悲しみを歌う詩を多く書いてきたチョン・ホスンは、いつも静かな湖面のようにほほ笑んでいる。その詩は教科書にも載り、曲がつけられ、歌としても知られている。60編の詩と散文で構成された『寂しくても寂しくはない』には、詩人のかざらない素顔がある。
韓国では、文章を書く者の頂点に、詩人がいる。詩集がベストセラーになることも珍しくない。私が本著を持って外出すると、知り合いが私の手から本を取り上げて、そこにある詩を朗々と読み始めた。声に出して読んでこそ、詩語が生きてくることを実感した。
フォークシンガーのアン・チファンが歌って有名な「酒一杯」は、若き日の怒りや衝動にまかせて書いたものだった。年を重ね、詩人は悟った。神が人間を愛する方法は、苦痛を与えることなのだ、と。「幸い、詩は隠喩でできているから、その隠喩の森の中で、逆説と反語の葉で自分を覆ってしまおう」
植民地の時代に若き生を終えた詩人尹東柱(ユンドンジュ)をこよなく愛す詩人。気ぜわしい朝、飼い犬が自分の靴の中にそそうをしたことに腹をたて、持っていたかばんを犬に向かって投げつけた。出勤して気がついた。かばんの中に、尹の詩集が入っていたことを。詩人は大いに恥じ入り、犬にも謝った。
中国で白頭山に登って感激した詩人を、突然襲った尿意。聖なる山の清きカルデラ湖に、こっそりと用をたしてしまったことを、今も深く恥じていると告白する。
幼子の瞳に映った自分の姿を、なんと表現すればいいものか悩んだある日、古い辞書の中に「目の仏」という単語を見つけたときの喜び。「死語になった言葉を探し出し、その言葉に服を着せて、新しい命と香りを付与する仕事こそ、詩人のなすべき仕事ではないだろうか」
中学生で初めて書いた詩を教師にほめられ、詩人になろうと決意した。22歳で詩壇にデビューし、昨年、古希を迎えた。息子として、父親として、そして詩人として、苦悩の時代を生きてきた。詩作とは、十字架を背負って歩くことだと詩人は言う。「詩の最初の一行は神の贈り物だという言葉を、私は強く信じる」
暗闇に光をともす詩に、読者はいやされ、救われる。韓国で、詩人の果たす役割は大きい。
■「特殊清掃」の世界で見る、人の心
大学時代に詩を専攻し、出版社に勤務した後、作家として執筆に専念していたキム・ワン。日本暮らしの経験もあり、東日本大震災後に韓国に戻って、「特殊清掃会社」を立ち上げた。
孤独死や自殺のあった家、ゴミ屋敷と化した借家人の家や、犯罪現場の清掃など、家に染みついた痕跡を消すのが、特殊清掃業者の仕事。『死者の家掃除』は、過酷な現場に立ち向かった体験をつづったエッセーだ。
なによりも、読ませる力がある。そして、人間の心の闇に寄り添おうとする、作家の視点に引かれる。
練炭中毒で自殺した一人暮らしの女性の部屋には小さなテントが張ってあり、心のいやしを求める本が何冊かあった。着火材や携帯コンロの空き缶、ビニール袋などは、玄関脇にきちんと分別して捨ててある。「死を目前にして、これほど超然たる公衆道徳が存在するのか」と、キムは驚愕(きょうがく)する。
ビルの管理人にも、きちんとあいさつをする女性だったと言う。「他人に対する心遣いを、なぜ自分自身に向けなかったのか。その正しい心が鋭い刃となって、彼女を追いつめたのではなかろうか」
心中した夫婦の家で、2人が死んだベッドを解体すると、中から2本の包丁が出てきた。すでに警察の捜査は終了している。「これは、死後も2人の関係が続くことを願った愛の象徴なのか。それとも裏切りとうらみの象徴なのか。私が信じたいのはどちらなのか」
死んだ猫を片付けてほしいという依頼もあった。ケージに入ったまま、干からびたように死んでいる10匹の猫。命の尊厳を踏みにじる人間に対する怒り。
