干ばつによる塩害被害
田んぼを緑一色に染めるはずの稲穂に白い色が交じって見える。米農家のリエンさん(44)はそれを見ながら、「干ばつのせいで塩害がひどい。例年は田植えを3回やるが、今年は1回あきらめた」と嘆いた。白くなっているのは、稲穂が実らずに枯れてしまった「白穂」。リエンさんによると、地中の塩分濃度が高すぎて稲の生育障害が起きたせいだという。
ベトナム南部にある最大都市ホーチミンから車で3時間ほど。メコン川の流域に広がる、世界有数の穀倉地帯メコンデルタのベンチェ省バーチー郡を、9月中旬に訪ねた。
飲料水は干ばつで10倍に値上がり
今年は干ばつで川の水位が大幅に低下。支流まで海水が浸入し、塩害をもたらした。2016年にも過去最悪といわれた塩害の被害を受けた。ベトナム農業農村開発省の研究機関によると、今年はさらに深刻で、3月中旬までに50~110キロメートルにわたって海水が川に流れ込んだ。
メコンデルタ一帯は一時、生活用水の確保も難しくなった。リエンさんの家から30キロほど離れた場所に、家族4人で暮らすチャンさん(42)は3~4月、慈善団体が1週間ごとに他の地域から運んでくる60リットルの水を飲み水にして過ごしたという。日ごろ購入する飲料水は干ばつで10倍に値上がりした。5月には、軒先に2000リットルのタンクを三つ設けた。「ふだんから雨水をためておいて、水が足りなくなれば煮沸して飲料用に使う」とチャンさんは話す。
水不足は中国のダム建設が原因?
記録的な水不足。天候の不順だけでなく、人為的な問題が指摘されている。
全長約4800キロメートルのメコン川は、中国のチベット高原を起点にミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを流れ、南シナ海に注ぐ。上流の中国とラオスでは近年、治水や発電のためにダムの建設が相次いだ。
下流のベトナムやタイで水不足が毎年のように問題になり始めているのは、11のダムを管理する中国が下流への水の流れを制限しているからだ、という見方が強まる。
米国務長官は激しく中国を批判
米国政府が資金提供する環境調査会社アイズ・オン・アースは4月に発表した報告書で、昨年にタイやベトナムで起きた干ばつ時の川の水位を衛星画像から測定した。下流の水位が下がったのは、中国のダムがある上流域で流れが妨げられたからだと結論づけた。
東南アジア諸国と中国の間では、南シナ海の領有権が長年の懸案だったが、米中の対立が激しくなるにつれて、メコン川の管理が争いの火種になった。
「中国共産党が一方的にダムを操作し、メコン地域の歴史的な干ばつを悪化させている」
米国が流域の東南アジア5カ国とつくった新しい枠組み「メコン・米国パートナーシップ」の初会合が開かれた9月、ポンペオ米国務長官は声明で中国を痛烈に批判した。ベトナム外務省によると、会合では、米国が水資源データの共有などの開発に1億5360万ドル(約160億円)を拠出すると表明した。自国の陣営に参加国を取り込む狙いだ。
一枚岩ではない流域5カ国
ところが、東南アジアの流域5カ国は一枚岩ではない。周辺国への電力輸出をめざしてラオスが発電のために建設するダムは中国資本。カンボジアもインフラ整備で中国の支援に頼り切りだ。中国の李克強首相は8月に流域5カ国と開いた会合で、「流域の6カ国は同じ川の水を飲む一つの家族だ」とした。
冷戦時の中国と東南アジア諸国連合の対立など、メコン川はこれまでも国際政治と切り離せない川だった。米中の対立が深まる中、「戦乱の川」と呼ばれたかつての姿に逆戻りしている。
「いまや安全保障の問題だ」
メコンデルタ最大の都市カントーで、世界自然保護基金(WWF)などの国際NGOや大学と25年以上にわたり共同研究を続けるグエン・ヒウ・ティエンさんは「メコン川はいまや環境問題ではなく、安全保障の問題だ」と話す。
ティエンさんは近年、国際会議などで米国に、この地域の安定を維持したいならメコン川を注視するように訴えてきたという。一帯の町や村では干ばつや塩害が深刻で、農業では生計を立てられず、都市部の工場や国外に労働者として働きに出る人が増えている。ティエンさんは「40歳以下の住民を見かけなくなった地域もある」と危機感を抱く。
メコンデルタでつくる米の多くは中国に輸出され、不作の被害は中国にも及ぶ。「世界で最も豊かな土地に暮らすはずの人びとが生活に困って去っていく。大国は、私たちがお互いに依存して生きている現実を理解するべきだ」(宋光祐)