「奇跡の救出劇」から2年が経ち、洞窟のある国立公園は生まれ変わっていた。泥まみれで取材した洞窟前の道は舗装され、送迎バスで洞窟の入り口に着いた。入り口には遊歩道があり、鍾乳石が連なる洞窟の奥まで見渡せた。新型コロナウイルスの余波で旅行者は減ったが、国立公園の管理事務所によると、週末には一日500人ほどが訪れるという。
すぐ近くには、当時の写真や救出に使われた担架、空気ボンベなどが観察できる展示室もあった。救出活動中に亡くなった元タイ海軍特殊部隊員の男性ダイバーの慰霊碑には、追悼の花が添えられていた。
洞窟から国境検問所(②)のあるメーサイまでは車で20分。洞窟から救出された少年の父バンポートさん(48)が、検問所前で土産屋を営んでいた。「15歳になった息子は学生寮に入り、サッカー選手を目指しています」。そばには「タイ最北端の碑」が立っていた。
一帯は、タイ、ミャンマー、ラオスの3カ国の国境が接する「黄金の三角地帯」も近い。長く麻薬アヘンの交易拠点として栄えた歴史は、アヘンの吸引器具や密売組織の資料を並べた博物館「ハウス・オブ・オピウム」(③)で学ぶことができた。
アヘンの原料のケシは、標高1000メートルを超える山間の村で栽培されてきた。チェンライ市内から車で2時間半ほど山道を上れば、竹で組んだ家に住むラフ族や刺繍(ししゅう)が得意なリス族、銀の頭飾りが特徴のアカ族など山岳民族の村にたどり着く。
ラフ族の村(④)では、村人ジャソウさん(60)がトウモロコシの葉で包んだたばこをくゆらせながら、現地語で「ガンティンネ……」と旅の安全や健康を祈願してくれた。いまはケシ畑の多くは撲滅運動で消え、換金ができるコーヒーやお茶、トウモロコシの畑に姿を変えている。
観光地化で潤う一部の村には、コンクリート塀の家が増えた。伝統の精霊信仰や季節行事の映像はチェンライ市内の山岳民族博物館(⑤)にもあるが、やはり村には原風景が残ってほしい。よそ者のわがままだと知りながら、そんな願いを胸に村を後にした。
■映画化された救出劇
洞窟に閉じ込められた少年らの救出劇は、映画にもなっている。実際に救出活動にあたったダイバーが出演する映画「THE CAVE サッカー少年救出までの18日間」は、日本で11月に公開予定。これとは別に、少年へのインタビューをもとにしたネットフリックス向けの映像制作も進んでいる。
■タイに残る「国民党の村」
第2次大戦後、中国共産党との内戦に敗れた国民党の多くは台湾に移ったが、南下してミャンマーやタイ北部に逃れた人たちもいた。その子孫が暮らす山間の村メーサロン(⑥)には、戦死者をまつる施設や赤いちょうちんを飾る中国料理店、茶店が並んでおり、台湾などから多くの観光客が訪れている。
■からっと揚げた豆のおつまみ
チェンライの人気料理の一つに、地元でよくとれるエンドウ豆を使ったおつまみがある。豆をすりつぶしてペースト状にし、一口大に固めて揚げた「カオフーントード」。一皿20バーツ(約70円)ほどで手頃だ。
地元の大衆食堂「パナーンカム」(⑦)を訪ねると、平日の昼にもかかわらず大勢の客がいた。火に掛けたフライパンをのぞくと、黄色いカオフーントードが油を吸いながら、チリチリと音を立てていた。揚げたての一切れを口に放り込み、やけどしないように舌の上で転がしながら、サクッと奥歯でかみ締める。フライドポテトのような食感に続いて、ほのかに甘い豆の風味がしみ出てきた。
これにピンク色のピリ辛ソースを付けるのが地元流だ。ソースは豆の煮汁に唐辛子やニンニク、しょうゆ、砂糖などを加えた自家製で、「先代のころから50年以上変わらない味です」と女性店主のシーケーさん(42)。暑い日のビールにも合いそうだ。(乗京真知)