田舎で一人暮らしをしていた老人が死に、「どうせだれも住まない家だから、適当に片付けてほしい」と遺族から依頼された。主人を失い、やがて朽ち果てるだろう家に宿る悲しみ。
家族と連絡を絶ち、都会で死ぬ孤独。家族を都会に送り出し、田舎に残される孤独。互いの手のぬくもりがあれば、寂しい時代を共に耐え、生きぬいていけるはずだと、キムは考える。
■別れの痛みと向き合うために
『さよなら(アンニョン)、大切な人』は、最近はやりのヒーリングエッセーの一つだ。タイトルのアンニョン(安寧)は、出会いにも別れにも使える言葉。出会いの喜びや共にある幸せから始まり、最後に別れの章があった。別れを乗り越えてこそ、次の新しい出会いを迎えることができるのだ。
愚痴をこぼし合える友。ささやかなプレゼントに喜ぶ両親。大切な恋人の存在。自分を幸せにしてくれる人々との関係の中で、だれもが明日を生きる勇気をもらっている。
しかし、出会いがあれば別れもある。その痛みを憎しみに転化するのではなく、幸せだった時間を大切にしながら、痛みと向き合ってみようと説く。作者は男性で、男の立場から別れを描いた後、今度は別れた女の立場を丁寧に描写したのが印象的だ。
「もしかしたら私たちは、ときめきを忘れたのではなく、慣れるという幸せを見つめることができないだけなのかもしれない」
痛みと向き合うには、勇気がいる。たとえば幼い日の心の傷と向き合うことで、今の自分を立ち直らせることもできる。忘れようとしていた過去を思い起こすことが、生きていくための力になることもある。もしかしたらそれは、寂しくつらい思いを抱えた読者たちが、切実に待ち望んでいる言葉なのかもしれない。
韓国のベストセラー(文学)
2020年11月第4週 インターネット書店「図書11番街」
1 달러구트 꿈 백화점 タロクート夢百貨店
이미예 イ・ミイェ
夢の世界に誘われ、夜になるのが待ち遠しくなるファンタジー小説。
2 요한, 씨돌, 용현 ヨハン、シードル、ヨンヒョン
SBS 스페셜 제작팀, 이큰별 SBSスペシャル制作チーム、イ・クンビョル
自然環境を守るため、命がけで闘う農民活動家のドキュメンタリー。
3 외로워도 외롭지 않다 寂しくても寂しくはない
정호승 チョン・ホスン
悲しみを歌う、韓国を代表する叙情詩人による、60編の詩と散文集。
4 만남은 지겹고 이별은 지쳤다 出会いはうんざり、別れは疲れた
색과 체 セクとチェ
傷つくのが怖いあなたへ、「最高ではないが最善の愛」を示唆するエッセー。
5 애쓰지 않고 편안하게 無理をせず楽に
김수현 キム・スヒョン
『私は私のままで生きることにした』の著者が4年ぶりに発表したエッセー。
6 안녕, 소중한 사람 さよなら、大切な人
정한경 チョン・ハンギョン
つらい別れがあっても、生きていればまた、春の日は来ると説くエッセー。
7 좋은 사람에게만 좋은 사람이면 돼 良い人にだけ良い人であればいい
김재식 キム・ジェシク
人間関係に悩む人々へのメッセージ。SNSで200万のフォロワーを持つ。
8 죽은 자의 집 청소 死者の家掃除
김완 キム・ワン
死者が家に残した痕跡を消す、特殊清掃会社を立ち上げた作家の記録。
9 결혼에도 휴가가 필요해서 結婚にも休暇が必要だから
아리 アリ
母でも妻でも嫁でもない私。インドネシアに飛び出した女性のエッセー。
10 상관없는 거 아닌가? かまわないんじゃないの?
장기하 チャン・ギハ
愉快で奇抜な歌で人気を博した、シンガー・ソングライターの初エッセー。