300万人が訪れた。全米50州、世界175カ国以上からの訪問だという。
■起きたことの詳細な記録
筆者が訪れたのは昨年11月16日。新型コロナで1日10万人以上の爆発的な新規感染が出る中、博物館は30分ごとの事前予約制だった。入館者数を通常の25%まで抑制する措置がとられたため、施設内は閑散としていた。追悼プール一つよりも敷地面積が小さい博物館の建物に物足りなさを感じたが、入館してみて驚いた。展示スペースは地下に広がり、両プールの真下も含め約3万平方メートルにわたっていた。
さらに驚かされたのは、情報量の多さ。当時まだ生まれていなかった世代にも、9・11に何が起きたのかを詳しく把握できるようになっていた。
ハイジャック犯が空港のセキュリティーチェックを通過した午前5時45分から、がれきに埋まった警察官2人の生存が確認された午後10時30分までの約17時間の記録を、写真や映像、犠牲者や被害者らの肉声の音声などとともに詳細に伝えるタイムラインはわかりやすかった。
午前7時59分 アメリカン航空11便(乗員乗客92人)がボストンの空港を離陸(乗客の氏名と座席表を展示)
午前8時15分 ユナイテッド航空175便(同65人)がボストンの空港を離陸(乗客の氏名と座席表)
午前8時19分 11便の客室乗務員がハイジャックされたことを地上職員に報告。「誰かが刺された。ハイジャックされたと思う」(客室乗務員の実際の肉声を展示)
午前8時30分 WTC内の多くのオフィスで仕事が始まる
午前8時46分 11便がWTC北棟の93~99階の範囲に衝突(衝突映像)。「大きな飛行機が直進してくるのが見える」(南棟99階にいた会社員の肉声)
午前8時59分 警察が北、南両棟からの避難を支持。「エレベーターに人が集中しているので階段で下りたが、ひどい高温。途中の階から合流した人たちは髪も皮膚もない。ひどいやけどだ」(北棟上階から避難した男性の肉声)
午前9時3分 175便が南棟の77~85階の範囲に衝突(衝突映像)。「避難途中72階付近の階段で大きな音がして、倒れ込んだ。北棟が倒壊したのかと思った」(南棟の会社員の肉声)
午前9時59分 南棟が倒壊(倒壊映像)
午前10時28分 北棟が倒壊(倒壊映像)
高層ビルに旅客機が突っ込むシーンやビルが倒壊する実際の映像が何度も何度も繰り返し流される。犠牲者らの肉声や写真、遺品なども多く展示されており、心が締めつけられた。
9・11では、WTCに突っ込んだ2機に加え、さらに2機がハイジャックされた。別の1機は国防総省ビルに衝突、もう1機は米国連邦議会かホワイトハウスを目指していたとされるが、衝突前にペンシルベニア州ピッツバーグ郊外に墜落している。国際テロ組織アルカイダの実行犯19人による計画テロで、この日だけで3000人近い犠牲者が出た史上最悪のテロ事件だった。
この4機がどのような時間経過で、どのような飛行ルートをとったのかが一目瞭然でわかるシミュレーションパネルや、ニューヨーク市内全域や隣州ニュージャージーからWTCのテロ現場に集まった消防隊員らの当日の動きを示した特大地図。テロリスト一人ひとりの生い立ちや行動記録、アルカイダの発足経緯や目的を説明する展示室まで設けられており、全てをじっくり学ぶには一度の訪問ではとても足りない情報量だった。全てはデータベース化されて貸し出しもされており、一部はホームページ上で公開されている。
広報担当のオリビア・エガーさんが施設の設立趣旨について説明してくれた。
「私たちのミッションは、犠牲者の存在を後世に引き継ぎ、未来の世代に9・11について継続的に学んでもらうことで、世界にはびこる憎しみや不寛容を終わらせるきっかけになることです」
■被害者の心のケアと両立
遺品や写真、映像、録音された肉声、倒壊した建物の一部や破壊された消防車両など、生の証言や実際の証拠を通じてファクトベースでテロ当日の実相を細かく伝える展示方法は、まさに学びの施設のお手本だった。極めてむごい犯行をおかしたテロリストやテロ組織についての展示も、明らかになっている事実のみを冷静に取り扱い、偏向や感情論はみられなかった。
ただ同時に、その詳細さや中立性が、いまも心の傷と闘う被害者や遺族を逆に苦しめることにならないか心配になった。この点についてエガーさんは「厳しい内容が確かにあります。そうした展示は個別のスペースに集め、専用の入り口を設け、被害者には困難な展示であることを知らせる表示を置いています。入室するかどうかの選択の自由を尊重しています。刺激が強いため、子どもには入室を薦めません。歴史の記録の継承をするうえで、最も適切で丁寧な展示のあり方を模索しています」と話す。
WTCの建物の残骸などを地下の広大なオープンスペースで展示している博物館内には、個別の入り口を設けた専用空間が二つあった。一つは、記事冒頭に書いた詳細なタイムラインなど、実際の映像などで9・11当日を描写する展示物とテロリストについての情報を集めた空間。もう一つは、遺族から提供を受けた犠牲者たちの顔写真を壁いっぱいに展示した慰霊空間だ。犠牲者の生前の肉声会話なども流されており、日本人犠牲者の写真もあった。
博物館内の展示物は私用目的なら無許可で写真撮影が認められているが、この二つの空間に限っては写真撮影や録音は厳禁。それぞれの入り口には警備員が立ち、展示コーナーの巡回もしている。
また同施設には、9・11の被害者や遺族だけが入れる専用空間「ファミリールーム」がある。テロ直後、世界中から寄せられたメッセージなどが展示され、遺族が犠牲者へのメッセージや思い出の品を捧げることができる追悼スペースになっている。被害者や遺族として施設に登録すれば、特別な入館措置の対象になる。特に施設で記念式典が毎年開かれる9月11日は、被害者や遺族のみが入館できる日としている。
今回のニューヨーク滞在中、テロ現場で救助活動にあたり心身に傷を負った元消防士や、友人の父親だった消防隊長をテロ現場で亡くした当時高校生の男性など、9・11を経験したニューヨーカー4人に話を聞く機会があった。うち2人は博物館を訪問していたが、当時の記憶が呼び起こされる展示内容を受け止めるのは困難だったと話した。残りの2人は行くことを拒絶していた。
9・11から約20年、今では高層ビル群が再建されて新たなWTC地区と呼ばれるようになったテロ現場だが、生存者や被害者たちは、いまだにこの地を「爆心地」を意味するグラウンドゼロと呼ぶ。それでも4人全員が共有していたことがある。伝えることの重要性とメモリアル・ミュージアムの存在意義だ。それが犠牲者への追悼にもなり、二度と同じ悲劇を繰り返さないことにつながると強調していた。
テロで大切な人を失った人たちへの配慮を最大限しつつ、伝える意義を重んじて事実に基づいた詳細な展示に妥協しない。同時に犠牲者への追悼と、生存者や遺族の支援にも力を入れる。メモリアル・ミュージアムの名前の通り、その役割を果たすための様々な工夫が施設にはなされていた。
9・11テロの犠牲者には、日本人24人も含まれている。コロナ感染の収束後、日本人を含む世界中の人たちに施設を訪れてほしいというエガーさんから読者へのメッセージを託された。
「この施設は、9・11を米国のみではなく、グローバルな視点で捉えた展示内容になっていると考えています。世界的な歴史を考えるうえでも意味ある経験ができるみなさんの訪問を、いつでも歓迎しています」