AIの研究で日本を牽引する存在だ。「異能の学者」とも呼ばれる。起業家の育成に熱心なだけではない。「年功序列で金額が決まる」と国からの助成金は受け取らず、企業と組む道を選んだ。年間予算は億単位。そこに見えるのは、資本主義の土俵で勝負する覚悟だ。研究の成果で企業に価値をもたらし、そこからさらに研究費を生み出す循環をつくるという強い信念がある。だから「もうけにつながらないと意味が無い」とさえ言う。
追い風も吹いている。AIの中でも松尾の専門分野はディープラーニング(深層学習)という中核の技術。読み込んだデータから、AIが自ら特徴を見つけ出し、学習できるようになる。大量の画像からネコを認識したり、将棋や囲碁で人間の能力を超える手を見つけたり。AIは1950年代から研究されてきたが、飛躍的に進歩したのは2010年代にディープラーニングが確立されてから。いまはAIの第3次ブームと呼ばれ、車やスマートフォン、医療機器など多様な分野で実用化の段階に入ってきた。松尾の研究室にも、多くの企業が訪れる。「ディープラーニングがさらに進化し、いくつかのブレークスルーを経た先には、会社の人事の決定などでAIを使うことも可能になる」
■分析で生み出した「打率4割」
小さい頃から思索にふけるのが好きだった。中でも、事象が起きる法則を分析し、「必勝法」を編み出すのが得意だ。高校で始めたソフトボールでは、「自分はパワーがない」と分析し、バットを強振することをやめた。ひたすらセーフティーバントを研究し、練習を繰り返した。その戦略があたり、打率は毎年、4割を記録した。
「自分がなぜ存在するのか」という問いにも思いをめぐらせ、受験勉強の合間にアリストテレスやプラトン、ウィトゲンシュタインらの哲学書を読みあさった。世の中の「真理」を見つけたかった。その探究心が、知能の存在を問いかける現在のAI研究につながっている。
これまでの道のりでも、困難に直面すると徹底して考え、「必勝法」を見つけてきた。大学院への進学では、第1志望だった人工知能専攻の研究室に入れなかった。それでも違う分野の研究者に囲まれながら、一人でAIに取り組んだ。「世界の中心から離れている気分だった」と振り返るが、こつこつと書いた論文が認められ、博士課程ではAIの研究室に所属できた。
米スタンフォード大学に留学したときは、最初は学会誌に投稿しても落選ばかりだった。とにかく国際的に通用する研究者になろうと、朝、「グッドモーニング」と研究室に顔を出すと、一日中論文を書き続けた。失敗を繰り返しながら、「どうやったら掲載されるのか」「何が悪かったのか」と必死に考えた。半年後、1本が認められると、その後は1年で10本ほどが掲載された。国際的な知名度はぐんぐん上がり、周囲の見る目も変わった。若手研究者を対象にした東大の公募に応じ、何十倍もの競争率の中、准教授に選ばれた。
このころ実感したことがある。米国では、大学の研究とシリコンバレーの産業界が結びつき、一つのエコシステム(生態系)をつくっていた。グーグルやフェイスブックなど世界をリードする企業が生まれたのも、こんな土壌があったから。「大学からベンチャーが生まれ、うまくいけば利益の一部を還元する。これで存分に研究も教育もできる。日本にもこういう仕組みが必要だ」
その理想をいま、東大を拠点に実現しつつある。
■「好機を逃した日本」に悔しさ
「抜群の行動力に、我が道を行くという強い意志」
産業技術総合研究所に松尾を採用した札幌市立大学学長の中島秀之がこう評するように、帰国後は様々な分野で貪欲にチャレンジしてきた。
実践の第一歩として検索サービス「あのひと検索SPYSEE(スパイシー)」を開発して起業した。ある人物の名前を入力すると、ウェブ上の記述から他の人々との相関関係をネットワーク状に描き出す。この実験的な試みは、大きな反響を呼んだ。アルゴリズムで株価を予測する仕組みもつくった。いずれも大成功とは言えなかったが、多くの人脈を築くことができた。
その一人が経営コンサルタントの川上登福。講演を通じて知り合った二人は、「まず現場を見に行こう」と化粧品の製造工場やトマト畑、介護施設など様々な場所に足を運んだ。AIがどのように社会の最前線で活用できるかを模索する経験は貴重で、「日本の問題点や強みを認識できた」。ここから企業との共同研究の芽が育った。川上は「視線の先にあるのは、少子高齢化で縮小しつつある日本の立て直しだ」と、松尾に期待を寄せる。
人材育成にも熱心だ。14年に経済産業省とも協力し、東大で「グローバル消費インテリジェンス寄付講座」を立ち上げた。TSUTAYAを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ社長の増田宗昭ら一流の経営者をゲスト講師に迎え、ビッグデータの解析により消費者を理解し、マーケティングに精通したデータサイエンティストを育成する狙いだ。途中のテストは厳しく、脱落者も続出するが、成績優秀者には海外での研修旅行を用意する。中学生から社会人まで広く門戸が開かれており、学外も含めると受講者は累計で4000人以上になっている。
17年には日本ディープラーニング協会を設立し、新たにつくった資格試験の合格者は3万人に迫る。協会は高等専門学校生を対象に、ディープラーニングを活用したシステムの開発を競う「高専DCON」も主催する。「高専の生徒には有望な人材がいる。もっと評価されてもいい」との思いからだ。そんな松尾の取り組みを、「純粋な研究ではない」と異端視する研究者もいる。教授に就任したのも昨年で、決して早いとは言えない。だが、周囲の雑音は意に介さずに突き進む。
過去に日本が好機を逃したという悔しさがある。「15年ごろ、もっとAI研究に戦略的に政策投資していれば、研究も実践も飛躍的に発展していたはずだ」
現在のコロナ危機を変革の機運だとみている。「コロナで変化を強いられるいまは大きなチャンスでもある」。新たな「必勝法」を模索しながら、領域を超えて日本を刺激し続けるつもりだ。(文中敬称略)
Profile
- 1975 香川県坂出市に生まれる
- 1993 香川県立丸亀高校卒業
- 1997 東京大学工学部電子情報工学科卒業
- 2002 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、産業技術総合研究所の研究員に
- 2005 米スタンフォード大学に留学、客員研究員に
- 2007 東京大学大学院工学系研究科准教授に就任
- 2008 「あのひと検索SPYSEE(スパイシー)」を公開
- 2014 東京大学グローバル消費インテリジェンス寄付講座を開設。累計の受講者は4000人以上
- 2015 「人工知能は人間を超えるか」(角川EPUB選書)を出版。電子書籍化もされてロングセラーに
- 2017 日本ディープラーニング(DL)協会を設立し、理事長に就任
- 2019 東京大学大学院工学系研究科教授就任、日本DL協会で高専DCONを始める
疑問だらけの世の中…開業医の父、高校教師だった母を持ち、小学校の頃は「新学期に教科書が配られると、最初に全部読んでしまった」という。世の中で当たり前に思われていることにも疑問を持つタイプで、毎日家を出て学校に行き、同じ家に帰ることも不思議だったという。「世の中わからないことだらけだと思っていた」
「ヤンキー」に学ぶ…高校時代に所属したソフトボール部には、いわゆる「ヤンキー」っぽい生徒が多かった。松尾は彼らと仲良くする中で、「『何で太いズボンをはいちゃいけないのか』とか、彼らはすごく考えていると思った」という。「日本の教育ってそんな人たちをとりこぼしているのではないか」。そんな疑問を、この頃から抱いていた。